human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

年金・国保支払い、スピール膏、『寓話』読了

今日は銀行へ国民年金と国民保険の手続きをしに行きました。

国民年金はとりあえず年度末までの一括払い(最初に出て来た「一喝払い」が面白いですね。窓口に札束を叩きつけて「これでどうじゃ!」という感じ。爺さん口調なのは似合うと思ったからです)、国民保険は口座引き落としにして引き落としが間に合わない直近2月分を払いました。
年金も国保もどちらも払うかどうか迷った時期もあったんですが(退職時に金額を提示されながら「国民の義務だよ」と言って説明された時は給与天引時の額と比べて「高いなぁ…」と渋る気持ちがありました)、「払えない理由がなけりゃ払えばいいか」と(両者が一致することは珍しいのですが、常識に対しても自分の気持ちに対しても)素直に払うことに決めました。


銀行で手続きを終えて帰宅した時に郵便受けを見ると住民税支払いの(厚木市からの)催促状が来ていました。

「タイミング悪いな」と一瞬思って、でも昨日までに来ていたら年金と国保と住民税の3つの支払書を前に思案しなければならなかったわけで、上に書いたような穏便な結論に同様に落ち着いたと確信が持てるわけではなく(かといってそんなにぎりぎりな判断でもないですが)、期限が再来月末だからそんなにすぐでなくともよいという以前に「なにかにつけて『タイミング悪いな』とすぐ考えるな」という自分の癖に思い当たったことの方に関心が向いて、そういえば赤信号に引っかかった時に「(自分が普段通る信号の数とか、歩行者信号の赤と青の継続時間の比とかパッと考えてわかるはずのないことを考えた気になって)この信号に赤で引っかかる確率を上回っているんじゃないか?」みたいなことをつらつら考えることがよくあって(最近はほとんどなくなったが)、頭を適当に回したいだけが動機だとしてもネガティブ寄りな気が今改めてして、それはたぶん「失敗の先取りによるダメージ緩和」のバリエーションなのだろうと思います。
なんというか、ついこの間までそういう考え方と調和のとれた日常(生活なんですが仕事を優先させて付き合わせた生活ですね)をしてきたんですが、今の生活には合わないのでこの癖は治しましょう、というかこうして言葉にする前から進行していることではありますが。


その銀行から帰宅する前に薬局に寄って魚の目治療薬(スピール膏)を買いました。

角質(皮膚の固まったところ)を溶かす薬品という表現が若干おそろしいですが、さっそく今日から使い始めました。
2、3日毎に貼り変えるということで、粘着テープはわりと強力なんですが、プールに行ってよいものか(絆創膏は簡単に剥がれてしまうのです)ちょっと思案中。
剥がれりゃまた新しいのを貼ればいいし、行きましょうか。
ブランクが長くなると泳ぎが明白に下手になるので(最近は土日はプールに行かないという習慣になっています)。

 × × ×

予定より1週間以上も早く『寓話』(小島信夫)を読了しました。
感想なんて、ねえ。
またそんな、もう。

というわけで、早速明日府立図書館へ行って、小島氏の全集から次の1冊を借りてこようと思います。

『寓話』を読みながら読みたくなった別の本がいくつかあるんですが(じっさい注文した本もありますが)、飽きるまで、という言い方はしたくないので(自分の言語運用の経験上「飽きる」という言葉がどうしてもポジティブに聞こえないんですね。今では消費社会への賛辞に思えるし、「生活に飽きたらどうすんの?死ぬの?」なんてことを言葉にしないまでも(してますが)思ったりします)、読みたくなくなるまで読み続けようと思っています(もちろん合間に別の本は読みますが、メインを張るのは、という意味です)。
何を借りるかは図書館で全集が並んだ棚を前にして考えようと思います。
『菅野満子の手紙』は『寓話』と同時期に書かれたものらしいから…という理由も次にこれを読まない理由になるかといえばよくわからない(「なんでもいいから理由をこさえたい」という姿勢があれば十分な理由になるんですが、今はそうではない)。
保坂氏の解説に導かれるなら…

いや、明日考えます。


そうだ、足裏の状態があれ(これ?)なので、靴にせよ一本歯にせよ、「歩く目的で歩く」ことは少しの間控えようと思います。
やはり「歩きたいから歩く」のでなければなりません。