human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

五円財布について

短くしたいまえおき

洗濯機は寮に備え付けのものを使っています。
もちろん有料で、乾燥までやって一回で200円かかります。
5年以上使っているので既に自分で買うより高くついていますが、これに関しては最初から節約しない選択で(洗濯だけに…ふふ)、アウトソーシングだと思っています。
部屋でガタガタ鳴らすよりは、外でガタガタやってもらった方がいい。
これこそ社会人のささやかな贅沢と言えるでしょう。

で、週に一度は洗濯をするので、百円玉をよく使うわけです。
新人の頃の僕はそれについて考え、「買い物のおつりの百円玉を定期的に貯めよう」と決めました。
それから時がたち、いつの間にか小銭入れ2つ分くらいが溜まり、それからは数が減らないように時々貯めるようにしています。

本題

何度も書いていますが、たぶんいつか四国遍路を歩いて回るだろうと思っています。
それも「在宅天狗」の熟練度によっては、天狗下駄を履いて。
いつもそんなことを考えているわけではないですが、今日たまたまそのことを思い出しました。
そしてなぜか唐突に「賽銭に五円玉を入れよう」と思ったのでした。

何かの本で読んだのですが、四国遍路の八十八の寺(神社、じゃないですよね…知識薄いです)の一つひとつを訪れる時に、どこか(賽銭箱の前?)で般若心経を唱えるというしきたりがある、と。
般若心経は実はけっこう頭に入っていて、それはちょっと前に流行ったをよく聴くからですが、たぶん実際に遍路に行くことになればちょっと身体に覚え込ませれば全部そらで言えるようになるはずです。
ということは考えても、賽銭のことは今まで考えたことがありませんでした。
理由は簡単で、いつも神社に行っても賽銭を入れない「届かざる者」だからです。
初詣には毎年行きますが、規模の大きい神社にきっちり年の変わり目に行くものだから正門をくぐってからの行列にうんざりしてすぐ逸れてしまうのです。
もともと人混みは嫌いで、でも初詣の人混みは普段と質が違って穏やかな、トゲのない無防備さがあってそれほど嫌いではないのですが、それとは別に何のためであれ列待ちに加わるのは嫌いです。

話を戻しますが、なぜか賽銭のことに思い至り、百円玉ストックの習慣もあるので、すぐ五円玉も生活の中で貯めて行こうと思い立ちました。
しかしちょっと考えると百円玉よりは溜まりにくいのが分かるのですが、僕は大体土曜にしかお金を使わなくて、ふつうにお金を使っていれば一日に得られる百円玉は最大4枚ですが、五円玉は1枚かゼロかです。
なので今の習慣からすれば88枚貯めるには1年以上(ゼロの日を考慮すれば2年弱かな)かかることになります。
別にどれだけかかるかは大したことではなく、これが習慣付いて、いつの間にか「五円財布」がパンパンになった時にふと「あれ、もう88枚貯まってるんでは?」と驚いたりするのは長閑なことだなと思ったりします。
五円玉というものは存在自体が「ご縁」であって(名は体を表す、です)、それが八十八枚も集まれば集まった瞬間に休職して(うちの会社は診断書があれば1月以上休職できるらしいです。病名はなんだろう…菅直人症候群とか?)四国に旅立ちたくなるかもしれないし、ならないかもしれない。
ご縁は行動を決定づけるものではなく、導くものですしね。

そして何の偶然か、『羊をめぐる冒険(下)』(村上春樹)を今晩読み終えました。
読書記録を見ると下巻を読むのにちょうど2ヵ月かかったようで、上巻と合わせれば4ヵ月ですかね。
まあこれも縁だろうということで写真を撮りました。
Macbookの上に「五円財布」と「うしくん」(本ブログのマスコットであり、森見登美彦氏いうところの著者近影。この時ばかりは残念ながら「ひつじくん」ではない)の積層体と、該ハルキ本を乗せて2枚パシャリ。
さっき財布の中にあった五円玉(貯めようと思った日に財布の中にあるのも幸先がよい)を本の上に乗せたんですが、なんと表紙絵の丸い街灯の照明部分と五円玉の穴の大きさがピッタリでした。

縁が重なり円が重なり、縁と円は混じり合うのですね。

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