human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

言葉の青海、類語の泡沫

久しぶりに「Cool Japanese」のタグ記事です。

言葉の意味を調べるのに、国語辞典よりは類語辞典をよく調べるのですが、それは正確な意味を調べたいのではなく、類語と比べてニュアンスを確かめたいという意図があります。
厳密に論理的な文章を書きたいというよりは、単語が元の意味から外れて使うことになっても(それが読み手を警戒させたり、ミスリードすることになっても)、その言葉遣いを自分がする、文章として定着させることで生じる「なにか」への関心を重視する。


ま、それはいいんですが、そういう経緯で類語を調べる際、ときに膨大な類語表現に遭遇することがあり、そのたびに本来の目的を棚に上げて感心することになります。

ある事象を指示する表現の多様さは、その事象に対する文化的・歴史的な視野の深さを表してもいます。
そしてこのことは、その事象に対する理解が「一筋縄ではいかない」ことも示唆します。

脳死の定義のように、行政や法の執行のために断言しなければならない事情もありますが、そういう事情がないところでは、つまり僕らの日常的な思考が、それに従うことが必ずしも常識であるとは限りません。

どう言えばいいのか、こういう「深さ」を前にして、つい立ち止まってしまう、手を止めて、耳を澄ませる。
そのようにして、なにか囁きのようなものが、聴こえてくるのを待つ。

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