別の次元の「つきあい」、もう一つのフィルタ ─ ある関係の始終についての演繹的思考 (3)
──ねえ。人って不思議なものね。生きている間は、ほとんど忘れていたのに、死んでから初めて始まる人間関係っていうものがあるのね。
──海里のこと?
──まあね。あなただから言うけど、その人が死んでくれて初めて、その人をトータルな「人間」として、全人的にかかわれるようになる気がする。生きているときより、死んでから、本当に始まる「何か」がある気がする。別の次元の「つきあい」が始まるのね、きっと。あなた風に言えば、「咀嚼」できるっていうか。
梨木香歩『ピスタチオ』
前↓に「記憶の供養」と書いたが、それとも繫がるかもしれない。
このことは後で触れる、かもしれない。
× × ×
人が死ぬと、その人とはもう二度と会えない。
その人を目の前にすることが、全く不可能になる。
生きていれば、まだその可能性はある。
いかなる事情が、その人と自分とを引き離しているのであれ。
という考え方が「死の絶対性」であるが、
目の前にありうることは、ある面における重要性でしかない。
抜粋部を読んで、そのことにあらためて気付かされた。
本読みとして十分に認識していたはずが、ある経験に適用できなかった自分に。
ある期間に深く関係した人と会えなくなる。
その関係が、現実的なその関係が濃密であればこそ、
会えなくなることで、関係が絶たれた、なくなったと思う。
その喪失感に圧倒されて、「なくなった関係」について考えることを、
未練があると思い、それが後悔や自己批判の堂々巡りを引き起こす。
「記憶の供養」と僕が書いた時、僕は、
比喩的に「その関係の記憶」自身が変化を欲していると考えた。
そして恐らく、供養が適えば、記憶は鎮まる、
具体的には顕在意識に現れなくなると考えた。
そしてその時点で、
いや、そうではなく、
記憶となった時点で「その関係」はなくなったと考えたはずだ。
でも、そうではないかもしれない。
あるいは、それだけではないかもしれない。
記憶でしかなくなった関係は、そのあり方を変えたのだ。
梨木氏のいう、”別の次元の「つきあい」”が「生じた」ともいえる。
そしてその「つきあい」が未だ存在することは、
僕にとって可能性なのだ。
…抽象的すぎるので違う表現を探してみる。
"別の次元の「つきあい」"は、変化する。
現実的な関係はもう存在しないのに、変化する。
この現実的な関係がもたらす入力は、
"別の次元の「つきあい」"に対する唯一の入力ではない。
そう考えてしまうのは、上述の「ある面における重要性」を重く見過ぎるためだ。
梨木氏はこうも言う。
"その人をトータルな「人間」として、全人的にかかわれるようになる気がする"
これは、単に「盲目的、近視眼的でなくなる」というだけではない。
冷静になって客観的に考えられるようになることだけを意味しない。
少し遠いところからこれを表現すれば、
「その人の目で見ることができる」ようになる、といえないか。
自分がある場面に立ち会ったり、ある事件を見聞きした時に、
「あの人ならこれをどう考えるだろうか」
と想像することがある。
この「あの人」とは、一方的に憧れていた現実の知人であったり、
その思考に感化されて私淑するようになった著述家だったりする。
梨木氏の言葉に、どこか、この想像と似たようなところを感じる。
「記憶の供養」について書いた記事の書き出しに、
なにかにつけてその人のことを思い出すと書いた。
この現象を「未練」というフィルタをかけて解釈すれば、
過去を悔やみ、反省し、あるいは現実的な関係の再構築を望んでいる、
という意識を自分の中に見出すことになる。
しかし、今ここに、それとは別のフィルタを発見することができた。
何と名付ければよいだろうか。
わからないので命名については保留しておくが、
その人と共にした経験が自分の一部となり、
自分の思考や価値判断に直接影響を与えている自覚はないものの、
その可能性、すなわち思考の可能性や判断の可能性を提示している。
そういうことではないか。
そして、その可能性の提示は、
新たな関係、すなわち別の人との関係の構築を助けてくれる。
"別の次元の「つきあい」"が、新たな人間関係を仲立ちする。
それ自身が変化してこそ、このことを可能にする。
それは、変化しながら生きていく自分の一部となったのだから。
× × ×
なるほど確かに、森博嗣氏の言う通り、
「思考は自身を救うものである」と、
本記事を書き終えて実感した次第です。
考えることは、基本的に自身を救うものである。(…)「考えすぎている」悪い状況とは、ただ一つのことしか考えていない、そればかりを考えすぎているときだけだ。もっといろいろなことに考えを巡らすことが大切であり、どんな場合でも、よく考えることは良い結果をもたらすだろう。
森博嗣『孤独の価値』