「羊男」は羊かい? それとも羊飼い?
なぜ憎みあうのか? ぼくらは同じ地球によって運ばれる連帯責任者だ、同じ船の乗組員だ。新しい総合を生み出すために、各種の文化が対立することはいいことかもしれないが、これがおたがいに憎みあうにいたっては言語道断だ。
ぼくらを解放するには、おたがいにおたがいを結びつける一つの目的を認識するように、ぼくらに仕向ければ足りるのだから、これは、ぼくらのすべてを結びつける部門に、たずねるのが捷径(ちかみち)というものだ。患者を診察する外科医は、その患者の病苦の訴えを聞いているわけではなく、彼はこの患者を通じて、人間を治そうとしているのだ。
「人間」p.223 (サン=テグジュペリ『人間の土地』)
「ぼくらのすべてを結びつける部門」。
テグジュペリは引用部に続いてその例をいくつか挙げていますが(一つが「外科医」)、
『ダンス・ダンス・ダンス』(村上春樹)をちょうど読んでいるところの僕は、
ここを読んだ瞬間に「うってつけの男」がいることを思い出しました。
そうだ、ここはひとつ、「羊男」にたずねてみよう。
「君はここで何をしているの? そして君は何なんだろう?」
「おいらは羊男だよ」と彼は言ってしゃがれた声で笑った。「ご覧のとおりさ。羊の毛皮をかぶって、人には見えない世界で生きている。追われて森に入った。(…)そしていつからだったか、森を離れてここに住み着くようになったんだ。ここに置いてもらって、ここの番をしている。おいらだって、雨風をしのぐ場所は必要だものね。森の獣にだってねぐらくらいはある。そうだろう?」
「もちろん」と僕は相槌を打った。
「ここでのおいらの役目は繋げることだよ。ほら、配電盤みたいにね。いろんなものを繋げるんだよ。ここは結び目なんだ──だからおいらが繋げていくんだ。ばらばらになっちまわないようにね、ちゃんと、しっかりと繋げておくんだ。それがおいらの役目だよ。配電盤。繋げるんだ。あんたが求め、手に入れたものを、おいらが繋げるんだ。わかるかい?」
「なんとか」と僕は言った。
村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス(上)』
「君は、羊かい? それとも、羊飼い?」
という低級のダジャレを最初に閃き、
「相変わらずテニスだなあ」と思いながらくるくる弄んでいたのですが、
そのうちこれはダジャレとしては低級でも、
「結び目」としてはしっかり役目を果たしていることに気付きました。
なぜなら、最初の抜粋はこう続くからです。
外科医は万国共通語を話す。同時に分子も星雲も二つながらとらえうる、ほとんど神慮に近い方程式を考える場合の物理学者とて、同じことだ。これはまた、貧しい羊飼いについても同じだと言える。なぜかというに、星の下でつつましく数頭の羊の番をしている羊飼いが、もし自分の役割を正しく認識したなら、自分が単なる下僕ではないと気づくはずだから。彼は歩哨なのだ。しかもおのおのの歩哨は、一国の安危をその双肩に担っているはずだ。
p.223
「羊男」とは羊であり、そして羊飼いでもあるのです。
× × ×
- 作者: 村上春樹
- 出版社/メーカー: 講談社
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佐々木マキ氏の表紙絵がポップでステキです。
カバーを取ると、同じ絵で配色が「闇」になります。
ちょうどMOTHER2(懐かしい…!)の、
フォーサイドとダークサイドの関係のよう。
そしてこの男女のコズミックな関係の象徴が、
二人の頭上で互いに引き寄せられて浮かぶ、
2つの「遊星」です。
まだ上巻の半分しか読んでませんが、続きが楽しみです。