「理屈はあとからついてくる」とは逆の方向。
「有言実行」よりも抽象的。
知性への信頼。
個の超越。
攻撃は最大の防御という言葉があるが、相手が防御しようと構えている場合には、そうそう簡単に有効な攻撃をすることはできない。むしろ相手が攻撃に転じるその一瞬に、隙が見出される。ボクシングでいうところのカウンタである。それは、エンジンのピストンのように、動きが反転するところで、一瞬静止することを想像すれば理屈は簡単だ、と彼は考えていた。この男は、こういった不思議な理屈を幾つも持っている。類似する現象を見つけ、それによって理屈を作る。信じることを、正しいことに塗り替える。それが彼の手法なのだ。
森博嗣『四季 夏』
これは知性による超越の意志でありながら、身体性を毀損するのではない。
むしろ既存の思考法を足蹴にできるだけの、高度な感受性が必要とされる。
相互に刺激を与えて活性化しながら、どちらかが他方を従属させるわけではない。
知性がリードしているわけではなく、言語出力の枷がそう見せているにすぎない。
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朝、通勤の時間帯に電車に乗るのは、定常的なレベルでは高校以来です。
10年以上も昔のその頃は、イヤホンで耳を塞いで苦痛を耐え忍んでいました。
今は傾向が大きく変わりました。
当時と比べても、電車を使わなくなったその後の通勤と比べても。
車内で小説を読むようになりました。
外乱があると想像が乱されると思って、以前は散文を読むようにしていたのに。
この変化のおり、最初に手にとったのが森博嗣の「四季」シリーズでした。
再読ですが、"White Autumn"、"Red Summer"と読んで、今は"Green Spring"です。
透明に徹する、と書いて「透徹」。
weblioシソーラスで調べると、類義語がありませんでした。
比較を絶した対象に立ち向かう意志こそ、知性をして透徹せしむ、のでしょうか。
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- 作者: 森博嗣
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