human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

サブリミナルチャージについて

 
草履で歩きながら思いついたこと。

 × × ×

「足指健康ぞうり」という、指がひっかかる突起(スペーサー)が土台についた草履をここ二年ほどずっと履いてきたんですが、数ヶ月前か半年か前に買った2足目の足裏の減りが激しくて(歩き過ぎもあり、歩き方の変化もあり)踵付近の土台に穴が開くほどで、それほど安くない草履なので消耗早いし次は安めのを、と思ってAmazonで適当に買ったやつがスポンジ底で、やたらフワフワして足が変に力んで気持ち悪くて二回ほど履いてこれは失敗でいいやと思って(でも丸ノコでスポンジを大方削ってなんとかならないかなとか考えてる)、¥2,000は勉強代と割り切ったんですが、一方でこのフワフワ草履のおかげで思いついたこともあって。

いつもはオフィスから家まで(途中の買い物も合わせれば)1時間以上歩いても、足は疲れるだけで平気で(ボルダリングで一日中登った後もいっしょ)、でも件のフワフワ草履はちょっと近所のスーパーまで往復(20分くらいかな)しただけで膝が痛んで、靴全般の「ショック吸収」の機能について改めて考えさせられました。


自分の感覚でいうと、地面を歩く時に足裏(足裏と地面のあいだ、一般的には靴底ですね)がフワフワしてると、身体に「軸」が出ません。

身体の中心に軸があると想定して、とか想像して、とかスポーツなぞで言いますが、そしてその想像にも一定の効果はあるんですが、それとは違ってもっと実際に「ある」もので、元は時代小説家・多田容子氏(内田樹合気道の師匠が父親だったはずです)の古武術に関する新書で読んだ、身体の中心だけでなく、その両側、左右各々の脚から肩甲骨を貫く2本の軸と合わせた「3本軸」の理論なんですが、自分がいまナンバ歩き的な歩き方ではそのうちの左右2本が、歩いているとはっきり出てきます。

前に「肩甲骨で歩く」という話を書いた気がするのですが、それは気持ちとしては歩く時に、足裏ではなく肩甲骨が接地するというイメージで、それが実際に足裏が地面の衝撃を感じるように肩甲骨が感じられたとすれば、頭部より下の上下半身の全体で歩き動作における地面からの反発力を吸収(分散)できていることになります。

で、「軸が出る」時はそういう歩き方ができていると、まあ理想的ですが考えたとして、では一方でそうではない場合、これが先ほどのフワフワ草履のことなんですが、軸が出ない、また膝が痛む、といった観察から、地面を踏む衝撃が脚の特定箇所に集中してかかっていることが推定できます。

「膝が痛む」と言ってるのだから、その「脚の特定箇所」はとりあえず膝ということになるんですが、どうしてだろうと歩きながらつらつら考えていると、ふと液晶ディスプレイが目に与える負担(疲労)のことを連想しました。


というのも最近、小学校の同級生が近くに住んでいることをちょっと前に知って、その友人のバイト先で開かれた流しそうめんパーティに参加させてもらって、そこで何人かと喋った中で自分の過去の仕事のことを説明した時にその話をしたから記憶に新しくて連想が繋がったのだと思いますが(以上脱線でした)、サブリミナルという言葉は、映画館で本編前だか後だかに挟まれるCMに、そのCMの内容とは関係ないがとある欲求を惹起する広告画像を人間が認識できないほどの瞬間だけ連続的に挿入すると、観客はもちろんその広告画像のことを知らないが、映画を見終わった後にその欲求惹起効果が現れる(たとえばその広告画像がコカ・コーラの瓶の蓋を開けた瞬間泡がシュワっと出てる、みたいなやつで、上映後の館内の売店でコーラの売り上げが有意に上昇する)という実験で有名な「サブリミナル効果」として人口に膾炙していますが、この言葉(subliminal)自体は「意識にのぼらない、潜在意識の」という意味です(weblio英和辞典より)。

いっぽう、液晶に限らないんですが、光学ディスプレイ全般を長時間眺めていて目が疲れるのは、自発光物体を見ている(つまり眩しい)からというのもあるかもしれませんが、でも焚き火をじっと眺めていて目が疲れるかといえば、そんなことはあまりないはずで(僕自身の経験では初詣の時に神社の一画でしていた焚き火を長時間見つめたことが何度かありますが、目が疲れたという記憶はありません)、なぜ今ここで焚き火と比較したのかというと、焚き火の発光強度が持続的(直流電源的、平滑波…というか波ではない?)であるのと違い、ディスプレイの発光は間歇的(矩形波、厳密には減衰矩形波)だからです。

画像が静止画であれ動画であれ、ディスプレイを構成する(膨大な数の)極小の光源(=画素)は、人間が認識できない速度で点滅(点灯と消灯)を繰り返しています。その一回の点灯ごとに明るさや色が違えば動画になり、どの画素も各々が(時間経過において)同じ明るさと色で点滅すれば静止画になる。

昔、朝に放映していたポケモンのアニメが子供に悪影響(その内容は忘れましたが…タミフル的な?違うか)を与えたとかで放映禁止になるニュースがありましたが、あれはたしか極彩色の点滅映像の場面が問題になったかと記憶していますが、極端な明滅を直視するのは目(や場合によっては精神)に負担がかかるというのは、頭で考えずとも体感できることです(当時の事件は間近で一心に画面を凝視する子どもの視聴姿勢も問題視されていたと思います。
「画面から離れて明るい場所で見てね」というテロップが各アニメの冒頭に表示されるようになったのはそれからのことだった、のかな?)。

が、「目にも明らか」なはずの光源の連続的な明滅による目の負担は、その明滅の周波数(単位時間毎の明滅回数)が高くなり、視覚の認識の閾値を超えることで、負担そのものが自覚できなくなります。

…やっとタイトルの説明にたどり着いたんですが、このディスプレイ視聴における疲労の原因である「識域下の負荷」のことを、僕が勝手にサブリミナルチャージ(subliminal charge)命名しました。
たった今。


で、本題に戻りますが、
フワフワ草履で膝を痛めたのはこのサブリミナルチャージにそっくりだ(というか同じ?)と、当のフワフワ草履で気持ち悪いなと感じながら歩きながら思いついたのでした。

靴底がスポンジ等でフワフワしていると、地面の凹凸の情報が(身体の)足の裏に達するまでに曖昧にされてしまいます。
なので、ちょっとした変化(砂利の一粒を踏むとか)なら曖昧化、分散平均化で吸収しますが、大きな変化(大きな石ころとか、急に現れた斜面とか)に対してはその曖昧化が伝達の遅れを引き起こして、身体の瞬間的な対応動作を遅らせることになります。

…ということも考えられますが本題はそこではなくて、
地面の凹凸情報が足裏に達するまでに曖昧にされるとどうなるか、という話です。

歩行における姿勢制御は、おそらく意識レベルと無意識レベルがあります。
平地を歩いていて、これから坂道に差し掛かる、となれば、前傾姿勢になって足は踏ん張り気味になる、これは意識レベルの姿勢制御です。
いっぽうの無意識レベルはといえば、たとえばバランス制御ですね。
障害物のない平滑な平地を歩いていて、一歩一歩着実に前進できるのは、地面を蹴る、足を前に踏み出す(これも無意識になることもある)だけでなく、一歩を踏みしめる時に全身がバランスを崩さないように微妙に調整をするからです。
この後者、安定歩行におけるバランス制御はほぼ無意識領域の動作と見て間違いないと思います。

で、これが無意識になされているということは、このバランス制御においてどの身体部位がどれだけ使われているか(一箇所なのか、また複数箇所ならその力の配分など)についても無自覚であると推論できます。
この無自覚的な負荷が、身体全体に散らせればさほど問題ないが、身体の一箇所に集中してしまうと、知らないうちに負荷が蓄積して、痛みや故障が起きる。

さて、地面の凹凸情報の曖昧化の話でした。
地面の凹凸が、足が地面を踏みしめる際に効いてくる面とは、踏みしめる(三次元的な)方向の微妙な変化です。
平地でも、砂利道の砂利の分布によっては地面を斜めに踏まないと安定しない一歩がある場合もある。
その微妙な調整を、意識してやれれば、身体のどこを使うかを選ぶこともできます。
それができない場合は、どこがその調整を負担するのか。

身体構造からいえば、それは足裏から距離の近い「関節」のはずです。
ヒンジ構造は、その一箇所をもって、三次元的な力の方向を変えることができます。
そして、足裏から近いといえば……足首、それから膝ですね。


歩行の負担が、全身に散らされずに、足に集中する(腰をひねり腕の振りをバランス制御に使う「西洋歩き」ではこの傾向が出やすい)。
その中で特に、地面の凹凸情報が曖昧になると、微妙な凹凸変化が感覚刺激の識域下となり、足首や膝に集中する。

そういうことも、あるかもしれない。

 × × ×

衝撃を吸収する靴は足腰の負担を和らげる、と靴やサンダルの宣伝によくあるんですが、もともとあれはどういう原理でそう言っているのだろう、と改めて疑問に思いました。

動きの激しいスポーツでなら、衝撃吸収は必須なのかもしれませんが(小学校の時にバスケットボールをやっていましたが、あのごついバッシュではなく、体育館シューズでやれと言われると、足首痛めそうで怖いですね)、日常生活で歩くというだけで、果たして衝撃吸収にどれほどの意味があるのか。

足裏感覚の鋭敏な草履に完全に慣れてしまった今の自分には、大方の靴も含め、フワフワした履物は感覚を鈍磨させる違和感の塊に思えてしまいます。

クロップスといったか、やたらと軽くて甲に穴の開いた、なんだか丸々としてゴムゴムしたサンダルが一時期から流行るようになって、あれで自転車に乗ったり、電車の中で見かけたりもするんですが、他人事ながら心配になります(畑仕事に明け暮れた農家の方の中には高齢になって腰から上の半身が90度に前傾している人がいるんですが、そういう「長年の習慣の蓄積」が現代人に表れてくることがあるとすれば、何十年後のことでしょうね)。
あと、ボルダリングジムで初心者へのお手本をやる時に、そのクロップスで(得々と)登るスタッフさんが時々いますが、うーん、あれに気持ち的な意味以上のものがあるのか、よくわかりません。


結論:普段履きの草履はちゃんと選ぼう。

ボルダリングシューズは当然なんですけど(と言いながら時々ネットで安く売られてるのを見て衝動買いしたくなる)、履物選びに試し履きは必須ですね。
明日近所の商店街の履物屋さんに行ってみましょう。
 
 * * *

9/8追記
天神橋筋商店街を端から端まで歩いて、
まともに草履を置いている店が1件だけ(和装屋はいくつかあったけど)、
ウレタン底や皮底の相場感はネットと同様でした(そりゃそうか)。

冒頭に書いた、今履いているのは正式名は「足ゆび運動ぞうり」で、
過去には映画とタイアップした真っ黒な「禅バージョン」があったようです。
むちゃくちゃほしい…
最近では改良バージョンに鼻緒ブラックタイプが出ていて、
これも魅力的なんですがちょっと高い…

というわけで、オフィスでしばし考えたのち、
ホッチキスで皮生地を留める怪しげな延命措置を施しました。
ホッチキスの針が尻がね的に作用して案外長持ちする…可能性は低そうです。
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やっぱり次はネットで買うかなー
タイヤ底↓が気になっています。

草履あさぶら - 裏に自転車のタイヤを使った通称“あさぶら”と呼ばれる草履