human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

鳥居の結界について

最近『ぎんぎつね』(落合さより)を読み始めました。
1巻の終わりに「神社での参拝の仕方」の解説がありました。
そういえば参拝の仕方を本なりで「学ぶ」ことは今までありませんでした。
ふつう参拝の作法は、家族や友人に教わるか見よう見まねでやるか、だと思います。

これまでなんとなく知っていたのは「賽銭を入れたら鐘を鳴らして手を合わせる」と、
「水場で柄杓で手を清める」と、あとは「門の敷居を踏まないで通る」くらいです。
どこで聞いたか記憶はありませんが、小さい時に親に教わったのでしょう。
本にはもっと細かい作法が描かれていたので、覚えている限りで書いてみます。

 ・鳥居に通じる道や階段の真ん中は神様が通る(神道?)ので、端を通る(右側通行?)
 ・鳥居をくぐる前に深く一礼する(背筋を伸ばし、上半身を90度曲げる)
 ・水場の水で清める手順
  (1)柄杓を右手に持って、左手にかけて清める
  (2)左手に持ち替えて、右手にかけて清める(左右の順はなかったかもしれない)
  (3)手に水を溜めて、口を清める(口に含むのか、唇を潤すのかは分からず)
  (4)柄杓を持った部分を水で清める(具体的にどうやるんだろう…)
  ((1)〜(4)は柄杓1杯分で行なう)
 ・賽銭箱の前では…ほとんど忘れました
 ・ただ、お金を入れて綱を引いて鐘を鳴らした後に、拍手(かしわで)を打つとあり、
  拍手は右手の平を少し上にずらして打ち鳴らす、だったかな
 ・帰りに鳥居をくぐる時も、くぐってから振り返り、深く一礼する。

検索すればちゃんとした説明が見つかると思うので、正しくはそちらを参照下さい。
僕がなぜそれをやらないかといえば、またそれも一つの縁だということです。
作中でも主人公(神主の娘で高校生)は作法に疎く、いつも神道の真ん中を歩きます。
彼女は神司の狐を見る目を持ち、狐とも、家族やクラスメイトとも柔らかく繋がる。


このマンガのことを書こうと思ったのは、毎週歩く道の途中にある神社で思い出したからです。
住宅街ですが高台にあって、鳥居に続く階段を上がると街を見渡せる(戸室にあります)。
敷地は小さく、本殿の横には集会所がありますが、土曜に通る時はだいたい静かです。
今は木々の葉が落ちていますが、緑に覆われる時期はなかなか風情があります。

神社に入り、本殿前の広場を通った時に『ぎんぎつね』の話を思い出しました。
「そうはいっても、いないしなぁ…」と思い、広場でしばらく放心していました。
夏には風情ある木漏れ日にうっとりできるのですが、今は白けて索漠としています。
周りに人はおらず、鳥などの動物の気配もありません。

それから階段に向かい、鳥居のそばで眼下の街並を眺めて。
なんとなく、鳥居をくぐり。
なんとなく本殿を振り返り。
深く、一礼してみました。

するとなんだか、
「いる」ような気がしてきたのでした。
鳥居の前で一礼をした瞬間に、鳥居の内側の空間が、
わずかに変化したような気がしました。

「近くに人がいたら、まずやらないだろうな」と思いました。
あと、「作法に意味があるのではなく、作法が意味を生むのだな」とも。

ぎんぎつね 第1集 (ヤングジャンプコミックス)

ぎんぎつね 第1集 (ヤングジャンプコミックス)