human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

「空腹痛」のこと

今日は寒くて雨でしたが、いつも通り歩いてきました。
ただ靴が心配だったので、通勤に使っている全天候型のを履きました。
いつも週末は靴底に弾力のある革靴で軽快に歩くのですが、
今日は雨を弾く固めの材質の靴だったので全体的に疲れました。

が、途中から慣れてくると気持ち良く歩けるようになるのがいいですね。
いつも通勤靴は脱ぎ履きに手を使わずに済むよう紐を緩めています。
今日は長く歩くので靴紐をしっかり締めると、また「合う歩き方」が変わる。
その、しっくりくるまでの変化に「歩いてるな」という躍動を感じます。

また、雨の日はショルダーバッグの代わりにリュックを背負って歩きます。
中身は変わりませんが、雨が途中で止んだ時に傘を背中に掛けるためです。
単に掛けるだけでなく、柄ともう一点を固定すればリュックと一体化して揺れない。
commeなんたらの傘は骨が一本やられてますが、リュックとお揃いの紺なので捨て難い。


実は今猛烈に腹痛でして、カフェで本を読み終えるくらいからずっと続いています。
思い当たるフシが2つあって、最初は「カフェで長時間読み過ぎたかな」と思いました。
土曜の外出中は時計を見ない習慣で、BookOffの立ち読み時間もカフェでも気分次第です。
なので昼と夜に食べる時間はランダムかつ不明で、腹の空き具合だけが指標となります。

で、今日は久しぶりにリュックだったのでBookOffでいつもと違う回り方をしました。
(いつもは文庫・新書中心ですが、リュックだと単行本など重めの本が入るからです)
それで立ち読みするマンガの傾向も自然と変わり、たぶん時間もいつもと違いました。
そして今日からVeloceで読み始めた『ロボットとは何か』(石黒浩)がまた面白いのです。

石黒氏の話は別記事に書きますが、そのせいでVeloceにも長居してしまった気がします。
(今日の分を)読み終えた時に腹痛が始まったのですが、多分集中が切れたからで、
長時間読み、空腹を忘れるほど集中していたのだろう、というのが1つ目の理由です。
いつも空腹による腹痛が起きる前に空腹感があるのですが、今日はそれはスルーしたと。

「空腹による腹痛」は一般的かは知りませんが、僕はこんな生活なのでよく経験します。
まず最初にお腹が減った時に何も食べずにいると、空腹感は収まっていきます。
この過程を僕は「体のエネルギィ消費モードが変化(移行)している」と考えています。
胃の中の消化対象がなくなると、元々の体の一部(脂肪?)を燃やし始める、とか。

その消費モードが移行してしばらくすると、腹痛が起こるのです。
これは「ええからさっさと食えや」というサインなのですが、食べてもすぐには治らない。
消費モードが通常状態に戻るのにもまた時間がかかるからです。
たぶんゆっくり食べるといいのでしょうが…なんか断食後のおかゆ食みたいな話ですね。

(体の「膿」を出す断食の話は『少女ファイト』(日本橋ヨヲコ)で読んだ記憶があります)

で、空腹痛(語呂いいな)は食べてしばらくすると治るのですが、今日のはなんだか長い。
いろいろ動いていても腹痛は変わらず、うーんと唸って寝転ぶと、ちょっと和らぐ。
これもいつもと違う感じで、んー? とまたしばらく考えていて、気付きました。
その2つ目なんですが、これも今日の雨と関係していて、「背筋の伸ばし過ぎ」です。

結論だけ言うとアレですが、風が吹いてから桶屋が儲かるまでには紆余曲折があります。
雨→リュック、までは書きましたが、土曜の昼はいつも通り日高屋で食べます。
毎週通うようになってからずっとニラレバ炒め定食で、ここ数ヶ月は一人席で食べています。
一人席はテーブルの下にわずかな荷物置き場があって、ショルダーバッグなら入ります。

が、そこにリュックは入らないので、リュックは傘と一緒に座席の背もたれに掛けます。
その時に、傘の柄を背もたれに引っ掛けていて、柄が背もたれから出っ張っていました。
「あーこらもたれれんな」と思い、席に座ってから食べ終わるまでずっと「良い姿勢」。
僕は食べるのが遅くて、たぶん20〜30分はその姿勢のままでした。

いつもそんな長時間背筋を伸ばすことはないので、体がどこかやられたのだと思います。
それが腹痛に繋がるかは謎ですが、寝転がって和らぐことになぜかピンときたのでした。
…まだ腹痛は継続中で、これを書きながらうんうん唸っていますが、
対処法としては…まあ、もう寝ればいいんでしょうね。

でもあんまり消化できてないしなぁ…

+*+*+*

3/8
まだお腹、というか消化の具合が戻ってなくて、そういえばの3つ目の原因が。
昨日食べた「ニラ定」はいつもと味が違って「おいしいかも」と思ったのでした。
タレが濃かったか渋かったかで、レバーも今までにない想起を呼びました。
それは一時期スーパーで買っていた串レバーで、それに「あたった」ことがあった。

味自体に危険は感じなかったのですが、串レバーの連想に一瞬黒いものがよぎりました。
それを今日になって思い出しましたが、はて、前にあたった時の症状が思い出せない。
発熱して寝込んだ気もしますが、腹痛はなかったはずで、消化不良は…どうだったかな。
ヴィヴィドな身体的経験も時を経て薄れていくもので、当てになりませんね。

というより、何かは残るが今回は「使える経験」として引き出せなかった、ですね。
まあ、そういう価値観は仕事上認めているだけなので、別に構いませんが。
「使える経験をする」よりは「経験の想定外に目を向ける」ようにしたいです。
想定の正しさを過信すると、「正しかった想定」しか目に入らなくなります。

脳化社会での「脳の失敗」は、身体の存在を思い出させてくれる、こともあります。