human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

尻容れ、肩開き、3軸のこと

首凝りと和歩の話です。

接骨院に通っていて、治療自体の効果はまだ出ていませんが、院長先生と話をする中でいろいろヒントが得られております。
話の主題は肩・首の凝りなのですが、もらった言葉を咀嚼するうち歩き方にも考えが及びました。

最近、というか今日気にし始めたことも含めて、今和歩のフォームで気をつけているのは以下の3点です。

(1) 尻を胴体に「収納」する
(2) 肩を「開く」
(3) 3つの軸を(独立に)意識する

1つめは『自分を活かす古武術の心得』(多田容子)に書いてあったことで、これを読み終えてからずっと意識しています。
これは歩く姿勢だけでなく椅子に座る姿勢や正座の姿勢にも当てはまる話です。
まず自分の話ですが、僕はいつも背筋を伸ばそうとすると尻-腹-肩のラインが腹が前に突き出るように反っていました。
このこと自体は接骨院で先生に(自分の立姿勢を横から撮った写真を見ながら)説明されるまで気付かなかったのですが(つまり本を読んだのはこれより前)、これは胴体と尻が分離している状態だ(と理解しています)。
多田女史の本ではたしか「胴体と尻が分離している状態だと歩く時に腰から下だけで歩いてしまう」が(それが腰の負担になる、とも書かれていたような…ちょっと記憶が曖昧)、一方で胴体を尻に収納できていれば歩く時の足の衝撃を肩まで逃がすことができて全身で歩ける、といったことが書かれていた。
今日歩いていて、尻-腹-肩のラインを極端に反らせた状態(腹が前に出て尻が後ろに突き出る姿勢)で歩いてみるとまさに「腰から下で歩いている」ようで、そうかこれか、と思いました。
(ちなみにこの極端な姿勢で歩くと腰が上下に弾んでしまいます。和歩やナンバ歩きの「すり足」と対照的ですね)
この極端な姿勢から何が得られるかというと、その逆をやれば(=腹を引っ込めて尻というか股関節を前のめりにすると)たぶん「尻の胴体への収納」ということになるはずで、歩いてみた感じではたしかに身体の特定部位に衝撃がくる感じがなくなりました。
それがいいかといえば、まだよくわかりませんが…

2つめは、1つめと一緒にやると効果的に思われます。
これも自分の癖ですが、自分の立姿勢や座る姿勢で「肩をすぼめる」のが自然状態になっているようです。
これは今日読んだ『寝ながら学べる構造主義』(内田樹)にあった、学校教育で「体育座り」を馴致させられたせいかもですが、まあ昔から猫背というのがあって、肩凝りの主要因子でもあります。
これがなかなか治らないと思っていたのですが、どうも「尻の収納」と相性が良いというか、今までの姿勢から「尻の収納」だけをやろうとすると上半身が前のめりになってしまうところが「肩を開く」を一緒にやることで上半身がまっすぐ伸びるようなのです。
そして今日の駅からの帰り道をこの姿勢で歩くと首の凝りが(土曜日の同じ時間帯の)いつもの感じよりもマシになったような…これは気のせいの可能性が高いですが。

3つめも多田氏の本にあった話で、これはナンバ歩き(か、武道における歩き方、と書いてたかもしれません)についてで、頭からまっすぐ下を通る軸と、左右の肩からそれぞれ踵に降りる軸の、計3つの軸のことです。
上で「足の衝撃を肩に逃がす」と書きましたが、この感覚がたぶん肩-股関節(の片側)-踵を通る軸の意識と通じている気がします。
これの利点というか効果を表現するのは難しいのですが、たぶん甲野善紀氏が武道的な身体の使い方の例でよく言う「鰯の群れの急旋回」のイメージと似ているはずで、身体の中枢が各末梢に命令を伝えるのではなくて末梢が(命令を待たずに?)同時に瞬時に動けることで身体内における力の伝達の滞りがなくなる、とかなんとか…。(だんだん自信がなくなる)
鰯の話は「おこり」(=初期微動)をなくした動きをするとかそういう文脈で使われていた気がします。
だから今回の歩き方の話とは効果が違うようですが…末梢が独自に微調整して動けるなら局所的にかかる負荷を減らせる、ということでしょうか。
(いや、軸を「末梢」というのも変だな…そもそも軸は仮想的なイメージだし)

うーん、ちゃんと考えないと言葉が当てずっぽうになってしまいますね。
とりあえず、この3つをしばらく意識してみて、何か変化の徴候が見られればまた書きたいと思います。