human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

「夜走り」の呼吸と意識について

ランニングの話です。これから続くとみて「走ること」タグを作りました。

走るときの呼吸なんですが、足の着地と同時にしているのは昔からです。
で、昔(走るのが嫌いだった頃)は「吸うも吐くも同じ回数」と思い込んでいた。
じゃないとバランスが悪いはず、という完全に頭で決めた話でした。
本当に誰かに走り方とか教わらなかったのか、と疑っても記憶が全くありません。

呼吸については、学生時に何かの本で「吸うより吐く方が大事」と読んで驚きました。
密息なんたら…という本かと思いますが、息を吐き切れば勝手に吸い込むのですね。
吐き過ぎて苦しくなることはありませんが、吸い過ぎは走る時には頻繁にあります。
この本を読んでからまともに走った記憶はないので、今回が初実践となりました。

(もちろん走る間に本の内容を思い出したわけではなく、今考えてみての話ですが)

走っていて息を吐き切ろうとすると、どうしても吐く回数の方が多くなります。
「吐き切るが吸い過ぎない」の加減を考えて「3歩で吸い5歩で吐く」となりました。
コースの後半で疲れてくると「3・6」になりましたが、やはり呼気重視です。
呼気重視でいると、顎が上を向く(息苦しくてあえぐ)ことも減るようです。


もう一つは走るときの意識についてです。
「目線は近すぎず遠すぎず」とどこかで聞いたことがあります(習ったのかな?)。
近いと俯いて前のめりになるし、遠いと視界と運動感覚との間にズレが生じる。
後者は今考えたのですが、このズレは疲労につながるのではと思います。

走るスピードに合わせて視界が後景に退けば、何も違和感がない。
ところが遠くを見ながら走ると視界がほとんど変化せず、進む感覚が希薄になる。
と、この文脈で考えるとランニングマシーンは「最悪」になってしまいますね…。
あれは自分の身体のみに意識を集中するから別物なのかもしれません。

で、意識の話ですが、まず遠くを見ると意識も萎えてくる気がします。
(しかし「景色を楽しんで走る」とよく言うが…今の僕に余裕がないだけですかね)
走ることそのことに意識を向け、そこからフィードバックが得られる対象であること。
ここ何度か走った中で、「胴体の揺れ(の少なさ)」を意識すると良いと感じました。

足の振りと手の振りが同周期で調和すると、胴体はほとんど左右に揺れません。
そして上下の揺れは、足が踏み込む時に利かせるバネの具合によって抑えます。
これらのうち前者への意識が特に面白いと思っています。
手足の振りの振幅に関わらず、振りの調和によって身体の一部が静止する点が、です。

なんというか、「テコの原理の逆作用」と言えば手応えのない感じになりますが、
「大きな入力で出力を微調整する」という運動になにか技術的な魅力を感じるのです。
前に別の文脈で書いた気がしますが…剣術の話だったかな。
…ありました(こういう時にブログ内検索が役立つ)。「2つの力の相殺」ですね。

「後方に倒れる」のと「振り下ろしによる前傾」がうまく相殺されて驚いたのか。
力の入力がいくつかあり、そのうちの2つの出力がゼロとなったという手応え。
「意外にも手応えが全くなかった」という手応え
cheechoff.hatenadiary.jp

お互いに手応えの大きな手の振りと足の振りによって、「手応えのなさ」を現出する。
この手応えのなさとはつまり、「胴体が左右に揺れない」ですね。
この微調整に夢中になれると、知らず知らず結構進んでいたりするのです。
余裕が出てくればこの感覚も変わってくるかもしれませんが。

では、今日も「夜走り』(よばしり)に行ってきましょう。
「夜逃げ」ではないです。
…いや、「戻ってくる夜逃げ」かもしれません。
なんだそりゃ。