human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

鎖骨で歩く

謎めいたタイトルですが、そういう話です。

前に「肩で歩く」話を書いたような気がしますが、あれの進化版です。

まえおき

読書もデスクワークもそうですが、
長いことやっていると上半身が固まってくるので、
こまめにストレッチをしています。

案外家にいるより外にいる方が回数が多くて、
仕事(は一日中PCとの共同作業です)中だと一日に最低4、5回は、
ストレッチのために席を立ちます。
健康管理も仕事のため、と思えばストレッチも仕事に含まれます

Veloceで本を読む間は、Lサイズのコーヒー以上に水を飲むので、
水をくみにいくついでにトイレでストレッチをします(順序は逆ですが)。
こちらはマジメな時は1時間に1回くらいの頻度です。


で、ストレッチは首のためにやっていて、
1セットの内容も試行錯誤のうちに固まってきたのですが、
一番最初に(たぶんですが)鎖骨を開きます。
両腕を後ろに引いて胸を前に出すのですが、
その時に(たぶん)鎖骨がポキッと鳴ります。
(それは潤滑油(?)の泡がはじける音だ、という説も聞いたことがありますが)

この音の大きさは胸を閉じていた時間に比例するようなので、
ストレッチを定期的にやっているかどうかのよい指標になります。
(胸が閉じる:肩を縮こめる、首をすぼめる、(上半身が)前屈みになる、等々による。
 要するに座る姿勢が悪いのですが…)
大きく鳴れば前回のストレッチから時間が経って身体が固まっていたことがわかるし、
音が鳴らなければストレッチのやり過ぎか姿勢が良かったかのどちらかです。
(意識して肩を開いて座っていると音が鳴らない傾向にありますが、
 これも一面では無理をしていて、やりすぎると背中が張ることになります)

ほんだい

読書や仕事の合間にやるストレッチでは鎖骨が開く音がして、
けれど実は長時間歩いた後にも鳴ることがあります。
…ということに気付いたからなのか、ちょっと忘れましたが(忘れてばっか)、
「もっと胸を張って歩けないものかしら」と考えてみました。


和歩を簡単に(導入的に)意識する方法として、
「前に振り出した足と同じ側の肩を前に出す」があります。
(これだけならバスケのディフェンスのイメージが近いですね)
こうすれば足と同じ側の腕が前に振り出されることになる。

ただ、肩を意識しすぎると振り出す足が変わる時の上半身の切り替えがぎこちなくなります。
実際は肩だけでなく色んな身体部位が恊働しているはずですがとりあえずそれはさておき、
その足と同じ側の肩を前に出す場合で、
振り出した足が着地した時に「肩で(肩も?)着地する」ことを意識してみます。

この時、腰がねじれていなくて(和歩で大事なのはここです)、
足裏から肩にかけて一本の筋が通っているようであれば(この表現は多田容子氏の受け売りです)、
足の着地の衝撃を下半身だけでなく上半身も使って和らげる(全身に力を分散する)ことができる。

というひとつの暫定的な理想型があって、
僕自身はできているかどうかよく分かりませんが、
今日の帰りにこの(肩ではなく)「鎖骨バージョン」をやってみました。
つまり、足と同じ側の鎖骨を振り出し、足と同時に鎖骨も「着地」する
そして元々の目的である「鎖骨を開く(胸を張る)」ことも維持する。


で、その感触なんですが、
今まで鎖骨を意識して歩いたことがなかったので(ふつうはありませんが)、
新しい感覚がいろんな(身体の)箇所に起こったのか正直よく分かっていません。
が、「こうではないか」ということを書いてみると…

まず「肩を開く」より「鎖骨を開く」方が、無理が少ないというか、
上半身において固まる領域が少ない
気がしました。
これは頭で考えてもそうかもねと思えることで、
両肩だとその間が身体の左右方向の端から端までになりますが、
鎖骨の両側(今書いて気付きましたが、これは一体何を指してるんでしょう?
骨格見本見ないでテキトーなこと書いちゃってますが…)の方がその間の幅が狭いのです。

もう一つは、肩より鎖骨の方が「足裏からの筋(=仮想的な軸)を通しやすい」ように思いました。
これも、身体の中心軸からの距離を考えれば肩より鎖骨の片側の方が近いので妥当な考えです。
軸を意識できるということは、歩行に全身を使えているということです。
(この「使う」というのは、西洋歩きの「テコを使った腕振り」とはまた違います。
 あれは足と腕がタイミングを合わせて動いているだけで「恊働」ではありません。
 …という言葉遣いは僕独自のものですが、いちおう僕が想定している理想の恊働性は、
 武道でいう「身体各部が"鰯の群れ"のように動く」ことです。
 この理想にはまだ全然近づけていなくて、歩行の足の踏み替え時の複雑さ等を考えると、
 自分で「ホンマかいな」と疑ってしまう段階ではありますが)
この感覚はスーパーで買い物をして両手に袋を提げている時に感じたもので、
下手に末端が自由であるよりもむしろ制限がかかった方が意識しやすいのかもしれません。

この「鎖骨歩き」はちょっと面白そうなので、
次に歩く時もやってみようと思います。