human in book bouquet

司書資格を活かせる仕事を探していきます。

2日目(後):鐘の追憶、風の記憶

cheechoff.hatenadiary.jp

(承前)

 その寺は小高い山の中腹にあって、山へ向かう道は、途中まであった家々がなくなり、手入れのされていない無骨な自然とその間を抜ける高架になった車道を突き抜けて進む。ここから先が敷地であるらしい門をくぐると、木々がいっそう茂って頭上に濃い緑が被さり、薄暗い。近くにトイレがあり、丸太のベンチがあり、敷地内の地図や寺の由来などが書かれた案内板がある。さっき会ったおじさんから、本堂まで階段が数百段(ぞろ目の数字だった気がするが忘れた)あって大変だと聞いており、ベンチに座って小休止しながら頭をひねる。持参のサンダルは勤行を心静かに行うためのもので、寺の門をくぐって納経所のそばにあるベンチに着くまでは一本歯を脱がないという暗黙のルールがそれまでにできていた。しかしまだ旅を始めて間もないし、無理をするのもよくない。納経所まで遠くとも、門をくぐれば履き替えていいことにしよう。これは自ら札に書いた「身体賦活」に背くのではなく、むしろ従うことになるはずだ。云々。

 山を上り、お寺に参り、山を下り、街中へ向かう。車が絶えない主要な道路のすきまをぬうように細い生活道を歩く。戸建ての民家がゆったりと並ぶ。道の片側がひらけて田んぼになり、用水路の水が並走する。小学校のチャイムが聞こえる。このありふれた鐘の音を耳にすると、つい会社で働いている人々のことを考えてしまう。前にいた会社のことだ。辞めて半年近く経つが、会社員としての心持ちがきれいさっぱりぬけ落ちた、というわけではないようだ。
 そりゃあ働くことは好きだし、「何もしない」よりは働いている方が、おさまりがよい。おさまり、とは何だろう。社会へのおさまり、だと思うが、じっさいのところそれは会社へのおさまりで、その場から離れてしまえば何の意味もない。言い方を変えれば「余計なこと」を考えなくていいということだけど、その「余計なこと」はじつは大切なもので、それのために、あるいはそれを考えるために働いているのではなかったか。そして会社を離れて、そのすべてが「余計なこと」であるような生活をして、ありがたみを忘れてしまったのだろうか。他人の芝は青く見える、ただそういうことだろうか。
 違う、そうではない。人の目を気にし過ぎで、でも自分を見ていると思っている他人は自分の中にいて、しかもその他人の生活と自分の生活に関係があると思っている。もっといえば、関係がなければならないと思っている。つくづく面倒な人間だ。「夢の中から責任が始まる」というイェーツの言葉を鵜呑みにして、一般化しようとして拡大解釈をして、ちりのような架空の責任がつもりつもって山となり、想像上の堆積物でぺしゃんこに押し潰されかねない。風に表面を削り取られることもなく、雨が染み込んで壁にひび割れが起きることもない、褪せず朽ちない砂の楼閣。劣化しないなんてたちが悪い。頭がそんなものに執着するなんて頭がおかしいことを理解しているのに決して止めようとしない頭は、本質的に狂ってるんじゃないか。いやいや、落ち着こう。歩きながら考えるとろくなことが起きない。靴で歩いていて目に見えないでっぱりにつまずくくらいなのに、一本歯を履いていればなおのこと危険だ。くわばらくわばら。課長の名前といっしょだ。いやいや。

 老人ホームだかケアセンターの玄関横に作られた休憩所で持参の飴を1つ食べる。立ち上がって道に戻ると、すぐ堤がある。歩行者用の階段を上りきって堤の上に立つ。ずっと先に対岸の堤があるが、こことあちらの間で水が流れている幅はそれほど広くないように見える。でもその川はじっさいは大きな川で、それが小さく見えるほど堤と堤の間が遠く離れている。川にたどり着くまでに竹林があり、だだっ広い田んぼがある。建物がほとんど見当たらないのは、やはりこの辺一帯が沈むことがあるからだろうか。
 堤を下りて川(の敷地内)を横切る道を歩き始める前から強い風が吹いている。草むらにちょこんと置いてあるブロックに座って休憩する気にもならない。菅笠ががたがたと鳴り、あごにかけた紐がとれて吹き飛ばされそうになる。菅笠を守ろうと五徳を手で支えると、笠部分が五徳からもげそうになる。あわてて手を笠のつばに持ち替える。そしてその体勢を維持して歩く。腕がだるくなる。耳は風の音で満たされている。肌寒いのかそうでないのか、よくわからない。体がつねに緊張状態にあり、ものを考えることができない。風と一体化できればさぞ楽しいのだろうが、菅笠が受けてしまう抵抗の重みと、一本歯の不安定な足もとに気をとられて、風は完全に自分に敵対しており、自分は風にとって取るに足りない異物であるとしか感じられない。
 風、風、風。
 それでも何かを考えようとして、ふと村上春樹が小説の中で主人公に言わせていた言葉を思い出す。初期三部作のどれか、いや翻訳ものだったか、あるいはその解説で引用していたのだったか。「なんでもないようなことを考えるんだ。ただ風のことを思えばいい」。この言葉は、うまくいかない日常から、いっとき離れるための呪文のようだった。そしてこのなかの「風」は、過去に彼が味わったいくつもの、どれも心地良い風だったはずだ。ぼくはこの言葉に出会った時に「いい言葉だ」と思って、自分の中にあるはずの風の記憶を呼び寄せようとして、純粋な、ただ風としての記憶が一つもないことを知ったのだった。川の道で荒々しい強風にさらされながらこの呪文が思い浮かんだ時に思ったのは、「これは"純粋な風の記憶"になるだろうな」ということだった。決して心地良い風ではない。でも、ここには自分と風以外に登場人物はいない。付属的な要素のない、混じりっけなしの風なのだ。よくわからないけれど、まあいいじゃないか。使い方も使いどころも違うけれど、自分を励ますように呟いてみる。"Think of nothing things, think of wind."
 田んぼを抜け、もう一度竹やぶを抜けて、ようやく川の水のある所にたどり着く。つまりそこで道は橋になるのだけれど、ごくふつうの橋にあるべき手すりがなく、手すりがあるべき道の端には縁石でわずかにもり上がっているだけ。歩道もないし、さら悪いことには車線が1つしかない。歩行者と車がすれ違うための待機場所が橋の途中に2箇所あるが、それは歩行者よりも車のためのものであるらしく(もちろんそこにも手すりはない)、その場所にたどり着くまでが長い。一本歯で橋のすみっこを歩きながら横を車に通られたりしたらふらついて川に落ちそうだし、なにより恐ろしいことに、さっきから吹き荒れ続けている風が橋の上では道に対して横殴りに吹いている。車通りも意外と多くて、道の見渡せる範囲で車が一台もない時がほとんどなく、車を待たせずに通るのは不可能であるように見える。予想外に過酷な状況にいきなり出会って、渡り始める勇気がまとまらずにしばらく呆然とする。これは試練なのだろうか。ここで川に落ちた遍路はまず一人もいないだろうけど、それは何のなぐさめにもならない。ここを一本歯で渡った遍路もおそらくは一人もいないからだ。全身が小刻みに震えている。寒いのだろうか。よし、寒いことにしよう。ううう、春先の四国は冷えるなあ。
 なんにせよ、他に選ぶ道はないのだ。

 這々の体で橋を渡り、対岸というには遠すぎるように思われた堤をようやく上る。街並がこまごまとした別の町に入り、風とのやり合いに疲れた足どりで上げたいペースは上がらぬまま、納経時間内ぎりぎりに寺にすべり込む。翌日はひねもす山道で、その山のスタート地点にあたる11番は宿との位置関係上翌朝も通ることになるが、今日の間にまわっておくことで翌日歩く時間をかせぐことができる。素朴な自然に囲まれてひっそりとした境内のベンチで息をつく。勤行を終えて、寺から近い今日の宿に到着するまでに日が暮れる。

 川と同じ名の旅館は新築で、部屋も風呂もアパートマンション然としている。そのものですらある。居心地が良いのはそのための安心感ゆえだろうか。宿泊客はみんな遍路で、食堂で交わされている会話のすべてが耳寄りな内容に思える。相席したのは歩き遍路3回目という奈良の老夫婦で、旦那さんは明日の山越えの道の険しさについて語り、奥さんは今日と明日のお昼ご飯について語る。関心の対象がきれいに分かれて、お互い相手の話にとやかく口をはさまない。仲のよい夫婦のひとつの形だと内心思う。昔の歩き遍路事情についても教わる。今みたいに高速道路が整備されていない時代は、そのまた昔とは違った意味で命懸けという感じだったな。歩き遍路道も交通量が多かったし、歩道のない道なんかは車とすれすれで歩かねばならなかったんだよ。団体さんの一人ひとりがみんな、旗を手に振りながら歩いたりもしていた。今でもトンネルなど危ないところはあるけれど、トンネルなら反射板をリュックにつけるといいよ。
 風呂でタオルと下着を洗い、部屋に干す。洗濯機は遍路宿ならだいたいどこでもあるらしいが、有料であることよりも、洗濯物の量が少ないことに抵抗がある。ズボンや白衣など、まとめて洗う時に使うことにする。部屋にあるテレビでは天気予報だけを見る。荷造り、日記、歯磨き、とやるべきことをしているうちに眠くなる。

ほしくず飲料、北斗七傷、講義前週おぼえがき

 
透明であることは、透明になることよりも、ずっとありふれている。

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 × × ×

 昨日はおぼえたての「両肩のヒンジを使って両腕をのばしたまま上のホールドをつかむ方法」(これを天秤動作*1とよぶことにします。天秤とは、僕の小学校時は理科実験ですでに上皿天秤を使っていましたがあれではなく、エジプトの絵文字にあるような棒の両端に糸を吊り下げる初期のタイプのものです。棒の両端を肩関節、重力に従って下に垂れる糸を腕にたとえます。分銅と測定物の重さに応じて棒の両端はそれぞれ上下どちらかに振れますが、糸はずっと張っています。このような理想的な、すなわち腕を全く曲げない動きだとリーチ(=両肩間距離の正弦)が短いので、ホールドを支える側の腕はいくらか曲げないと実際使えませんが、力のかけ方として天秤動作をメイン、腕の曲げつまり腕力をサブにすることで、腕への負担を減らせます。昨日はやりすぎて今は肩が張ってますが、クライミング中の消耗を考えると腕より肩の方が(筋肉の大きさに比例して)もちがいいようです)が、動きが若干窮屈と思いながらも1コース登りきったあとの腕の疲労が全然軽減されていて、それが嬉しくて前傾壁の6級コース(みなさんウォーミングアップやフォーム確認がてらに使う)を間をあけて3回も登り、そのうちの1回で左手の甲をコース上の関係ないホールドにぶつけて軽くえぐれました。天秤動作は局所的な負担がかからない反面(という言い方は不慣れな間だけでしょうが…)、ホールドから遠い位置にパワー源があるというか、力点と作用点が遠いというのか、それに頼り過ぎると手の移動位置にブレが生じやすいようです。腕を曲げないことを意識しすぎてホールドを取り損ねたり別のホールドにぶつけたりしないよう、腕と肩の使い方にバランスが求められます。

 あるいは何日か前のことですが、マウントというムーブ(ボルダリングでいう技の名前)をやる時に、体を壁にくっつけるようにしないと大きなフットホールドやハリボテ(自然岩の出っぱりを模したような大きな構造物)に乗り切れずに落ちてしまうので、踏ん張る方の足の乗せ方とか胴体を壁に寄せるための手の突っぱり方なんかに神経を集中してえいやと飛び乗るわけですが、そうすると乗せない方の足の指先を思い切り壁にぶち当てたり、膝やらすねやらをどこかにぶつけたりして、打ち身やすり傷ができます。しかも大体はムーブに集中していてそのことに気付かない(家に帰って風呂に入った時に傷口が染みて初めて気付く)ので、難しいコースでなおかつそれがこなせそうなコースだったりすると、傷は量産されることになります。実際、されています。右足で乗り込む時に左足親指を勢いよく壁に打ちつけるのがなかなかなおらないんですが(足首をぴっとのばして指の先端ではなく甲側が壁に向かうようにすればいいのでしょうが、どうもなかなか、そこまで神経がまわりません)、クライミングシューズは安全靴のようにある程度つま先が硬いので、現に当てている激しさを思えば怪我は浅いです。膝とその上下周辺のすり傷はなぜか右脚ばかりで(軸足が左足であることが多いからかな?大きく動かす時や勢いをつけて振り出す足は右足の方が頻度が高いのかもしれないし、そういうコース(右方向に展開していくようなコース)しか登れていないのかもしれない。ストレッチをしていても右脚の方が可動域が広いのが分かるし…あんまり左右差が大きくならないように左脚も使いたいものです)、打ち身は少なくほとんどがすり傷なのはまだましというかセンスのなさを示しているわけではないようには思いますが、そして同じ箇所に重ねて(=前の傷が残っている上から再度)当てていることもないのもなんだか良い兆候だという考え方もできますが(すなわち「同じ失敗を繰り返してはいない」ということ。取り組むコースを数回やってダメだったらすぐ変えているのもその理由のひとつですが、それは飽きっぽいからではなく、身体のある特定の部分に負担を蓄積させないためです。自分の腕力と手指の力のなさは、なにかしら別のスポーツをやっていたり肉体労働で身体の基礎が出来上がっていると思われる方々と比べて意識せざるを得ないと休憩中にまわりを見ていて思うんですが、体力がないだけにコースをこまめに変えてまんべんなく身体を疲労させていけるのは利点かもしれません。短期的な上達を目指す、たとえばクリアできるコースを一日に1つか2つ増やしていくというようなやり方ではなく、ちょっとずつ身体がボルダリング向けに上手く機能するようになっていって、日をまたいで何度も取り組んでいたコースがある日ひょこっとできるようになる、毎朝の漢字テストよりは日々の走り込みに近い*2「結果があとからついてくるコツコツ積み重ね型」が、頭でそれがいいと考えるより前に身体がそちらに無理なく適応しやすい、心地良いのです)、そうやってお互いに少しすきまをあけてコツコツと、まるでそれが目的であるかのように仲間を増やしていくすり傷たちが、夜空の星々に喩えられるほど詩的でありませんが、即物的配置として北斗七星を形成しつつあります。今の時点で「王手」ですが、もちろんすり傷を狙った箇所につけるなんて至難の業だし、だいたい技でもなければたぶん三重くらいに倒錯した発想であって、こんなつまらないことが登っている間に頭に上ってくることはありませんが、大けがのもとなので面白がるのは今だけにしておきます。


怪我のたえない日々ですが、おそらく頻度より程度の方が重要で、無理をすると軽傷が軽いものではなくなってくるはずなので、一日の練習時間にしても、ジムに行く日の間隔にしても、無理のないようにしているし、このペースを講習(開講はもう来週なんですね…)が始まってからも崩さないようにしたいです。司書講習は日曜休みでたしか9-16時なので、平日にもジムに行けるなら夕方からになります(ジムは22時までやっています)が、登った翌日の起床時がちとつらいので、夕方に行く時は最初は加減するようにしましょう。一日二食で朝を7時に食べるなら夜は遅くとも19時には食べたいので、行く日はジムで2時間弱動いてから、帰りにどこかに寄って夕食をとるといいかもしれません。講義尽くしの日々にはむしろ身体を動かす時間を意識的に間にはさむ方が身体が健全なリズムを刻めるはずなので、講義外の勉強も大事ですがなるべく両立させようと思います。

うん、講義にもまじめにとりくみますが、生活にもまじめにとりくみます。
思えばこういうことをできるだけの時間が有り余るほどあったはずの学生時代には、こんな発想は全くありませんでした。
なんとなくですが、サークルに入ってなくて、かつその頃に村上春樹の小説なり翻訳なりを日常的に読んでいれば*3、そういうことになっていたのかもしれません。
良いか悪いか、ではなくて。
 

*1:この動画の2:25くらいの動きがとてもわかりやすいです。

*2:学校の授業で喩えをしばらく考えたんですが、どうしても一方が学問型で他方が実技型になりますね。考えてみればあたりまえのことかもしれません。ということは、話はだいぶ飛躍しますが、あるコースが登れるようになる云々とは「便宜的なものにすぎない」ということにもなります。スポーツとしても、そうでなくとも、その「便宜的なもの」は重要ではありますが、それが目的というよりは、それは手段なのですね。いや、それを目的とすることで「スポーツ化」するのか。スポータイゼーション。…調べると、あるんですね、こんな言葉。→ Sportization - Oxford Reference

*3:内田樹氏の文章を、その文体が身体に染み込むまで読み続けてはじめて「このような意味」で村上春樹を読むようになったのですが。

無題11

 一寸先は 闇の奥
 バイクの照らす 夜の道
 走る男は 前を向く
 今日を限りと 今日も行き

 壁の向こうは 真の空
 宇宙を漂う 家の舟
 綴る男は 果てに行く
 知らぬと知れり 知らぬまま

 果てぬ夜空に 星多き
 座して名指せど 限りなし
 尽きぬ波間に 青深き
 いにしえの魚 ゆくりなし

ストレッチと基礎練習

ボルダリングは順調です。

朝食時に読んでいた入門書を読み終えたので、かわりにyoutubeで解説動画を見ています。
やはり実際の動きを見るのと本の挿絵や写真から動きを想像するのとでは情報量が違いますね。
一度だけリコメンドにつられて世界レベルのクライマの動画をいくつか見ましたが、なんというか、すごいんですけど今の興味の範疇には入らないようです。
上手い動きを見て、参考になればいいんですが、参考にならないつまり自分の身体の動きとして追体験するような想像が全くかなわない動きは、エンターテイメントにしかならない。
そしてもうひとつ、違う意味で情報量が余計に多すぎる。
それらの動画を見て、自分が見る視点がボルダラでなかった(なくなった)という経験から、やはり頭で考えていた通り「単純に上手くなりたいからやる」のが動機ではないなと確認できました。

入門書にあったストレッチをこまめにやっています。
壁登りの前後だけでなく、家での読書の合間にも、風呂上がりにもやります。
一つひとつの動きの型に時間をかけて、筋肉ののび具合や関節の曲がり具合をじっくり味わいます。
本にはストレッチのちゃんとしたやり方について説明があって、一つの型で「動かす関節」と「固める関節」がそれぞれどこかをしっかり意識する(「分離と共同」だったかな?)と、ストレッチ中の身体がシャッキリして、曲げたいところが曖昧にぐずぐずやるよりも曲がってくれます(なんとなく、ある一箇所を大きく曲げるならその周辺部も曲げに関与してやれば負担が軽減されるのではなんて思っていましたが、ストレッチの目的がその特定箇所の柔軟性を高めるためであるならば、その効果は薄れてしまいます)。
しばらく続けていて、開脚などで股関節の可動域が広くなってきたような気がしています。
前に書いた「ジムで一つクリアできそうな4級コース」で、あと一手が届かないその原因の一つがたぶん股関節の硬さで、手指の力の強さや体幹(きわどい姿勢で体勢を維持する力)も関わってはいますが、ジムで毎回そのコースに挑戦していれば、ある時にひょっとクリアできてしまうのではという想像をしています。
垂直壁ですが手の支えにほとんど頼れない(ホールドが平べったくて指数本しかひっかからない)状態で股を広げて、現状、今の限界よりも20センチ以上は足を上げる必要があって、これができるようになれば、結果として身体の変化が目に見えることになります。

とはいえ4級は取りかかるにははや過ぎで、6級と5級を中心にやっています。
ジムにある6級コース(白)は前傾がいちばんきつい1コースを除いてゴールには着けるようになりました。
5級(黄)からは天井にぶら下がるようなコースもあり、そういうルーフコースはほとんど手つかずで、また垂直壁でもスタートの次の2手目でもう行き詰まるコースもあって、クリアできてもむりやりが多いので腕にすごく負担がかかります。
今朝見た動画で「腕に負担をかけない登り方」の感じがやっとわかりそうなので、明日からは自己流を戒めて、7級に戻って基礎練をやろうと思います。
初めてボルダリングジムに行った時からこんなことやると運動部の一年生みたいな感じで身が入らないかもしれませんが、ある程度好き勝手に登ってしんどさがわかってくれば、驚きや充実とともに基礎練に打ち込める気がします。

ボルダリングと読書の合間のストレッチ&逆立ちのおかげで身体は概して健康なんですが、この間一つ盲点があって首を痛めました。
ジムが空いていた時に上に書いたルーフコースに初めて手を付けて、夢中になってコースを見つめて長い間イメトレをしていたんですが(1コース登るのに相当エネルギを使うので続けざまというわけにはいきません。ジムにいる間は登る時間よりイメトレの時間の方が長いです)、ルーフなので見上げる体勢になって、そのままじっとしていたせいで首を痛めたのでした。
イメトレ中だけでなく登っている間もホールドを探すために首を大きく動かすので、じつは首の負担も大きいスポーツなんですね。
首の健康は生活気力に関わってくるので、ボルダリング中もケアを忘れずにやろうと思います。
とりあえず今回痛めた首は回復しつつあります。
風呂に毎日入るといいかもしれません。

2日目(前):雨の軍勢、宇宙服的生活、自然な不自然

 " Think of nothing things, think of wind. "

 × × ×

 昨日は正面から入ってきた同じ門を右に出て、塀沿いに新たな道を進む。家が密に並んだ細い生活道が続く。雨はぽつりぽつりと降っている。色みはあるが分厚い雲で空は全く見えない。ザックは撥水だが防水ではない。バイク乗りが使う黒のザックカバーが別にある。トップのポケットに財布を入れているので雨の具合に敏感になる。下駄の防備も同様で、つま先から鼻緒をほぼすっぽり覆う「つめかけ」をいつ使おうかと待ち構える。今日の雨模様は知っていたので、昨日の夜にザックの中身を配置変えして、ザックカバーもつめかけも上の方にある。
 ぽつりぽつり、ぽつぽつ、ぽっぽっ、ぽぽ、ぽぽぽぽぽ……。
 雨雲は配下の落下傘師団を着々と送り込み、地上では立ったまま雨具を出す面倒さがぼくの中でしぼんできた頃、右手に神社が現れる。屋根つきで柱廊のような参道に石畳が整った矩形状に敷き詰められ、奥の祭壇の手前で4,5段ほどのコンクリートの階段がある。これはありがたい。参道に入り、階段にすわって荷を解き始める。初めての雨対応のために慣れない手つきで、時間がかかる。ごそごそとやっている間に何人か、さっきの道を遍路が通りすぎていく。昨日同じ寺に泊まった人だ。みんな出発前から準備済みなのだ。ぼくも当然そうするべきだったが、必要が生じるぎりぎりまで雨具をつけたくないと思って躊躇してしまったのだった。つめかけを装着して長いあいだ歩くと、小指がその合成皮革の内側とこすれて痛くなるのだ。だが実際に降ってくればそんなことは言っていられない。なんとかせねば。

 悪化すると思われた空模様は7番でお参りしている間に回復してくる。門からはじまって中の道も階段も建物も、やたらとごつごつした感じを与える。順路の石畳のまわりは砂利で敷き詰められている。敷地内に緑や土が少ない。それはすなわち「清められている」ということでもあるのだが、どうも居心地があまりよくない。
 毎年初詣に行っている大阪との府境近くにある京都の神社で、柵で囲われた一面が砂利の本殿の敷地内でかがんで何かを拾い上げている巫女たちを見たことがある。手にしたそれは落ち葉や木切れなどにも、周囲の砂利に対して不揃いな石ころのようにも見えた。敷地は森で囲まれていて、丈の高い広葉樹がすぐそばで旺盛に枝葉を茂らせているのだから、途方もないというか甲斐のない作業だと思っていた。でもあれはたぶん清めを意味する作務のひとつで、いったんその行為を甲斐がないという目で見てしまうと、神社の存在そのものに甲斐がないのだった。
 清めの行為やそれによって清められた空間というのは、不浄の手が伸びてくる可能性によって意味をもつ。家の掃除と同じで、ほこりが食器棚の上やフローリングのすみっこに溜まるから、はたきで落として掃除機をかける。食事のあとは、ご飯つぶや醤油でよごれたテーブルを水拭きする。いかなる汚れも存在せずまた生じ得ない家は、家事に追われて育児がお粗末な主婦が願わずにいられない理想の家かもしれない。でもそんな家はありっこないし、それに限りなく近い環境が実現できたとして、そんな無重力空間で宇宙服を着て生活しているような家族の子どもは、バラエティ豊富なアレルギ症状に日々悩まされることだろう。清められた空間に生気のなさや胡散臭さを感じるとすれば、それはその場所があまりにもきれいすぎるからではなくて、バーチャルリアリティ空間のように清めの過程がまったく想像できないからかもしれない。

 商店街ほどではないが、両脇のところどころに店が並び、その中には遍路用品店や民宿がある。この道から寺まではまだしばらくかかるが、どうやらこの道が寺へ通じる主要な道らしく、参道なのかもしれない。一度大きな車道を横切って道をさらに上って行くと、寺から下りてきた遍路のおじさんが立ち止まってこちらを見ている。
「ほお、珍しいので歩いてるね。ちょっと写真撮っていいかい? いい記念になる。顔は写らないようにするから、後ろ姿でいいよ。あと足もとのアップも一枚いいかな」
 こういうこともあるだろう、それも多々あるだろうと心積もりはしていたので、とくに疎ましいとも思わず相手の言うに任せる。話しかけられる機会が多いと、自分から話し掛けたり、こちらから積極的に話を始める意欲があまり起こらなくなる。話の流れにも悪い予感さえしなければ乗り続ける。話が弾めば話題に構わず盛り上げるし、おひらきの口上が述べられれば別れの挨拶で応える。相手に何かを求めてない以上はそれがもっとも自然なように思われる。ただ出会った人に好奇心旺盛にからんで行く人がその相手に何かを期待するからこそそうしていて、それが不自然であるというわけではない。自分の思う自然さが広く一般化できるとは思っていないし、みんながみんなそれが自然だということになればぼくもつまらなくなるに違いない。あるいはぼくが並々ならぬ興味を示して自ら関係を深めようとする人や物にこの先出会うかもしれない。それならそれで面白い。そういう事態が自然なかたちで起こることをぼくは望んでいる。つまり、身体に従って動けるようでありたい。この意志は、頭のほうからしてみれば、不自然なことだろうけれど。

(続く)

1日目(後):親切とは、札の功徳、「クス供養」

cheechoff.hatenadiary.jp

(承前)

 4番までは島の内側に向かう幹線道路に沿って進む。交通量が多く、その大半をトラックが占めているように見える。だが主要道からひとつ右に入ると(左でも同じことだが)、そこはほとんど車が通らない、通るとしても自家用車や小型の配達車くらいの、閑静な生活道になる。車どころか歩く人さえ、立ち並ぶ家の数を考慮すると少なく思える。
 カッ! カッ! と感嘆符を付けたくなる甲高い一本歯の歯音が、おのおのの家のベッドや布団で寝ている人々を起こし回っているように響きわたる。もう昼前だというのに、みんなまだ寝ているんだろうか。あるいは子どもが学校へ出て行ったらお昼ごはんの前まで二度寝するのがここらの主婦の習慣なのかもしれない。うん、悪くない習慣だ。

 行く先々に、主に電柱に、あとはたとえばカーブミラーや橋の欄干などにシールが貼られている。白地に赤の矢印か、もしくは同じ配色で菅笠をかぶり杖をもった人のマークだ。分岐した道を選ぶ必要のある場所にでくわすと、車も通れない込み入った細い道が分かれるところにも、片側二車線で上を歩道橋がまたぐような広い交差点にもシールがある。地図なんていらないと思えるくらいだ。その赤白のシンプルな目印たちもやはり道になじんでいて、しだいに彼らに先導されて歩いている気分になってくる。シールを見かけない時間が長くなると、道を間違えたんじゃないかと不安になってくる。うーん、なんだか博物館の順路をまじめに守って歩いているみたいだ。これでいいのだろうか。

 遍路道を歩いていると、わざわざぼくらのためにつくってくれた小屋やベンチがある。こういう意図も相手もあきらかな親切は、誤解の招きようがなくてありがたい。世の中には何を思ってのことかわからず、またあらゆる人々に向けられているようで誰も自分に向けられているとは思わないような行為を「親切」と呼んで憚らない。人と人のあいだのやりとりにお金が関わるのであれば、お金と商品以外のことは何も考えなくてよいはずだし、やりとりの場にいる人ならばその素性とは何の関わりもなく当事者である。ただそれはやさしさや親切とは関係がない。そこのところをごっちゃにしてしまうと、変なところで人をあやしんでしまうし、逆にあやしむべきところで無防備にふるまうことになる。その意図と相手が明確であるならば、親切がおしつけでもおせっかいでも構わない。むしろそのときに、親切の親切たるゆえんである、その過剰にして独りよがりな「よけいな心づかい」が活きてくる。逆にいえば、寸分の隙もない親切とか、システマチックな親切なんてものは存在しない。
 地元産らしい木でつくられた東屋ふうの遍路小屋の中のベンチにありがたく、そして遠慮なく腰を下ろす。下駄を脱いで指を動かし、足首をくるくる回す。ちょうどよい小屋やベンチがない時は、植え込みの丸石や神社の階段などで同じように休む。長く続けて歩けないので、だいたい1時間ごとに休憩をとる。

 4番はこれまで歩いてきた生活道をそれて山の方へ少し進んだところにある。敷地の左側は山に面していて、門の前にある駐車場は広く、中も広々としていて庭園風だ。空が近く感じるのは、寺の木や建物と、山と空とがぴったりくっついて見えるからかもしれない。
 お参りをして門を出たところで、物売りのおばあさんに声をかけられる。家の畑でとれたらしい野菜や果物が、砂地の駐車場に広げられたシートの上に所狭しと並べられている。会話を交わすうちに、元気をつけていきなさい、と売り物である干し芋をいただく。そういえばと、寺に納めるお札をおばあさんに手渡す。お接待を受けた遍路はお返しとして札を差し出すのだ。遍路の札には、彼の巡礼による功徳と同等のものがあるという。お札はお金の代わりという言い方がされることもあるが、遍路が彼のふところから取り出す札には、彼の名前と居所、そして彼が巡礼に込める願いが、彼の手で書かれている。それゆえに、お金には宿らない功徳が札には宿るのだと思う。

 寺を出てもと来た道を、頂いた干し芋を食べながら戻る。直線でそれとわかるずっと先を歩いていた遍路の女性が、往路にも見かけた東屋のベンチで休憩しているのが見える。髪は短く、さっぱりとした色でこぎれいなシャツとズボンに、軽装のリュックを背負っている。ぼくはもっていないが、ほとんどの歩き遍路と同じように、そのかたわらには金剛杖がある。横を通りすぎる時に黙礼であいさつを交わす。結果的にそうなったが、決して干し芋で口がふさがっていたから声をかけなかったのではない。同業者というのか、同じ立場どうしだからこそ、目だけで必要最低限度の内容を伝えることができる。時には、とても多くの内容を。気のせいと思ってもらってもよいが、目配せしたお互いがその「気のせい」を感じたとすれば、それはもはや立派に会話として成立したことになる。

 田んぼが広がる開けたところにぽつねんとある5番を経て、対照的に道幅が狭く密な家並みの中でこんもりと木々を茂らせてその存在を控えめにアピールしている6番にたどりつく。中は粒のそろった砂利が敷き詰められていて、歯が砂利にめり込んで足をとられる。敷地の中ほどより奥の、本堂と宿坊のあいだのベンチまでゆっくりと向かう。寺ではまずベンチに座り、ザックに積んであるスポーツサンダルに履き替えてからお参りに向かう。
 履き替えている時に声がしたので振り向き、3番で会った業者のおじさんと偶然再開したことを知る。同じバンのうしろのトランクを開けて、同じようにそのそばに立っている。白の混じった長い銀髪を後ろで留めて、機敏に上下する額の横しわが目立っている。きちんと整えられた鼻下の髭も白まじりの銀色だ。おじいさんと呼ぶべき容貌だが、身のこなしの軽さはおじさんと呼ぶにふさわしい。きっとまた会うと思うよ、と最初に言われた通りになったが、仏具か何かの業者なのだろうか。彼は一本歯を珍しがったので、昔ながらの履物屋ならどこでもあるんじゃないですかと言ったら、四国では見かけたことがない、と言う。京都と東京では売っているのをこの目で見たが、それだから全国どこでも同じようなものだろうと旅に出る前に結論したのは早合点だったらしい。道中で歯がすり減った時に新しい下駄が現地調達できるのか。この点で初めて少し不安を感じたが、まあなるようにはなるし、なるようにしかならない。明日は昨日の風が吹く。あれ、違ったか。

「温泉山」の名に違わない、立派な大浴場で足の疲れを癒す。念入りにマッサージをする。勢い余って夕食後にも入る。宿坊の部屋はシンプルなビジネス旅館のようだ。畳敷きで装飾がほとんどない。窓が車道に面していて、夜でも車の往来が途絶えない。
 ふつうは翌朝にあるらしい寺でのお勤めは夕食後にあった。特定の人を供養できると聞いて、祖母とある女の子の名前が同時に思い浮かぶ。7年前に若くして生涯を終えたぼくと同い年のその女の子の葬式に呼ばれたが、ぼくは行かなかった。生前の付き合いを思えば何をさしおいても行きたかったし、そしてまず間違いなく、棺の前でうめき声を抑えられないくらい激しく泣くだろうと思った。行かなかったのは、行けば「戻れなくなる」と確信したからだった。彼女の死を遠くの地で知り、それから数日間は、ぼくのすぐそばで人が楽しそうに笑っているのが信じられなかった。話しかけられても返事のための言葉が浮かばず、なぜお前は僕の前で笑っていられるのか、と本気で考えていた。なぜ泣かないのか、とまでは考えなかったが、それが理不尽であることもわからず、ただただ目の前の笑顔が信じられなかった。自分と目の前にいる人とのあいだに無限の距離があるように思えた。そういう時はそっぽを向いたか、むりやり愛想笑いをしてごまかしたかもしれない。変な奴だと思われたかもしれない。でももちろんそんなことはどうでもよかった。あるいは、悲しみを一人でため込んで、さらに余計な悲しみを増やしてしまったのが良くなかったかもしれない。葬式に行って、みんなと悲しみを共有することで、なぐさめられたのかもしれない。そのことも頭には浮かんだが、それでも行かなかった。そしてその悲しみを、たぶん「余計な方の悲しみ」を未だにひきずっている。だからここで彼女の名前が浮かんだことにも驚かなかった。八百屋の前を通るだけで思い出すくらいなのだ。だからいいと思った。ここでは書かないでいい。ここで書くのは、忘れるために書くようなものだ。彼女がどう思うか知らないが、それを想像する権利はぼくにある。そしてあるのはそれだけで、彼女の思いを決めつける権利なんてないのだ。ぼくにも、誰にも。
 けっきょくは、祖母と、名も知らぬ先祖の方々の名(つまり自分の名字)を札に書いた。本堂の奥、洞窟のように暗く抜ける廊下の先にある幻想的な、いや幻想上の川で灯籠流しをする。クスの若木に札を結びつけて、浜に植える。祖母の生前の姿を思い浮かべる。そして入寂された日のことも。あの日のことは生涯忘れない。それはぼくの中にしかない形で。

遍路の白衣は死の擬制であるとは、その通りなのだと思う。
この世を去った人々との距離が、自然と縮まる。

1日目(前):形而上的重み、初お接待、正確な言葉

「ねえ、ジギー」と僕は声をかけた。
「俺たちに欠けているものは細部(ディテイル)なんだ」と彼は言った。*1

 × × ×

門を入れば小さな橋で渡る池があり、鐘があり、宝物庫があり、堂が2つある。堂にはそれぞれ寺の本尊と弘法大師が祀られている。手と口と目を清め、鐘をつき、勤めをする。むにゃむにゃ真言などを唱える。恩在るは米露原発、またとなく間に合わずして、死んだまま腹這いにて進む。むにゃむにゃ。賽銭は今後のことを考えて、麻紐に通した五円の束を丸ごと放り込む。ごとごと、ごとりと重みのある音は賽銭箱がうめいているように聞こえる。市場主義社会の縁にはこのように物質的な重みがある。あるいはそれはもう時代遅れで、形而上的な重みが円の縁たるゆえんであるのかもしれない。次いでお札を納める。願い書きは「身体賦活」。願いが遍路を歩くことに直結していて単純明快である。行く手に点在する寺で、願った分だけ叶っていく、ように歩くべし。

門の内側に置かれたベンチで一本歯を履く。そして歩き始め、旅が始まる。気負いがあって始めはぎこちないが、だんだんと一歩が確かなものになっていく。下駄が愚直に伝えるアスファルトの硬さも、ゆっくりとした歩調も、歩みを積み重ねていくなかで必然性をまとっていく。

2番の寺に入る道が細い畦道になっている。「雨が降ると歩きにくくなります」という看板は水を吸い込むとどろどろになりそうな土の地肌のことを指しているようだ。それはそれで結構。今は晴れているし。だがそれとはべつに道が左に傾いている。畦道をはさむ田んぼに段差があるためで、下駄でまっすぐ歩くと力学的必然から体が横に倒れてしまう。仕方がないのでカニ歩きをする。歩みはさらに、そして一気に遅くなる。じれったくなってカニ歩きの改良を試みる。横向きに出す足の歩幅を大きくして足をクロスさせる。クロスステップ。バスケ部のウォーミングアップのようだ。だがクロスする足は前後を入れ替えない。「足長カニ歩き」といったところか。

懐かしい墨汁の匂いに全身をすっぽりと包まれる。しゅるり、しゅるりと有機的な勢いで紙の上をすべる筆先を、一心に見つめる。納経所の女性は筆をおき、帳面と寺の本尊が古風なイラストで描かれた紙を渡してくれる。
さらにもう一枚、紙をとり出す。
「今日の宿はもう決められましたか?」
「ええ、6番の宿坊に泊まろうかと」
「宣伝というわけではないんですが、ここの宿は送迎をやっていて、その日に歩き終えた場所まで車で来てくれて、翌日はまた同じ場所に送ってくれるんですよ」
送迎と聞けば手抜きのようだが、なるほどそれなら「歩き遍路」の理に悖っていない。こんな便利なものがあるのか。野宿するための準備をもたずに歩けるのも、こういう宿があるおかげだろうか。

昼食を買うために、地図にあるスーパーに寄る。店まで来ると、スーパーというより個人商店である。レジの横には石油ストーブとその周りに椅子が並び、おばあさん達がくつろぎながら喋っている。早口でいて力みのない声が、ストーブの上でやかんがふきだす湯気に吸い込まれていく。
「すみません、おにぎりみたいなもの、ありませんか」
「お寿司ならあるけどねえ、そこに。おいしいよ」
「はあ。歩きながら食べたいんですが」
「あらあら、お遍路さんね。あらまあ、下駄履いてるの。それで歩くの、歩きにくくないの。あらそう、まあちょっと休憩していきなさい。お茶かコーヒーか、どっちがいい?」
その場の流れでお茶を頂くことにする。お接待とはこのことか、しかしなんとも自然だ。見知らぬ他人に親切にすることが彼女らの日常生活に含まれていて、赤の他人であるぼくも、無理なくそこに溶け込んでいる。座布団がのった椅子に腰を下ろし、両手で湯呑みを受け取る。熱いので吹いて冷ましていると、商品の棚をすりぬけて猫がのそのそと歩み寄ってくる。体をこすりつけながら足もとをくるくる回り、下駄に前足をのせてきたので手で誘ったら、膝に飛び乗ってくる。なんの根拠もないが雌に違いない。背中の毛を空いた手でなでる。生き物の温かみに触れるのは久しぶりのような気がする。
「あら、お寿司ここで食べて行かないの。じゃあ袋もってくるわね」
ずっとここにいられそうな心地良さだったが、お茶を飲み終えて早々に立ち上がる。
「気をつけてね」
常套句に余りある響きを、その言葉に感じとる。

店を出てふたたび歩き始めると、うしろから声をかけられる。さっき僕が店の椅子に落ち着いてから入ってきたおばさんだった。
「私の家も遍路道と同じ方向にあるんです。この先少し行って曲がるところがあって、お遍路さんそれに気付かずによく通り過ぎちゃうんですよ」
二人で並んで歩きながら、世間話になる。もちろん「歩き遍路的世間話」だ。どこから来たのか、四国は始めてか、等々。ぼくの場合は下駄が珍しいから、おおかたの場合まずはその話になる。「なぜ下駄を履いているのか?」と。理由は、というかこうなったいきさつはあるにはあるが、初対面の人に手短かに伝える説明を用意しておらず、もごもごしてしまう。あるいは軽い調子で「趣味が高じて」などと言って、あとで後悔したりする。おばさんも京都にいたことがあって、昔ヤセに住んでいたらしい。八瀬遊園の八瀬だろうか。高1の夏休みに、なにかの課題をやんちゃにこなすべく大阪市から自転車で、東大寺などに寄りつつ八瀬遊園までクラスメイトと3人で行ったことがあった。帰りに大雨に降られ、タクシー会社の敷地内(洗車ができる車庫だったろうか)で雨宿りさせてもらったのを覚えている。「昔は京都も静かだったけれどねえ」。あの八瀬なら、今も静かであることにそれほど変わりはないだろうと思う。

自分のことについて人に伝える場合は、正確な言葉を使わねばならない。面倒だからと適当にごまかすと、そのごまかしの言葉は時に実際的な力をもつ。目の前にいる人の頭の中に「ごまかしの言葉からなるぼく」が生まれ、彼はぼくにゆさぶりをかけてくる。君は「ぼく」みたいなぼくじゃないのか、この人はそう思ってるぞ、と。だからぼくはその人の目を見て喋ることができない。その人の目に映る「ぼく」は、どうしたってぼくであるはずはないのだが、ぼくの言葉が軽いほど、その人の目はぼくを動揺させる。

とはいえ、後悔も動揺も、すぐに忘れてしまうのだけど。

(続く)

*1:『熊を放つ』(ジョン・アーヴィング