human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

ボルダリングジム遠征記録から何を生むか

ここ何週間か、忙しい日々が続いていたのが、今日でひとまず一段落つきました。

仕事が立て込んでいるうえ、長距離ランナーの早朝ジョギングのようにボルダリングが完全に生活の一部になっていて、デスクワーク続きで調子が悪くなる前に登りに行っていたので、週末も含めて一日家でゆっくりする日がしばらくありませんでした。

出ずっぱりの日が続くと、それはそれでどこかで風邪なり引いて調子を崩すのも以前の傾向だったんですが、今回なんとか持ちこたえたのは、適度に登りに行って身体周期(使ったり休んだりということ)がうまく流れたからだと思います。
あるいは、仕事の重圧感というか責任感のおかげかもしれなくて、こちらだと(一時的にせよ)開放された今日明日にでも風邪を引きかねませんが…

さておき。

文章を書くというか、頭の中で論理を組み立てることをしばらくしていなかったせいか、今こうして書きながらも頭の回転数が低いなあと感じています。

書く習慣も、書かない習慣も、どちらも続けば習慣と化す。
恐ろしいもので、気をつけていないと、ふと気付いたときには前の習慣のことがすっぽりと頭から抜け落ちることにもなる。
知らぬが仏、忘れたもの勝ち、と開き直るには、まだ(少なくとも身体は)若い。
脳年齢というのは、ひょっとして思い込みでどうにでもなるのでは…

飛躍してますね。本題に入ります。

 × × ×

今回のごとく忙しい時期もなんとかコンスタントに登っていて、オフィス近くのホームジム(大正区のガレーラ)の月パスを持っている期間はほぼそこに行きますが、パスが切れた時期や今月のようにホームジムの課題が少ない(先月末に壁一面ホールド替えがあって、今月末までマンスリー課題がないのです)時は別のジムへ行きます。

行ったことがあって、月イチくらいで行っておきたいジム(梅田のボールド、江坂のクラックス大阪、香里園のルクルなど)のほか、行ったことのないジムにも時々行きます。
ホームジムでいつも同じ時間帯に登る仲間が何人かいて、予定が合えば外ジムでも一緒に登ることもあります(自分が命名した「ガレーラ昼組遠征班」のメインは現在3人です)。

新しい所へ行くとみんなで情報交換をするんですが、ついさっきその仲間から「遠征記録をブログに書いてみたら」と言われて、ちょっと考えてみようかと思いました。


僕は技術的にそれほど上手いわけではありません。
登り始めてちょうど2年くらい経って、どこのジムへ行っても4,3級あたりがちょうどよいレベルで、スラブや垂壁のバランス系課題なら時々2級も登れる、という程度です。

だから、なのかどうかはわかりませんが、ジム紹介とか、特色の解説とか、そういったことを書くには未熟というか、たぶんクライミングスタイルが偏っているので(相対的に、体幹・足技系は強くて強傾斜や指酷使系は弱い。キャンパーを全く触らないので指パワーが不足気味)、どこのジムに対しても同じようなことを書きそうな気がする。

いや、内容どうこうより、僕がこのブログ全体で貫こうとしている、「書きながら考える、書くことで新しい何かに気付く」という意志に沿ったことを書きたい。

そうすると、知っていることを書くというよりは、よく分からないが考えてみると面白そうなことを書く方がいい。

自分が行ったジムに対してそういう意図で書いた文章を何と呼べばいいのか、うん、今書いていて、よくわかりません。

でも、そういうことこそ、書くに値することのようなのです。

 × × ×

身体感覚というのは、頭で考えたことよりも、ずっと深く残っているようで、あっという間に消え去ってしまうようでもある。
それが矛盾ではないのは、感覚としては身に刻まれていても、言葉にするには(時間が経てば)手応えがなくなりすぎている、といったことだと思います。

だから、以前の身体記憶を掘り起こして文章にするのは大変な作業だとはわかっているのですが、それでもとにかく、やれるものならやってみよう。


岩手のジム(花巻市クラムボン。もはや時も距離も遠いなあ)で始めて、1年は花巻に籠り(そのあいだに盛岡の2ジムにも行きました。正月のクラムボンでは帰省していた伊藤ふたばを見かけました。知らずに見ると普通の女の子でしたね)、大阪に来る前にドライブ旅行で全国(東北〜四国。新潟のクラウドナイン、滋賀のグッぼる、愛媛のイッテなど)のジムを巡り、鶴見区→北区と大阪に来てちょうど1年経つまでに大阪・京都・兵庫のジムへ行き。
単純にカウントすれば、20は超えて、30近くのジムへ行ったことになるでしょうか。

その数自体に価値があるわけではなく、数が意味するのは多様性、その多様性は言葉にする緒(いとぐち)の多さに結びけることができます。



と、意気込みだけだらだらと書いてきました。
思えば節目としてキリのいい時期でもあるので、ちょっと余裕ができるはずの来週から、ちょくちょく取りかかれればと思います。


…続き物の記事を初っ端から放り出すのが本ブログの習慣になってしまっていますが、「続けたくない習慣」はどこかで打ち破らねばなりません。