human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

回転木兎について

変な比喩かもしれませんが、世の中には、人に見られていなければ100mをもっと速く走る人間がいるかもしれないわけで、「日本一」とか「世界一」というのは、「人に見てもらいたい人間の中では日本一、あるいは世界一」という意味ですよね。(…)柔道などの格闘技でも、どんどん修行して本当に強くなったら、あんな人前で試合をすることの虚しさを感じて、出場したくなくなるのが、本当の達人では? なんて期待してしまったりするのですが、いかがでしょうか。
「古いメディアだなあ、と思いながらスライドを整理。」(森博嗣ウェブ日記レプリカの使途

試合や競技というものは、ルールに則った競争です。
多人数の人が同じルールに従うからこそ、優劣がつけられます。
同じ体の動きであっても、武道がスポーツと異なるのはこの点です。
スポーツの意義は、過程はどうあれ競争にあります。

ルールや評価軸を共有することは、集団での取り組みを前提としています。
武道的な身体運用の前提は、自分であれ他者であれ「生身の身体」があることです。
一方が他方を媒介して進歩上達することはあるかもしれません。
しかし目的が相反する以上、それを理解していなければ間違った方向に進みます。

何を一番に持ってくるか。
プレッシャーに弱い人であれば、二番に置いたがゆえその二番が成功することもある。
意図せぬ成功を続けようと一番にすげ替えると、途端にダメになることもまたある。
思い通りにいかないことを見越して思い通りを目論むと、やはり上手くいかない。

未来を予定するのでなく、予想する。
シミュレーションのアウトプットは、当たり外れに関わらず次のインプットになる。
「ああすればこうなる」は、精度を上げるべきツールというより、生きる前提です。
つまり、脳が自分を身体だと意識できていれば、人生は自ずと実験になります。

何の話でしょうか。前の話でしょうか。こだまでしょうか。(違う)