human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

Veloceメモについて

部屋が寒くてキーボードが打ちづらい…
暖房器具がコタツだけだと読書はできてもPCが厳しいですね。

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読書が一区切りついて、でも外に出していた手が冷たかったので、
コタツに手を入れて「寒いなあ…」とボーッとしていました。
すると、幅広のペン立てに入った紙束が目に入った。
「あーこれなついなあ」と手に取ってしばらく読んでいました。

それは写真のレシートで、裏には(時には表にも)文字が書き込まれている。
Veloceに行った時に、その時考えたことを残そうとレシートを裏紙にしていたのでした。
会社に入った年からVeloceに通い始め、この習慣は2年くらい続きました。
なぜ止めたのか記憶にありませんが、レシートがちゃちくなったからかもしれない。

印字部分はだいぶ掠れていて、シャーペンで書いた跡が薄くなっているものもある。
時系列に並んでいて「モノの経年劣化がよく分かるなあ」と思って、あれ? と思う。
消え行く運命の思念を紙に起こしたものの、形をもった文字もまた崩れようとしている。
いいのかな? と思って、別にいいんだけどまあ折角だから、と一つ思いつきました。

筆跡が消える前にブログに打ち込んでしまおう、と。
いくつか読んでみて、「当時の思考が甦る」とまで言えるものはありません。
が、その日の出来事や当時読んでいた本が断片的な情報として含まれています。
そして僕が文字を記す時にいつも念頭にあるテーマが、繰り返し表れてもいる。

週末の午後に一人VeloceでブレンドコーヒーのLを飲みながら何かを考えていた。
そのスタイル自体は今も変わっていませんが、当時と今で違うこともあります。
たぶん、当時は今ほど(生活が、仕事が)落ち着いてはいなかった。
言い方を変えれば、「自分で何かを起こそうとしていた」気がします。

同じことをずっと続けていて、でも状況や姿勢によって意味合いが変わる。
あるいは、「ずっと続けること」そのこと自体が変化を呼び込む。
その過程、あるいは痕跡のようなものが、メモに含まれている気がしました。
抽象的なことばかり書いていますが、思い付きが行動になった理由はこんな感じです。

本ブログの普段の記事より不可解なものになりそうですが、まあ「未来の自分」向けです。