human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

「止血歩行」と「肩歩き」のこと

和歩の話です。久しぶりに長いです。

先週読んだ『オニババ化する女たち』(三砂ちづる)の内容にヒントを得ました。
本の全体がタイトル通り女性の身体に関わる話なのですが(本書の副題は「女性の身体性を取り戻す」です)、一箇所だけ歩き方についての記述があります。
抜粋したら早いのですが先にやると今頭にあることが引きずられそうなのでそれは最後にやるとしてここでは記憶で書きますが、
男には到底実感の持てない話ですが、「経血を止める身体技法」というのがあって、今みたいに出る分を全部吸い取るのではなく感覚を研ぎ澄ますためのちょっとしたアイテムを昔(今で90歳くらいのおばあさんの頃)は使っていたらしく、そのアイテムの使用時には歩き方も独特なものになって、それが舞妓さんのすり足の歩き方と似ている、というその歩き方の説明の中で、
 「股を引き上げる」
という表現がたしかあって、これを読んだ時は「???」と、どういう状況か全く想像がつかなかったのですが(ついたらついたで「!??」という感じですが)、歩き方の話なので興味はあって、なんだろうと思いながら歩くうちに、現段階で和歩の課題としている「尻を胴体に収納する」こととリンクしているのではと思い当たりました。
「収納」の話は前↓に書いた気がします。cheechoff.hatenadiary.jp
で、尻を収納するというのは端的には尻(で言えているのかわかりませんが、臍より下かつ足の付け根より上の部分ですね)を前に出すことなのですが、それはたぶん骨の(ヒンジ的な)構造からいって「厳密に前」というより「前方斜め上」になるはずです。
そして尻が多少なりとも上がるということは股も上がるはずで…とここまで書いてきたのは実際の思考の運びとは逆で、ほんとうは「股を引き上げる? 股を上げる…ん、今自分がやってる(←歩いてる時の話です)これのことやないかな…そうか、尻を収納しよ思たら斜め上になるちゅーことか。股を前に引き上げるわけやな。そら腹もへこむわ」という感じでした(なぜか関西弁)。
しかし股というのは身体の部分の名前のようで、特定の部分は指していない概念的な言葉のようにも思えます。
たとえば「股が裂ける」と言いますが、厳密にいえば「尻が裂ける」なのかと思えば「いや、尻は既に裂けている」と言われればその通りで、この場合は股関節とか尻まわりの筋肉とかのもろもろを含んで「股」としているのでしょう、たぶん。


で、この…ちょっとデリケートな話なのであまり変な言い回しを避けた方が良いのですが、「止血歩行」(とだけ書いても意味不明ですね)を尻の収納とリンクさせて歩いているうちに、「肩で歩く」ことに思い至りました。

これの経緯がまたちょっと長いのですが、歩く時に着地の衝撃を足だけでなく全身で受け止める(全身に流す)方が負担が和らぐはずで、多田女史の本(この話も上のリンク記事に書いたはず)の中では「尻が胴体に収納できずに尻と胴体が分離している」状態だと着地の衝撃が腰から上には行かず腰に負担がかかるが、「収納」できていれば着地の衝撃が肩に(左足なら左肩に)逃げる、といったことが書かれていました。
これは片側の踵から同じ側の肩までに仮想的な軸を通すイメージに因るのですが、そういえば過去に歩行時の手の振りを考えていて、足の着地と同時に(同じ側の)手を仮想的な(ちょうど手を下に垂らした高さくらいにある)地面に着地させる、といったイメージをしたことがあって、それと同じ発想で「ほな肩で歩いたらええやんけ」と思ったのです。

ただ同じと言いながら違うというのは、別に肩がどこかに着地するわけではなくて、あくまで「肩で歩く」という言葉が最初に出てきて「具体的にどないしよ…」と(もちろん歩きながら)考えることになるのですが、そこで思いついたのが足裏のメタファです。
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(画像はこちらからお借りしました)
たとえば裸足で硬い床の上を歩く時にかかと部から着地すると、着地の衝撃がズシンと全身に響きます。が、踏み付け部→かかと部の順に着地すると、(たぶん)足首の関節のバネが効いて衝撃を吸収することができます(昔、『落第忍者乱太郎』(尼子騒兵衛)で忍者の歩き方の解説があったのを覚えていますが、踏み付け部→かかと部→足趾部の順で着地すると板の間でも足音を消せるのだそうです)。
……。
…歩きながら「このメタファだ!」と思ってルンルンだったのですが、いざ書き出してみるとよく分からなくなりました(笑)
「肩を(足裏のメタファにおける)かかと部とみなして、最終的に肩も着地するようなイメージ」か、と今考えましたが、歩きながらイメージしていたのとは違う気がします。
「衝撃を吸収・分散する」という課題が共通していて連想しただけかもしれませんが…
あ、「かかと部から肩までの身体部位を上に書いた”足首の関節のバネ”に見立てる」というイメージの方が近いかもですね。
随分と大雑把なイメージですが。


そしてあと一つ書きたいのは、これはあまり説明ができないのですが、上に書いた「股の引き上げ&尻の収納」と「肩歩き」はどうも同時に実行するのが難しいようで、しかしながら両立させるべきもののような気がしています。
これが両立できればワンステップ先に進めるような気が…ところでしかしこれは一体どこへ進む気なのか…。

最後に、最初に先延ばしした抜粋をしておきます。

今六十の芸妓さんは、下着を着けていないので、月経のときはやはり外に当てないで、中にちょっと詰めていたということです。詰めておられたの「生(き)ずきの紙」というものを丸めたものです。
(…)
 生ずきの紙を入れていると、意識するので、落とさないように歩かなければなりません。芸妓さんにこの実践を聞いた後、日本舞踊をよくする友人は、「生ずきの紙を落とさないように歩くということは、踊りの歩き方と同じだ」と言っていました。股を引き上げるようにして、腰を入れて、下半身は安定させ、上半身はゆったり力が抜けている、すり足のような歩き方です。これは、日本女性が昔から行なってきた身体所作と密接に結びついているに違いありません。
 このように歩くと、「小またの切れ上がった」姿勢が自然にできてきたわけでしょう。
三砂ちづる『オニババ化する女たち』p70,73

ちょっと記憶が違っていましたね…まあ(読み手の思考の)趣旨とは違うところではそんなものです。