human in book bouquet

本格的に本と関わっていきます。

沈黙について

 ある音楽の一節が彼の唇にのぼった。それは、彼が友人といっしょに聞いたあるソナタの一節だった。友人たちには音楽の意味がわからなかったので、「この芸術は、君にも僕にもただ退屈なのだが、ただ君はそれを白状しないだけなんだ」と言った。
「そうかもしれない……」と彼が答えた。
(…)
 歩道で誰やらが彼に突き当った、彼はまたしても思うのだった、「腹を立てまい。僕は、小きざみな足どりで群衆の中を歩いている、家に病児を残して来た父のようなものだから。病児の父なら自分の内部に、家に満ちている深い沈黙をいだいて来ているはずだから」と。
 彼は目を上げて人々を見返った。彼は彼らのあいだに、彼らの発明や恋愛をいだいて、小きざみに歩いている者を見いだそうと捜した。そして彼は灯台守の孤独生活に思い及んだ。
「夜間飛行」p.50(サン=テグジュペリ『夜間飛行』新潮文庫

彼、リヴィエールは航空輸送会社のある支所の支配人です。
彼は夜の街を歩きながら、南米上空を飛び交う飛行士たちのことを思い浮かべます。
あるいは飛行士の乗る複葉機のことを、あるいは機に載せられた多くの手紙のことを。
彼の心配や不安が街の喧噪と混じり合うことはなく、思索は研ぎ澄まされていきます。

けれど彼は、自分に沈潜しながらも、街の人々に目を向けます。
彼の頭で展開される壮大な事業は、群衆の一人ひとりが手紙に託す言葉の集積です。
彼が街を歩くのは、孤独を紛らそうとしているのか、孤独を深めようとしているのか。
あるいは、自分の孤独と、群衆が無邪気に平和であることを結びつけているのか。

沈黙は触れられず、共有されず、ただただ深められていきます。