human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

クロール+古式泳法(の兆し)、考察の第十九歩

今日は夕方まで『菅野満子の手紙』(小島信夫)を読んでいました。

前に一日本を読んだ日(外出せず、プールも行かずほんとうに一日中)があって、その翌朝に背中が痛くて目が覚めるということがあって、思えばデッキチェアにもたれて読んだり一人用ソファにもたれて読んだりと「もたれてばっかり」だったので床ずれでもしたかと思ったんですが、もう若くはない(身体は。精神は青年と爺のアモルファスですね)という認識はさておき背中が痛くて歩けないみたいなことになるのは御免被りたいので、一日読書をやる時は読書姿勢に気をつけると同時に合間に体を動かすことにしました。

それで今日は久しぶりに木刀を振ってみて*1、『バガボンド』(井上雄彦)をまた読みたくなりました。
もともとはこのマンガを読み始めて剣を振りたくなって、段ボールで刀を作ったり(把持部分に重石をつけたもので、室内で振って壁やらにぶちあてても平気なのです。初期の頃の記事は以下↓)、実家から木刀を譲り受けたりしていました。

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型がどうこうという話はできませんが、「腕だけでなく身体全体で振る」とか「剣の運動を邪魔しない」とか今まで文章で読んできたことをイメージして振っていて、今日は「身体(の上半身と下半身)をねじらない」を念頭におきました。
それが剣の振りだけでなく、構えや剣の持ち替えなどの動作でもできるかと思い、いろいろと動いていました。


夕方からは高野川沿いを一本歯で歩き(四日連続ですね。これについては後半書きます)、その後プールに行きました。

泳ぐことについて最近書いていないのはほぼ毎日泳いでいて考察する暇がないといったところですが、そういえばスポーツクラブに通い始めて2ヶ月弱、神奈川にいた頃に通っていた市営プールも合わせれば4ヶ月弱くらいは日常的に泳いでいたことになりますが、初期の頃にあったような明らかな上達は最近はありません*2
スポーツクラブで泳ぐようになってからは、25m泳ぐまでの息継ぎ数(ストローク数はちょうどその2倍)をカウントするようになったんですが、幅があって今は11〜15くらいです。
その数が減れば上達かなあと思ったりもしましたが、水の流れる方向によってかなり左右されるし(泳ぐコースによっても違うし、いつも隣でレッスンをしているんですが猛者達がガンガン泳ぎまくるようなレッスンだとプール全体が波打ってなかなか大変なことになります)、もともとは「水に親しむ」をモットーとしていたので息継ぎ数はあくまで目安程度です。
「水に親しむ」というのは具体的には「水の流れに乗る」とか「なるべく水の抵抗を受けない」とかになりますが、流れに乗ることについてはちょっと前から掴めてきたかなあと思うところがあって、例えばクロールのフォームをぴちっと守って一掻きごとに正確に泳ぐというよりは水の状態(主に波ですよね)や体の状態(疲労度?)や位置によって柔軟に動きを変えて泳ぐ方が流れに乗れている感じがします。
渾身の力を込めて水を掻いてもあまり前には進まなくて、むしろリラックスしている方が進むのはその方が水の状況を感知しやすいからだと思うんですが(なんてことをフォームをしっかり習ったことのない僕は思います)、かといって力を抜き過ぎてふにゃふにゃしていると水が全然掻けなくてそれはそれで前に進まなくて、その中間がよいのでしょうが難しいところです。

言いたかったのは「最近大きな発見はなかった」ということで(でも思い出せばいろいろあったような気もするので断言はしたくありませんが)、それに対して今日は閃きがあったことが泳ぐことについて書こうと思う動機になったわけです。
それで最初に木刀を振る話をしたのは、なんだかそのことがプールでの閃きに関係しているように思えたからです。

…と、引っ張ったわりに大したことは書けないのですが、クロールで泳いでいる間にも「身体をねじらない」ということが念頭にあったようで、ふと古式泳法的な動きを導入できそうな気配を感じました*3
その内容を漠然といえば「手足の連動」とか「先端を尖らせる(ことで水の抵抗を減らす)」といったことになりそうです。

これは今日泳ぎ終えるちょっと前に閃いたことなのでほとんど試す時間がありませんでした。
なので続きは明日ですね。
明日も書くかはわかりませんが。

 × × ×

時間を戻しまして、夕方の高野川ナイトウォークについて。

今日は鼻緒の締め付けは痛くなかったです。
連続の4日目なのでさらに痛みが増すかと思ったんですが、これも理由がよくわかりません。
前日夜のプール後のサウナで適当にマッサージしたのがよかったのかな?(と思ったので今日もやりました)
とにかく毎日連続で歩くことに支障はなさそうなので明日も続けてみます。

接地時の下駄をぶれさせない」「胴体を上下させずに歩く」が大きく言って守るべき二箇条といったものになるのですが、これができている状態であっても長続きせずにいつの間にかどちらか(またはどちらも)が崩れていたりするんですが、そこからの立ち直り方法として、あまり局所的な身体部位の使い方を意識してもいけないような気がします。
もちろん個々の身体部位の運用の総体として歩行が実現されているので個々を見直すことは大事なのですが、意識としてはあくまで身体全体に向ける
たぶんそれは「足し算」ではないからでしょう(細かい一つを気にし過ぎると他のいくつかが崩れてくる、ということがあります)。
個々を見直す、とはその部位の動きを見るわけですが、そのためには(というかその部位を見ることになった原因なわけですが)その部位の疲労(あるいは損傷)の具合を把握します。
足が重いなと思った時にふくらはぎが痛いことに気づけば、それを庇うような動きを考える(身体全体の動きのバランスを再編成することになります)とか、修行中の今なら「ここを鍛えんといかんなあ」とか考える。
まあ後者はいいんですが、前者の例えに書いたように、個々の把握は全体へと戻って行く(フィードバックされる)必要があります。

ふつうに靴で歩くときもほんとうは同じだとは思うんですが、長時間(というか「長期間」)歩く時は身体の状態に合わせて歩き方を(疲労が局所的でなく身体全体に行き渡るように)変化させた方がよく、それができるには、一つのちゃんとした歩行フォームを固めるというよりは、「歩行が各部位のどのような運動によって実現されているか」と「それらの単純加算でない総和の仕組み」を把握しなくてはならない。

こういうことを意識して歩けば、またいろいろと発見があるだろうと思います*4

*1:部屋に三畳ほどの「工作スペース」があって、簞笥を直したり本棚を改造したりする時に活躍したがらんどうの空間なんですが、板敷きでもあるので「運動スペース」にもなると気づきました。

*2:もともと学校の体育ではクロールがまともに泳げなかったのが遅いながらもいくらでも泳げるようになるまでの最初の頃は毎日が発見に満ちていた…のかな?あまり覚えていませんが、このカテゴリ↓の記事にはそのあたりのことが書いてあるかもしれません。 cheechoff.hatenadiary.jp

*3:前にもリンクを張った気がしますが、僕が古式泳法として参考にしているのはこの動画です。

*4:今日歩いている間に考えていたのは「意識は全体に向ける」というだけで、本記事の残りはそれを展開させたものになるようですね。なんだか「疲労に応じて歩き方を変化させる」という話は水泳のところで書いた「水の状態によってフォームを微調整する」と響き合っていますね。影響されたかな…。