human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

大文字山〜日天寺コース(前)

今日は大文字山へふつうに行ってきました。

今一本歯で歩くべきは山ではなく平地という認識なので、登山は足ならしと「右の内耳に関心を集める」ためです。
(後者はつまり人工音の届かないところへ行くということですが、詳しくは岡潔氏の本についての記事の最後の抜粋を参照して下さい)
天気予報は雨っぽい曇りでしたが、大降りにはならなさそうな空模様なので上下のレインウェア(下はハーフなのでズボンの上から)を着ました。

前回大文字山に行った下りに見つけた道を今度は登ろうと思って、銀閣寺裏の登山口から砂利道を抜けた所の橋を渡らずに直進し、ただでさえ分かりにくい道のさらに分かりにくい分岐へ入りました。
前回下った道と同じ道を登り始めて、はっと気がつくと前回と違う道に入っていて、でも面白そうだからいいかとそのまま進み、その次に分岐に行き当たった時から「そういえば前に『分岐ごとに写真を撮ろう』と思っていたんだった」と思い出したので写真をばしばし撮り始めました。

以下より写真メインで行程を解説していきます*1

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撮り始めの二番目の分岐。
右か左かだったと思うんですが、写真見ても記憶が…よくわかりませんね。
これじゃあ記録にならんなあ。
まぁ「記録しようとした時に喚起された関心」を信頼することにしましょう。
次に行けば思い出す、ということですが。

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三番目の分岐。川沿いに上るか下るか。
まだ序盤なので上る方に決めて進みますが…

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川そばの地表が水分でぐちゃっとしていて、少なくとも靴は泥にまみれるだろうし道が(あまり道に見えませんが…)崩れそうな感じもして、あらためて足下を見るまでもないんですがいつもの街歩きの靴(靴底が平らなウォーキングシューズ。運動靴ですらない)がなんだか可哀想に思われてきて*2、というわけでもないのですが「登山靴買わなきゃなあ…高校の登山部で履いてた靴がまだ実家にあった気がするけど、あれ入るかな?最近足縮んでるしいけるかも…」みたいなことを考えながら、上るのをやめて川を下ることにしました。

ちなみに「道なき道」に見えて、いや道であると確認できるものが上の写真に映っているのですが、分かるでしょうか?
分からなければ…僕の撮影の腕のせいですので気にしないで下さい。
正解は次の写真に。

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青丸をつけた所の枝に赤い布が巻いてあります。
道である印というより、正確には、以前(おそらく何度も)通った人がつけた「ここは通れるよ」という印で、こういうのを見ると道は(少なくとも山道は)「作るのではなく見つけるもの」なんだなあと思います。
印の色は赤か黄が主流で、布かスプレーかが多いですね。

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川を下ることにしたのでした。
川沿いを歩くと当然ながら川を渡ったり川の上を石づたいに歩くことになるわけで、そういう状態に現になってから「ああ、これは沢下りだな」と気付きました。
登山のはずが…別にいいんですが。というかむしろ楽しい。

さて、上の写真の下の方に円筒状のコンクリートが2つ並んでいますが、こういうのも上記の赤い布と同じく「先人の(親切な)足跡」です。道かどうか分からない所でこういうものを見つけると安心できます。

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これもそうです。
木が倒れていて、下をくぐるには隙間の高さが足りず、跨いで越すにはちと高過ぎる。というわけで跨いで越せるように岩で足場を作ってくれています。
もちろん過信はいけなくて、積まれた岩がどの程度安定しているかはちゃんと確かめなくてはいけません。
あと、人が頻繁に通る道ならばこういった倒木は管理団体の人(ここだと「大文字山保存会」かな?実際あるのか知りませんが)が移動させるはずなので、道の荒れ具合も「その道がメジャかマイナか」を判断する材料になります。

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倒木を乗り越えた先。
川沿い(右岸)の道が続いているようにも見えるが、その道はどうも傾斜がきつそうである。
川には石がごろごろしているが、伝って歩けるほどのものか即断ができない。
こういう状況は余裕があれば「自然の織り成すパズル」だと受け取ってじっくり考える楽しみがあります。
あの斜面を歩けばどうなるか、土が柔らかそうで落ち葉も多いしずり落ちそうだな…といった想像力をはたらかせるわけですが、その想像力の元手は「自分の身体の経験」であって、こういう意味で身体を使うパズルといえば公園のアスレチックや「SASUKE」(「筋肉番付」でしたっけ?)が思い浮かびますが、ああいうのはパターン化されていて解法を一度見つければそれ以上想像力を使うことはないわけですが、自然のパズルはバリエーションが無限です。

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というわけでうにゃうにゃ想像を膨らませた結果、川を伝うことにしました。
この写真の撮影場所からは、手前の石を伝って一度左岸に渡り、少し前進したあと再び石を伝って右岸に移る、という道筋が見えてきます。

(後半に続く)

*1:ここに書いていることを歩いている間に全部考えていたわけではありませんが、写真のどの一枚も何がしかの思考に基づいて撮影しています。周りを観察して考察しながら歩くことで、歩くコースの選択をはじめ判断の必要な時に冷静に対処することができます。

*2:たしか就職祝いに父に買ってもらった靴で、それから6年間どこへ行くにも大体履いてきたんですが、2ヶ月ほど前に片足の靴底が丸ごとべろんと剥がれてしまいました(もちろん歩いている途中に!その時は片足靴底なしでそのまま歩いて帰りました)。寿命かとも思ったんですが修理に出すと意外と元気に復活してくれたのでまだまだ現役なのです。今日も大概ですが、相変わらず僕の酷い扱いに無言で耐え続けてくれています。