human in book bouquet

本格的に本と関わっていきます。

身体が喜ぶ、身体に驚く

少し前からですが、ボルダリングを始めました。

2回北上のジムに行ってみて、日常的にやれそうだったので月フリーパスを購入しました。
週3で通うペースで、昨日で4回目です。

3回目の時にシューズを買いました。
ライミングシューズは履くと指が曲がるほど窮屈で、それでもきついほど足のホールド感覚が良くなるので履き心地はシビアで、店で試し履きしてから買いました。
服装はスポーツするなりでよく、手の滑り止め用のチョークはわりとなんでもいいので(外の岩を登るなら向き不向きがあるようですが)粉とバッグをネットで注文して今朝届き、これで道具が揃いました。

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写真手前の「魅せる、透け力」というのは100YenShopで購入したストッキングで、これでチョークボールを作ります。
専用のものもありますが、要は中に粉を入れて握れば粉がもふっと出てくるような網袋がチョークボールなので、「これでも十分いけます」というジムの主人のコメントにのっかりました。
さっき作ってみましたが、ストッキングのさきっちょを切って粉を入れて口を結んで、それっぽいものになりました。
握ってみてどういう「もふもふ感」かは、次にジムに行く時のお楽しみ。
…大事なのは感触より粉の出方ですが。

 × × ×

壁があったら登りたい」とは僕が小さい頃の素直な心持ちで、実家の前の坂を登ってすぐの溝がアミダ状に掘られた壁とか、小学校の運動場のフェンスとか、駐車場のフェンスとか、オートロック式玄関のマンションの敷地の壁とか(おっと)、登らざるを得ない壁から登る必要のない壁、登ることを求められていない壁まで、「大人*1」になるまでにいろんな所をよじ上ってきました。
そういうわけで僕にとってボルダリングの楽しさは改めて理由を問う必要はありませんが、純粋な、というより原始的な(「サル的な」でもいいですが)楽しさとは別に、スポーツとしての楽しみもあります。

後者をさらに勝手に区分けすると、そのうち競技的要素は(今のところは)あまり興味はなくて、もうひとつの「身体を使ったパズル」という要素がとても魅力的であることを、数回ジムに通って体感しました。
壁にホールドが並ぶコースを見てどう登るかをイメージすることはまだ全然できません(何度も登ったコースを、時間をおいて改めて見ると登り方を覚えていないくらい)。
自分が登ろうとしているコースを他の人が実際に登っているのを見ると「そう登ればよいのか」と納得したり、「何でそんな動きができるのか。シンジラレナイ」と驚いたりします。
他人の身体の動きを見るだけで自分も動いているように感じるのはミラーニューロンが活性化しているからだと言われますが、後者の、自分ができそうもない他人の壁面動作を見た場合は、シナプスがほとんど繫がっていないのではと思います。
でもそのシンジラレナイ動きを真似してみて、一度目で、あるいは何度か挑戦して失敗して他のコースに行ってしばらくして戻ってきて再トライすると、ひょっこりとできたりする。
その成功の瞬間「やった!」と思うのはクイズで正解を当てた時のうれしさと同じで頭の一部がそう思うのであって、頭の別の一部、身体との関わりが密な部分では、やっぱりまだ「シンジラレナイ」と思っている
こうして身体感覚が先行して拡張されていき、同じ動きを何度かするうちに頭がその拡張に納得するというのかフォローしていく。

北上のジムのコースは7級から始まり、7級(ピンク)は手がつかむホールドだけ指定で足はどれを使ってもよく、6級(白)からは足をのせるホールドも指定で、6級、5級(黄)、…とだんだん難しくなっていく。
また、ジムの壁はいくつかのエリアに分かれていて、エリア毎に傾斜が異なり、傾斜がきついエリアでは手だけでぶら下がるのも当然みたいなコースばかりとなる。
ただ傾斜がきつくても足使いは重要らしく、懸垂のような動作でホールドをつかみに行く時にもどこに足を掛けているか、あるいは足や胴体をどう振るかで腕へ負荷や動きが断然変わってくるらしい(伝聞)。
僕は腕も指もひ弱なので、最初は傾斜が緩いエリアのコースを中心にやっていき「力」が(これは文字通り筋力が)ついてくれば傾斜がきついコースにも手を出そうと考えています。
等級と壁の傾斜に相関はあまりなくて、腕より足を頼って登る僕は、緩傾斜エリアの5級コースができても急傾斜エリアの6級コースができなかったりします。

緩傾斜エリアで1つだけクリアできそうな4級(オレンジ)コースがあって、このコースはろくに手(というか指)に体重をかけられないまま大股で小さいホールドにのり移る箇所があって、ここが昨日できるようになったんですが、これがまさに上に書いたような「やった!」が「シンジラレナイ」状態なのです。
どういえばいいのか、頭では納得できんけれど身体は勝手にこなしちゃう、身体ってスゲエなと思い知らされ中、というのか。


もちろんこれ、これはこれで楽しいんですけど、一つ前の記事に書いた「生活読書」、頭と身体を共に活性化させる生活とも通じる気がします。

人は(もっと広く「生物は」ですが)変化して生きていくもので、意識しないでも身体は(成長なり老化なりバイオリズムなり)変わっていきますが、意識したくないのが頭で変わらないことを志向していく頭の見つめる先は身体と逆で(「昨日の私は今日の私は同じ」という、これはこれで意識の「自然」な傾向です)、そのために意識が不変に傾き過ぎると身体に不調をもたらすわけで、不変に拘る意識に時々は喝を入れるつまり意識の目を身体の変化に向けさせる必要があって、そういう場合に意識が喜ぶのは身体の変化に「驚きと興味」を発見できる時

 × × ×

昨日はちょっと限界を超えてやってしまったのか、今朝は起きる勢いが不足し続けて(一度宅急便が来た時に無理やり起きましたが…岩手の午前配達は大体が早朝なのです)トータルで半日近く寝てしまいました。
起きてしばらくは指がふわふわして手を握り込めない感じでしたが、しばらくすると炊事に支障ないくらいには戻りました(でも重い食器を洗ってると取り落としそう…)。
そういえば昨日は手足にすり傷がたくさんできたんですが、それらの多くがいつできたとも知れないもので、それだけ集中していたこともあり、こういう「傷は男の勲章」みたいな時間は少年時代以来だとも思ったり。

無理せずに、ボルダリングを生活の一部として続けていこうと思います。
ジムに行った翌朝もふつうに動けるようになって、講習*2が始まっても今と同じように通えればいいんですが…あでも予習復習とかいるんですかね。

大学生の頃よりはマジメに勉強するはずですが、さて。
 
 

*1:大学生はまあ、モラトリアムですから。院生然り。

*2:司書講習を受けられるかどうかは7月に入って2週間後に決まります。