human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

小島信夫-(曼荼羅)-森博嗣

とにかく、そろそろ色々調べ始めることにしましょう。

柔軟の第十一歩、遍路出立条件 - お遍路天狗への道

と、昨日書いたところの今日に『寓話』(小島信夫)を読んでいて、四国遍路の記述が出てきました。

読んでいる間は特に驚かなかったんですが、そろそろ小休止しようかという時にだんだんと驚きが湧き上がってきました。
この本を読んでいる間は何もかもがつながっている(その可能性をもっている)という状態がふつうというか「そういうものだ」という認識を素直に受け入れられていて、ちょっとやそっとのシンクロニシティでは驚かなくなるのですね


さて、とはいえその四国遍路の記述は直接僕が求めているような(僕の事情でいう)現実的な話ではありません(これについては一つ前の記事に書きました)。

が、とても興味深い話ではあったので、小休止の間にメモしたことをここに残しておきます。
(小休止したのはその記述より少し先のところで、メモする時にその記述部分をあらためて参照するようなことはせず僕の記憶を頼りに書いたものです)

僕の記憶の不正確さはさておき、これらは小説の中の記述なのでどこまで本当(実際に誰かが言っていること)かは分からないし、特に調べる気はありません。
自分の記憶に(つまり関心に)引っかかったことと、その引っかかりが後にどこかで形をなすことを予期してのメモです。


ちなみに列挙の一番上の下線部を見て、僕は森博嗣(の小説の内容)を連想せずにはいられませんでした。
下線部の情報だけで少なくとも3つあります。
その全部は言いませんが、マンダラのことが関心を引きました。

マンダラは『迷宮百年の睡魔』に出てきます。
足跡をつけないように上から滑車を介して綱で吊り下げられた僧が床に砂を少しずつまくことでマンダラが描かれている最中の描写を思い出したのですが、この描写からして日本のマンダラではないような気はしますが(しかし僕は学校で資料集とかでしか見なかったマンダラの記憶がない)、「森氏は各務原市のマンダラを見に行ったことがあるのでは」という連想が、『寓話』のその箇所を読んでいた時にさっと浮かんだのでした。
そしてその連想が起きたというそのことのために、「見に行ってみようかな」という興味が湧いたのでした。


『寓話』は例えばこういう小説なのです。


11/23追記
上の列挙の二番目の太字部に関連して、前に北区街歩きをした時に御室八十八ヶ所霊場で撮った写真を載せておきます。
f:id:cheechoff:20161123194341j:plain
八十番目のお堂が手前にあり、奥には七十九番目のお堂があります。
2つの間が近いなあという感慨を表そうとした写真なんですが(四国遍路に行けない人のために昭和63年にこの霊場がつくられた、と現地の看板かなにかに書いてあったと思います)、上の話でいう「町石」的なものが写り込んでいることに気づいたのでした。
奥のお堂に通じる道(写真左端)の右側にぽつぽつと小さな石塔が4つあるのが分かると思います。
確かにこれらの石塔には梵字が刻まれていました。
御室の霊場はたぶん四国八十八ヶ所のいろいろ細かいところが再現されていると思うんですが、そうするとこの石塔に対応するものが四国の遍路道にもあるということですね。

こういった知識方面もフォローしていれば遍路の行程でまた別の思考(興味)が生まれることでしょう。
体系立てて勉強する気はありませんが(たとえば「遍路の成り立ち」みたいな本を通読するとか)、縁で入ってきた知識はちゃんと温めておこうと思います。