human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

11日目:鈴をなくす、食あたり、「徳増」にて 2017.3.11

以下、日記をそのまま抜粋。

(1)鈴*1をなくした:人気のない道が増えてから白衣の紐につけるようになっていたが、上着を脱ぐ時に一度外す必要が生じ、いったんそばに置いてからそのまま忘れてしまった*2。熊よけ鈴との縁はこれまで、遍路用品店か高知市のアウトドアショップで代わりを入手しよう。鳴らしたい時に鈴がないのは寂しいが、これも修行。ゲタで「同行二人」といこう。[教訓]鈴は肌身離さず持ち歩く⇔ズギン*3のベルト通しにつける。
(2)食当あたりの怪:今日の昼前頃から足ではなく頭の調子が悪かった(寝不足によるはき気のような)。寝不足ではないはずなのでどうもうすあおのり*4の手掴みによる食中毒と思われた*5。色んなものを触ったので直接触れる食物はNG。

所感:(@翌日朝)波の音とホトトギスの鳴き声が心地よい。食事も地産地消で旨かった(茶が独特。ドクダミとシソと…なんだっけ)いい宿でした。

この日も23番薬王寺から24番最御崎寺(ほつみさきじ)までの長い道のりの途中で、道中に寺はありませんでした。

この日に徳島を出て高知に入り、泊まった宿は「徳増」。
料理に使われている野菜の多くが宿の裏にあるおばあさんの畑で採れたもの。
宿のおかみさんはご自身が一人で歩き遍路中に徳増に泊まった時に、今のご主人(宿の主)に口説かれたという。
元は東京の生保で働いていた都会人だが、はやくも宿にとても馴染んでいました(たしか僕が泊まった前日に婚姻届を出したと言っていた)。
この日の日中に予約の電話を入れた時に出たのがおかみさんで、「すみません、今日はもう予約が一杯なんです。でも…あっ、普段使ってない古い部屋があったと思うんですけど、そこでもよければ。じゃあ、ちょっと聞いてきますね」と、口調が再現できないのが惜しいですが、歩き遍路をとても慮った対応をしてくれました。
またご主人は僕が鈴をなくしたことを電話で伝えると「じゃあ戻って探してみましょう」と気前よく車を出してくれたし(結局見つかりませんでしたが)、一本歯の歯が擦り切れそうで替えを買わないといけないと言うと、高知市に一本歯を売っている店がないかfacebookで聞いてくれました。
遍路客との距離が近い、とても親しみのある遍路宿でした。

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これは翌朝の出発前におかみさんが撮って、宿のfacebookに載せた写真。
確認できたのは旅が終わってからでしたが、応援ありがとうございました。
おかげさまで無事に旅を終えることができました。


 ✕ ✕ ✕

今日ふと思い出して、遍路回想記を3ヶ月ぶりに再開してみました。

あれから記憶がさらに薄れて、道中の一日をリアルタイム視点で書くことはもはや不可能に思われたので、日記(これは旅中、その日か次の日に書いたリアルタイム日記ですが、いかんせん、日記の常ではありますが内容がかなり偏っていて、出来事が半分、もう半分は「一本歯歩行記録」の感があります)を書き写しながら思い出したことを末尾に加えるという形式で書くことにしました。

まだ全行程の1/6を過ぎたところ。
最後までたどり着けるでしょうか。

*1:遍路用の鈴は金剛杖につける「同行二人」の表現で、鈴の音が空海大師の声だというが、音がどうも大きいと思って僕は登山用の熊除けベルを使っていました。

*2:駐車場の低いブロック壁に座って着替えをしていたちょうどその時にママチャリで通りかかったおじいさんに話し掛けられて、長話をしてしまったせい。

*3:この単語に記憶は見当たらない(手帳の字が汚くて誤読の可能性もある)が、おそらく納経帳や数珠を入れる肩掛けバッグ「さんや袋」を指すと思われる。→あ、これ「ズボン」ですね。

*4:前日の道中に川沿いの家に住むおばさんからもらったもの。目の前の川底でゆらゆら揺れているのりを採った「超地産地消」品。

*5:ビニール袋に大量に入ったものを、歩きながらぱくぱく食べてました。休憩時にマッサージで足裏を触ったりしていたので、まあ当然ですね。ただひたすら歩く生活に慣れてくると行動の感覚がワイルドになるのはしょうがなくて、でも免疫力がそれに相応して急上昇するわけはありません。