human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

柔軟の第十一歩、遍路出立条件

というわけで(1つ前の記事の最後を参照)さきほど、一本歯ナイトウォークに行ってきました。

前回が加茂川だったので今日は高野川にしました。
が、やはりというか例によって途中でトイレに行きたくなり、しかもあてにしていたカナート洛北が閉店していたので、高野からの下りはスポーツサンダルで帰ってきました。
なので行程としては短かったのですが、得られたものは今回もありました。

cheechoff.hatenadiary.jp

前回↑の考察で「アキレス腱ストレッチ」の感じと書きましたが、これはどうも足首を曲げる角度を固定するような印象を与えます。
いや、与えますというか、そういうイメージで今日歩いたらそうなってしまったということなんですが、これだと着地は安定する一方でその他の動作(特に「踏み出し」)がぎこちなくなってしまいます。
そんなことはふつうの靴歩きを考えればわかるんですが、「いや、靴と一本歯では根本的に違うのだ」と思い込もうとしたんですが、いやそれはそう間違いではないにしろ共通点もまた多くあるに違いないのです。

今日歩いていて歩行動作全般のぎこちなさがとれたかな(タイトルにある「十一歩」というのは一本歯で外歩きをしたのが累積11日になるという意味ですが、今日まで歩いてきた中でいちばん滑らかに歩けた印象です)と思ったいちばんの功績は、足首の自由度を上げた点にあると思われます。

着地の時に足首がしっかりしていないと踏み込んだ時に下駄が(主に前後に、凸凹のある道なら左右にも)ブレてしまって足に余計な負担がかかってしまうという基本認識があって、着地時は足首の角度が変わらないようにかっちりを意識してきたんですが、これは着地時だけのことで、踏み出し時(の地面を蹴る側の足)はまた別だと気づきました。

ただこの別というのも、踏み出し時は足首がぐらぐらしていいという意味ではなく(今日歩いている間はわりとそんな認識でしたが)、足首の角度がブレない方がいいのは踏み込み時と同じだがその角度が違う、のだと思います。
そして、踏み込みから踏み出しまでの間(歯底が接地していて、接触面にかかる力の方向は体の前進に応じて変わっていく)は、その足首の角度は連続的に変化していく
つまり、踏み込みから踏み出しまでの間は、接地側の足首はフレキシブルな状態にしなければいけない、はずです。

この、「足首をかっちりさせるシーンとフレキシブルにするシーンとがある」という足首動作が、靴歩きとは意識を全く異にすべきことの一つなのではないか、とは今書きながら導き出したのであります。

まあこれも、「言うはやすしの西川きよし」ですけどね。
次回はこの点を重視して歩いてみます。


それから、着地時に足首がブレるとどうなるかという話ですが、「足に負担がかかる」というのは言い方を変えると「足(の末端)だけを使ってなんとかしようとする」状態なのだとこれも今回気づきました。
足場の悪い岩場とか、沢の飛び石を伝う時とかは一歩ごとに「おっとっと」とか言いながらバランスをとるわけですが、身体運用としてはあの場合に似ていると思います(このとき腕を振ったりとかして全身を使うのはバランスをとるためであって、足場で踏ん張る動作には足しか寄与していません)。

そうではなく、前の記事では漠然と理想であると書きましたが、「身体全体を使って歩く」ことができると(「足首をブレさせずに歩く」はこれを満たすための条件の1つです)、あまり疲れずに歩くことができます。

四国遍路に出発するためにはまずこの「一本歯で身体全体を使って歩く」ことができてからかなとこれは漠然と考えています。
他にも越えるべきハードルはいくつかあるはずですが(「山道を下る」のもできておいた方がいいと思うんですが、まだ大文字山を下る気にはちょっとなれないですかね…現状でも上りを靴でいけば下れそうな気はしないでもないですが)。

と言いながらも実際のところは、来年の冬の終わり頃(寒さが厳しくなくなってきた頃)かなあと思っています。
身体運用的な準備は、気候条件が満足するまでに完了させる、という感じですね。
未知な部分が多すぎて(というか自分がまだ何も調べてないからですが)、とにかく行ってみるしかない、あとは野となれ山となれ(と書けば危険な発言ですが、遍路の本質はもともとこのようなものだったのでは?杖を墓標にするとも言うし)。

とにかく、そろそろ色々調べ始めることにしましょう。