human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

「ジェミノイド本」のこと

予告通り、石黒教授の本の話です。

学部時に教授の所属科にいたので、ちょっとした身内感があります。
4回生の研究室配属時に選択肢としてありましたが、当時は妙な噂があった。
「I研は給料が貰えるくらい忙しい(こき使われる)」と。
教授の授業の印象から「それもむべなるかな」と思っていましたが。

その当時の印象は今も変わらずで、一言でいえば「酔狂ですなあ」と。
本には「教授の娘が娘自身のアンドロイドと対面する写真」などがあって、
常識的な感覚で平静を保ちつつ読み進めるのはなかなか難しい。
当然その読み方は間違いで、研究者目線で読むと「すこぶる面白い」。

本の印象を一言でいえば「生データの宝庫」です。
解釈をする前の実験データが無造作に散らばっているという印象でしょうか。
もちろん筋の立った論理で話は進められるので無造作と言えば間違いですが、
なんといえばいいのか…「私情がもはや私情ではない」というか。これ別の話かな。

そして無骨な文体に文学性は微塵もないのですが、それでいて哲学が明確にある。
アンドロイド・サイエンス(とは教授の命名です)というテーマのせいかもですが、
科学と哲学がこうまで直結する様は今までに見たことがありません。
科学哲学(倫理)の話ではなく、工学が「人間とは何か」を解き明かす、という。

興味深い話は沢山ありますが、僕自身の連想が広がった箇所を一つ抜粋してみます。

 遠隔操作機能の開発の三つ目のポイントは、オペレータが、ジェミノイドの体や、ジェミノイドと話をする訪問者を観察するためのカメラの配置である。(…)試行錯誤の末、そのかわりに、ジェミノイドの体を見るためのカメラと、訪問者を見るためのカメラを設置した。遠隔操作をするオペレータは、それらのカメラから得られる映像を映し出す二つのモニタを見ながら操作する。その視点の配置はジェミノイドからの視野とは異なるものの、十分臨場感のある遠隔操作が可能になった。
 (…)人間の視野とは異なっていそうな映像であっても、そこに必要とされる情報が映し出されていれば、脳はうまく情報を整理して、自然に見えてしまうのである。
 ジェミノイドの場合、その必要とされる情報というのは、自らの体の動きと、相手の体の動きである。(…)他人の動きしか見えないというのは、かえって不自然である。まるで覗いているように見えてしまう。目の前の人と同じ空間に存在して話をしているという感覚を得るには、自分の体も相手の体も観察できる必要があるのである
「ジェミノイドの視覚」p.98-99(石黒浩『ロボットとは何か - 人の心を映す鏡』

マンガやアニメで登場人物の視野をそのまま描いたコマがあります。
あれは臨場感を出す手法なのかもしれませんが、どこか監視カメラ的です。
登場人物がベッドで目覚めた時などそれっぽく思えるのは、動きがないからでしょう。
そういえば「007ゴールデンアイ」(NINTENDO64)では、自分の銃や手が視野に入る。

(あのゲームの「チョップ」が操作者の手に思えてくるのはジェミノイドと一緒ですね)

「自分の動きが見えること」は、言われれば当たり前ですが、なるほどなあと思う。
この抜粋部を読んで、まず「電話でも無意識にしてしまう身振り」を連想しました。
あれは「その方が喋りに気持ちがこもる」という解釈をしていたのですが、
相手の体が見えない分を自分の体(の動き)で補間しているのかもしれません。

また、着ぐるみを着た人の視野のことも連想しました。
今は知りませんが、昔は「中の人」の視野はマスコットの口の分だけで、とても狭かった。
前方がわずかに把握できるだけで、自分の動きは前に手を出さない限り全く見えない。
そんな状態で目の前の人とやりとりをしても、臨場感なんてものはないでしょう。

そしてマンガで着ぐるみが「覗きの手段」として描写されることも多いですね。


前に教授のことを少し書いた記事があるので最後に張っておきます。
ボーカロイドも「アンドロイド・サイエンス」の範疇ですね。

不気味の谷について - ユルい井戸コアラ鳩詣