human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

精進の第十五歩

今日も一本歯で歩いてきて、三日連続です。

この三日とも1時間超歩いて、足に特に支障はありません。
親指のできかけのタコもなんとか収まってくれています(現状維持か快方に向かっているのかはよくわからない)。
右足親指付け根の魚の目は、一本歯で歩いている間は全くその存在を感じません。
今の状況だと靴歩きより一本歯歩行の方が楽だと思えるくらいです。
まあこれは「そういう一面がある」という話ですが、この状況を利用しない手はありません。
(というか利用した結果がこの三日連続のナイトウォークになるわけですが)

歩き始めの間は鼻緒で抑えている部分がきついのか多少痛むんですが(右足だけ)、歩くうちになんともなくなってくるので、足が冷えていたせいだと思われます。
そういえば今週後半からぐっと冷え込んできましたが(東京では初雪が降ったらしいですね…)、夜の一本歯はまだ裸足で歩けています。
歩くうちに体だけでなく足も温まってくるのが、裸足+一本歯で歩いているとよくわかります。
ただこれから冷えていくと、歩き始めがどんどんつらくなっていくはずで、どこまで耐えられるでしょうか。
あと止まったらすぐ体冷えるし(歩き終えた時はほかほかしていても一本歯からスポサンに履き替える間にけっこう冷えてしまいます)。


さて、今日は加茂川べりの鴨川公園〜北大路通間を往復しました。
北大路通の橋の西詰そばの公衆トイレを使って、そのまま橋を渡ろうとした時に、交差点は明るいんですがその陰になっている地肌の部分で木の根っこを踏んでしまい、あやうく鼻緒を切りそうになりました。
車のライトや電灯の明かりで瞳孔が開いてしまって暗がりが見えなかった、というのは言い訳で、わりと車通りの多いところで公衆トイレそばにも車が停まっていたので早々に立ち去ろうと気が急いたことが油断の原因でした。
また橋を渡っている間も夜とはいえ通行量が多くて、気が散って姿勢が乱れてうまく歩けませんでした。

というわけで本記事タイトルは「精進できた」ではなく「精進が足りない」の意味です。
まあこれに関しては、人のいるところで歩き慣れるよりも、多少気が散ってもふつうに歩けるようにフォームを定着させる方がいいのでしょう。
もちろん精進も要しますが。

 × × ×

そういえば昨日読んだ山頭火の本の内容で思い出したことがあります。
四国八十八ヶ所は四国で空海が修行した場所がその由来である、とたしか書かれていて「大師の修行の地が巡礼道になったのならその道を修行で歩いても何ら違和感あるまい」とこれは今日思いました。

大事なようなどうでもいいようなことですが、つまり四国遍路に一本歯で行く意義もあるにはあるのかな、と。