human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

首凝り族の生活、GHOST LINE、リアル盤古幡

ここしばらく書いていなかった首の話を書こうと思います。

首凝り解消に向けて試行錯誤を続けていますが、
興味深い体験があったのを期に、
ある程度治療?の方向が固まっ(てい)たこともあり、
とある計画を練るのも兼ねていろいろ書きます。

 × × ×

(1)せいかつ

半年前に整骨院接骨院鍼灸)に行ったことを書きましたが(↓)、
接骨院は数ヶ月通って持続的な効果がないことがわかったので止めました。
cheechoff.hatenadiary.jp
「肩凝りがひどくなると首が凝ってくる」と会社の上司から聞いた話が一般的だと思い込み、
「自分もそうだろうと思っていたのが実際は違っていたこと」を知れたのが通院の収穫でした。
肩はほとんど凝っていなくて、そして首の異常の主因も凝りではありませんでした。
(「ハイボル」と院内では呼ばれる(たぶん高電圧の意でしょう)神経に電気的刺激を与えて
 一時的に凝りをなくす機械を上半身のいろんな箇所にあてられたのですが、
 凝っていたらしい首は魔法のように軽くなったものの解消すべき異常は何も変わらずでした)

それからしばらくして、会社の同僚の世間話をヒントに首の筋トレを始めました。
筋トレの方法にも試行錯誤が多少あって、経過は省略しますが、
今は「腹筋の首から上だけバージョン」で落ち着いています。
そしてその筋トレを始めて少しして、また別の同僚からプロテインの話を聞きました。
運動した後に飲むと筋肉がつくよということで、
これもとにかく始めてみて、現在も継続中です。
f:id:cheechoff:20160214234856j:plain f:id:cheechoff:20160214234907j:plain
飲んでいる人には一目で意味が通じる写真なのですが、
1kgのプロテインの袋に入っている計量スプーン(1日分は33g)です。
使用後のスプーンが5つあるので、今は6ヵ月目ですね。
効果は、飲むのと飲まないのとで比較してはいませんが、
首筋トレと合わせて「ないことはない」くらいの印象です。
一時期はこのままだと危険だと思っていたのがなんとか現状維持を保てているので。
 せっかく5つもあるので配置デザインを考えてみましたが(上の写真の話)、
 なんだか1つ目はタコみたいですね。
 そういえば最近シカを描こうとしてタコになったことがありました。
 どうでもいいですが…
 (つい最近安野光雅氏の本のことを書いた時に『かもしかみち』という本の抜粋をしましたが、
 この本のタイトルから「かもしか教師」を思いついたのですが、これは先生という職業が、
 教師に"でも"なるか、教師に"しか"なれない「でもしか教師」と呼ばれた時代があったらしく、
 それにかけた僕の造語で折角なのでメガネをかけたシカをページにちょちょいと描こうとして、
 メガネをひっかける鼻を強調して描こうとしたらタコになったという、それだけの話です。
 本当にどうでもいい…)


で、(書く前から)書こうと思ったことの1つ目ですが、
接骨院に通っていた時に「風呂は良い、首を温めるのもよい」と言われていました。
首を温める方法としては「カイロを首に巻く」のがお手軽でこれはずっと続けていますが、
平日は夜の帰宅後に始めて就寝前に使い終わるので、
残業が長かった日はケチって使わないことがありました。
それで最近ちょっと調子悪いかなと思っていてハッと気付いたのが、
残業が続いてカイロを使わない日が続いていたことで、
とにかく使用時間が短くなっても毎日やろうと思い直して実行してみると、
カイロ温熱治療の効果が多少はあったことを実感した(ような気がした)のでした。
まあここは、自分に対する注意書きのようなものです。

 × × ×

まえおき

書こうと思ったことの2つ目は、
首凝り治療の一貫として「シャワーだけでなく湯船につかる」も続けています。
いつか忘れましたが途中から「凝りに効く入浴剤」を使い始め、
せっかく使うんなら湯船に長く浸からんとなと思って口実を考えました。

安保徹という人が「爪もみ健康法」を提唱していて、
このことが少し書かれた安保氏の本(たしか免疫の話だったか…)を読んだことがあって、
詳しくは忘れましたが手の指を揉めば(どこかの)血行が良くなるらしく、
じゃあこれを風呂に入りながらやろうというのが1つ目の口実。

もう1つが、こちらは謎めいた思い付きなんですが「正座で瞑想」をすることにしました。
正座が長くできるようになればよいなとは思っていて、
部屋のコタツで、読書用ソファの上で、会社のオフィス椅子上でと色んな場所でやっていますが、
「足を温めながら正座すれば柔らかくなるに違いない」と思った…んでしょうか。
風呂桶の上に直でやるんですが、浮力もあって慣れるとわりと長くできます。
今思えば正座なんてしたら首が浸かるわけないんですが、
足湯が全身の血行を促進するイメージがあってかそこに対する疑問は湧きませんでした。

で、この「湯中正座瞑想」の瞑想の中身が面白くて、
これは話が逸れるので詳しくは書きませんが、
(脳内BGMの種類によって多種多様な映像が脳内展開されます。瞑想じゃなくて妄想だなこれ)
こちらへ関心が移って本来の首の治療がおろそかになっていたので、
ちゃんと首まで浸かる時間を長くとりましょう」というこれも注意書きでした。
別の口実を増やすのも手ですかね…。


上で詳しく書かないと言いながら、
最初に書いた「興味深い体験」がこれに関係しているのでそのことは書きます。
湯中正座は結果的に半身浴になっていて、
正座している足(膝や足首)が耐えられるところまでいつもやっていて、
これは慣れてくるほど長時間続くようになります。
ちょっと前に正座が終わってから「さて」と立ち上がった時に立ちくらみがあって、
まず反射的に「老けたか…」と思いましたがそれはどうでもよくて、
まあ湯船からいきなり立ち上がったらそうなるわなと自然の摂理のごとくとらえ、
その次からは正座後に段階を踏んで上がることにしました。
具体的には「正座→首まで浸かる&正座で頑張った足を揉む→風呂桶の縁に腰かける→上がる」
という手順で、腰かける時は膝下が湯船に浸かった状態です。

手順を踏むきっかけに立ちくらみがあったわけなので、
「身体の血の巡りがどうなっているのか」に興味が湧くのは何やらのしからしむるところで、
その観察の時機は考えるまでもなく「縁に腰かける時」に見出されることになります。

(2) Level 6

その観察の初回のことなんですが、
縁に座ってじっとしていると、
血が上半身にじわじわと登ってくるのが感じ取れて、
「身体が血に"内側から"包まれる」という表現がどう受け取られるかわかりませんが、
もちろん身体内部の出来事なんですが、
何かを外側から包み込むように血がせり上がってくるイメージを持ちました。

それは五感でいうとどの働きによる感覚なのかよくわかりませんが(触覚が近い?)、
同時に視覚で起こっていたことが劇的というか麻薬的(いや、知りませんよ?)で、
タイトルにも書いたこれは読んでないと分からない話なのですが、
まさに攻殻機動隊2』(士郎正宗)の「Level 6 GHOST LINE 突入」状態でした。

このマンガは同僚N氏に半年くらい前に借りていて(1, 2, 1.5巻の3冊セット)、
今月僕と同じ寮から氏が引っ越す前に返すのが叶わなかったくらい読むのに時間がかかっていて、
攻殻機動隊はたぶん押井守氏の映画の方が有名で、
「ゴーストが云々」というセリフが有名なはずですが(言えてない)、
映画は士郎氏が原作のこの1巻(とまだ読んでないけどたぶん1.5巻も)にわりと世界観が近くて、
いや世界設定は2巻も同じはずですが2巻は電脳世界の内部描写が凄まじく濃密で、
「脳内世界なんだから脳内描写して読むに限る」と思ったかは記憶にありませんが、
(正確にはネットワーク内世界ですが、素子(モトコ)の脳自体がネットワークです…のはず)
マンガの1コマ1コマを脳内で動画に変換しながら読むとほんとにページが進まなくて、
いやそれはいいんですがGHOST LINEの説明を自分なりにすると…
いや、すみませんこれは無謀だと今気付いたので諦めますが、
(読んでない人には伝わらないですよね、すみません…いつかこの本のレビューに挑戦しましょう)

士郎氏がマンガで視覚化した電脳空間は無限の奥行きを備えていて、
電流が迸ったり(ニューロンの発火と信号伝達?)火花が散ったり(これは?)するんですが、
たぶんこの「無限の奥行き」は通常空間の奥行きとは違っていて近いor遠いという概念はなくて、
もしかして意識が割くリソースの配分が遠近の表現になっているかもしれませんが、
ここで強調したいのは「無限の奥行き感」のことです。

風呂の縁に座っている場面に戻りますが、
実は前に少し書きましたが僕は浴室の照明を点けずに風呂に入っていて、
これは寝る前に明るい光を浴びたくないというだけの話ですが、
(キッチン・洗面所も消灯しているので)ほぼ真っ暗な状態で縁に座った状態で、
いやリビングの間接照明のドアの磨りガラスから漏れた光がほんのわずか浴室に届いてはいて、
つまり目が慣れれば輪郭がぼやける程度であれば物体を判別できる程度の暗さなんですが、
しかし「血の流れる感覚」を感じ取ろうとする僕はその暗い浴室で目を瞑っています。
というわけで視覚は例の「グレーの背景に赤青の粒々がわさわさしてる」状態だったのですが、
(本当かどうか知りませんが便宜的に「錐杆体原刺激状態」と呼んでおきます…略せてませんね)
あらためて考えてみるにこの「状態」はふつう奥行きがなくて平べったい感じなんですね。
…というのもグレーの背景が濃淡のタイルが敷き詰められたように見えるからですが、

やっと話が戻ってきますが、そのいつもの見え方と違って、
血が上昇流を形成している時の「状態」に無限の奥行きを感じたのでした。
正確には「これってアレ(=Level 6)やがな!」とまず思い、
その表現として「無限の奥行き」を思いついた、という順番でした。
攻殻機動隊2』をじっくり脳内イメージを賦活させながら読んでいる成果ですね。

(3)スーパー宝貝

(2)に書いた観察初回はたぶん何週間か前の話で、
それからまた間をおきまして、つい昨日の観察時の話です。

上で「正座に慣れてくると継続時間が延びてくる」と書きましたが、
測ってはないものの日に日に延びているのが自覚できるようでもあって、
その分だけ足の各部に負担がかかっているのはもちろんですが問題はそこではなく、
その分だけ「血行の偏りがより大きくなってくる」のです。
たぶんそのせいで別の感覚を経験できたということだと思うんですが、
またまたシーンは風呂場に戻りまして、
正座が終わって、湯船の中で足をほぐして、ちょっとだけ首まで浸かって、
「よっこいしょ」と縁に腰かけていつものように(もう習慣化したのです!)じっとしていると、
身体が動かない姿勢を保っている(という自覚を持ってじっとしている)はずが、
頭が重力に負けて少しずつ下がって行くのでした。
これが本当に、自分の意思に関わりなく頭が沈み込んで行く感覚で、
真っ先に連想したのがタイトルの盤古幡(「ばんこはん」と読みます。晩御飯ではない)です。
これは『封神演義』(藤崎竜)に出てくる、仙人が使う宝貝(ぱおぺえ)の1つで、
簡単にいえば特定の閉空間にかかる重力を操る術を発動させる道具です。
つまり自分がこの術をくらってる状態をイメージしたわけですが、
もっと一般的な感覚で何かないかと後で考えてみて思いついたのが、
「金縛り」ですね。

僕は寝ている時に金縛りに遭ったことが何度かあって、
足がつったとかとはまた違う感覚で現象的にちゃんと考えたことはないですが、
あれって「動こうとしても動けない」と感じている状態なんですが、
「そう思い込むことで実際に動けなくなっている」と思わせるようなところがあって、
なぜなら冷静に対処すれば時を待たずして難なく動ける(これも経験済み)からで、
実験精神というか好奇心の発動というか、
「金縛りに遭いそうな状態」になった時に
(これは感覚としてわかるもので、例えば「くしゃみが出そう」と大差ない気がします)
実際に金縛り状態になるのはその状態に没入すべく集中する意識的な努力の賜物であって、
しかしそれでいて実際に金縛りに遭うと自分では体が動かせない感覚に陥るのが不思議です。

状況および感覚の把握として、風呂場での「重力○倍」状態はこの金縛り状態にそっくりでした。


うーん、身体というのは奥が深いというか、意味不明ですね。
いや、脳が与える意味に感化されながらその意味をどんどん乗り越えていくようです

長かった…
ここまで読んでくださった方、
マニアックな話にお付き合い頂きありがとうございました。

 × × ×

攻殻機動隊 (2)    KCデラックス

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封神演義 (第1部) (ジャンプ・コミックス)

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 × × ×

おまけ

気付いた方は「やるなあ」という話。
話の区切りを僕はいつも「+*+*+*」という特に意味のない記号?で表していましたが、
今回はちょっと変えてみました。

これは『狩人日記』(安野光雅)の区切り方と一緒なんですが(この本は本日読了しました)、
ほんとにゆるりとした気持ちで読んでいるといろいろ思いつくもので、
文章でもないのにこの区切り記号にふと目を留めて、
これは"縫い目"ではないか」と思いついたのでした。

安野氏の描く絵もこの連想に影響を与えていそうですが(理由はうまく言えませんが)、
本の文章を区切りごとに1枚の紙にさらさらと書いていって、
それらを繫いで1章にするという時に、
2枚の紙を(縦書きなので)左右にくっつけて並べて、
「バッテン」の印に縫いつけることで横に繋げていく、
というような想像をしたのでした。

実際の区切り部分のページにイメージを描きこんだ写真を載せておきます。
こういう「のどかな連想」もいいですね。
f:id:cheechoff:20160215010903j:plain

あ、「計画の話」はまた次回にでも。