human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

空腹感について

毎週土曜の昼食の変化から思うところがありました。

つい1月前ほどから昼食がサンドイッチ(2切れ)になりました。
それまではわりとがっつり食べていて(ニラレバ炒め定食とかラーメン大盛りとか)、平日に食べないものを食べようとかちょっと太らないと体力がつかんとか思っていたのですが、1月前のさらに2月前くらいに「首凝り対策のために敢えて太ろう」と(これは週を通して)無理して多めに食べていて、その結果腹回りだけ肉がついてしかも常に「不快な満腹感」が伴うようになったので(というか満腹感が常にあることが不快なのでしょう)、また小食モードに戻ったのでした。

もともと空腹には強いタチで、朝から晩までぶっ続けで立ち読みをしていた時期もあったくらい(学生の頃の話。もうしません)ですが、たぶん空腹は人並みに感じているはずで、空腹に強いというのは何度も「空腹感の峠を越える」経験をしてきたことで空腹感に対する不安が小さくなったという意味です
この辺の話*1は経験上いろいろ書けそうなのですが話が逸れるので省略(じゃなくて後述だけど)しまして…
今は空腹感と無理して対峙しようとは思っていなくて、とはいえ無理なく対峙しようと思っている点がなんとなく無謀なのですが、いつも昼はふつうに食べていながら土曜だけそんなに減らして大丈夫なのか(しかも土曜は長時間歩くのです)といえば、それなりな対策を見つけたような気がします。

それというのは簡単で、「ゆっくり食べる」ことです。

サンドイッチはVeloceでコーヒーと一緒に頼むのですが、要はいつもコーヒーを飲みながら読書している時間を昼食時間にもしたということで、食べながら読めるということはいくらでも食事時間を長くすることができるのですね。
1月前から試しにやっているので4回はやったことになりますが、昨日だとサンドイッチ(具はポテトサラダ、トマト、レタス)2切れ¥230を食べ終わるのに2時間以上かかりました。
で、行き帰り2時間以上歩いて、朝食も夕食もいつもの時間(8時台と20時台)に食べてで、あまり無理なく過ごせています。
一口ごとにコーヒーと水を適宜飲むこともポイントのような気がしますが、やはり肝心要はゆっくりもしゃもしゃ(「もしゃ……もしゃ……」くらい)食べることで、考えるに空腹感や満腹感は実際に身体に取り込む食物の量より影響される要素が他にもあって、例えば噛む回数とか飲み込む回数とかがそれだったりするのではないかな、と。
早食いすれば腹が膨れる(と感じる)前に詰め込める、とか「箸が止まったらおしまいだ」とか(早食い選手権の話?)言いますよね。
ただ今思い出したんですが受験生の頃は依存症というくらい常にガムを噛んでいましたが(虫歯のもとなので今は全く食べません)、空腹が紛れるとか言いながらあまり紛れていなかったような気もして、もしかして速く噛むのが良くないのかなあと思ったりします。
噛む速度によって身体の消化モードが段階的に替わり、消化モードと空腹感(あるいは満腹感)が対応している、と考えてもよいかもしれません。

まあ身体の話は人類が蓄積してきた知識を当てにした方が間違いがなくて、個人の思い込みで勝手に健康法やらをあれこれするのは危険だとも言いますが、それは医者の言い分であって半分しか合っていないし言い損ねている部分もあります。
本当に危険なのは「頭だけで考えて(脳が突っ走って)健康を云々する」ことで、医者が言わないのは「医者に言うことを守ってさえいれば問題ないと(頭が)思うことの危険性」で、どちらも自分の身体に対する感度を下げてはいけないという戒めです
実は「健康」というのも脳がひねり出したことであって、健康であることと、ある年齢の身体があるべき(自然な)状態であることとは違うのですが…

+*+*+*

どこかで話が逸れて脈絡を見失ったのでリセットします。

最初に書きたかったのはVeloceでの空腹状態と自分の部屋での空腹状態が違うことについてでした。
土曜日の成功(つつがなさ?)を受けて、日曜(は一日中部屋にいます)も同じことをしてみようと思い、こちらは2週間前から試しているのですが、部屋でパンとコーヒーをゆっくりもしゃもしゃやっていても、空腹感がなかなか消えないのです。
食べるものの種類と量、それから時間間隔を同じくしても、カフェと自室とで空腹感に違いが出るということは身体の活動量や緊張度のせいかなと考えます。
土曜は散歩にしろ立ち読みにしろ「活動」ですし、カフェは公的空間ですぐそばに他人がいるわけなので部屋にいる場合よりも全身が緊張しています。
(カフェにいてどのようなエネルギィ消費がなされるかですが、身体の緊張だけでなく「他者との相互作用」もあるのかなとふと思いました。といっても万有引力ではなくて、一言でいえば「無意識的なミラーニューロンの活動」でしょうか)
身体が活動状態だと(一人でぼーっとしているのに比較して)エネルギィの消費が多いはずで、そうなれば余計に空腹を感じそうなものですが、僕の土日の経験からするとその逆の傾向が見られています。

不思議だなあ、と思うには思って、でもたぶん別のアプローチから考えると不思議ではなさそうだという予感があって、その内容を今から書こうと思うのですが(ここまでが実は全部前置きという驚愕の事実…自分のことながらキレイな文章を書く意思が全く感じられません)、

 気持ち(or/and身体?)に余裕がないと空腹を感じないのですね。

なんと当たり前な…なのですが、しかしVeloceでの空腹感のなさはそう悪いものでもなくて、仕事で大きなプレゼンをやる前に緊張しまくって何も食べられない、けど終わった後ですごく空腹で食べるご飯がおいしい、とかと同じで、余裕ばっかりだと身体がだらけてしまうので適度な緊張が必要だということになります。

あれーやっぱり当たり前ですね。
まいっか。

+*+*+*

変な話ですが、
今の生活の中で僕は満腹よりも空腹の方が「よいもの」だという感覚があって(「満腹感の幸せ」よりも「空腹感の"生きてる感じ"」の方が…よい?「よい」を上手く言い換えることができませんね)、
たぶんこのことは今の生活全体が(見方によっては過剰に)「活動的」であることを意味しています。
脳と身体とがどういう比率で活動的かは分かりませんが、読書ばかりしてると前者に偏るだろうと思えそうですが、バランス良く使えているといいですね。

そして、「"満腹感"の方がよいと感じられるようになることがこの先にあるだろうか?」という疑問が書きながら浮かび上がってきましたが、
これは「問い続けていくタイプの疑問」だという直感があります。

そうなることがよいことかどうかも、よく分かりません。

 

*1:空腹感が峠を越えると空腹を感じなくなってだんだん身体が発熱してくるのですが、それは身体のエネルギィ消費モードが切り替わった徴候であって、空腹ダイエットはこのモードをいかに維持するかが重要なのかなと思ったりしますが、その状態でふつうに(あるいは腹が減り過ぎたと思ってバカみたいに沢山)食事を摂ると体調を崩します。お寺に泊まり込んで断食をやる時に、食事内容がだんだん移行していって開始後何日か経って水だけになって、でもそこからふつうの食事に戻る時にはもっと神経を遣わないと命に関わる、みたいな話をなにかの本で読んだ気がしますが、昔の自分はその辺の気を遣わずに危ないことをしていたようですね。