human in book bouquet

本格的に本と関わっていきます。

"現状維持"から"変化"へ(2)〜思考と身の丈について

前回↓の続きです。

タイトルを微妙に変えましたが、言いたかったのはこちらでした。
まず「行動」の方ですが、これは生活を変えるとか、体を動かすとかいう話ではない。
結果としてそれらに繋がるかもしれないが、その手前の部分が大事です。
つまり、このブログでことあるごとに書いてきましたが、"変化"すること、です。

そして最悪といった方の「現状認識」も、変なニュアンスで使っていました。
何の状況であれ、「今はこうなっている」という認識・自覚は能動的な変化の基本です。
それ自体に良い悪いの判断はなくて、もしやるなら結果としての変化から遡及して行う。
といって別にそれはしませんが、その「現状認識」ではなく、"現状維持"です。

両者をつなげるなら、現状維持は現状認識の結果を鑑みての選択肢の一つになります。
今の状態がずっと続けばいい、今日と同じように明日がくればそれだけで申し分ない…。
何の変哲もない平和な発想に見えますが、昔と今とでこの意識が成立する前提が違う。
一言でいえば、昔は日々が目まぐるしく変わり、今は毎日が同じ顔をしている、のです。

導入なので、ここで一旦切ります。

+*+*+*

 昨日は、学生からの質問で、「先生は今、幸せですか?」という、ロックスターが観客に問いかけるような質問があった。僕は、「わからない」と答えた。そして、「わからないけれど、とにかく、過去のどの時点よりも今は幸せだとは思う。人間は誰でも、現在よりは幸せになろうとしているし、少しずつでも、幸せになっていくのではないか」とだけ付け加えておいた。
(…)
 お金を儲けて物質的に豊かになると、「でも、心は寂しいのでは?」「なにかを失ったのでは?」と問いかけたがる人もまた多い。どんな生き方をしても、なにかを失うだろうし、寂しい心というのも消えないだろう(…)失うものと豊かになる効果を比較し、豊かさが大事だと思えば、豊かになれば良い。豊かになったら大切なものを失う、それに比べれば貧しくても大切なものを大事にしていきたいと思えば、豊かにならなければ良い。しかし、それらいずれもが「豊かさな選択」にはちがいないのである。豊かさとは、すなわちこの「選択の自由」のことだ
「2006年9月28日(木) 豊かな選択」(森博嗣『MORI LOG ACADEMY 4』)

抜粋の最初の下線部が、人の意識の、あるいは行動の根本にあるものです。
氏はかなり浮世離れしているので、氏の発言を素直に受け取るのは結構難しい。
のですが、氏が長年商業用に書いていた日記を読み続けるとだんだん分かってきます。
「集団的思考からの逸脱」のバリエーションに通暁するとその全部が「素直」に見える。

話を戻しますが、個人の選択はすべて「自分の幸せ」を目指しています。
みんなが利己的なわけではなく、「他人の幸せが自分の幸せ」な人もいるわけです。
そして、内容に関わらず、行動に選択肢がある限りこの原理は成立します。
そしてそして、「選択肢のない行動」などというものは存在しないのです。


前回に「このテーマで続きを書くことを促してくれた文章」が、この抜粋です。
豊かさも幸福も主観的であると同様に、必要性だって主観的です。
個人が確固と認識する必要性が外から無意識に植え付けられたものでも、そうです。
身体が必要なものを脳が拒否した場合、それは認識としては不必要なのです。

自覚を促すのは、予測できる「あとの祭り」を回避するためです。
回避できる災難をわざわざ招き寄せるのは馬鹿らしい、という価値観がそこにあります。
けれど、その通りに災難が起こって後悔することになっても、なんてことはありません。
それは「自分がその災難の実現を望んでいた」ことの無自覚の結果でしかないからです。

他者の不幸を予測できる人間は、予測とその論理を提示するしかありません。
あるいは何らかの強制をするなら、身の丈の範囲で、相手とぶつかることで行なう。
身の丈を超えた範囲の強制はどこかで軋轢が生まれた時に、それに気付けない。
身体がぶつかる軋轢は当事者で片が付くが、そうでなければ軋轢は不用意に増殖する。


思考や思想は、本来的に身の丈を超えるものかもしれません。
けれどその最初の「超え始め」は、身の丈に戻ってくることが前提でした。
けれど、脳(の専売特許領域)がどんどん肥大してくると、戻る場所を見失います。
肥大した脳が安直に身の丈(身体性)を求めると、オウムのようなことが起こる。


現代社会に対する問題意識と日常生活の価値観がかち合うことはよくあります。
世の中は「不問の前提」(つまり常識)をどんどん作ってこそ円滑に回りますが、
問題意識はそれを敢えて問い、分析することで内実を暴くことになるからです。
日常生活に支障を来してまで、問題意識を手放さない理由は、あります。

それは本当にたくさんあり、今まで書いてきたことです。