human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

Gestalt Climbing その2、あるいは高齢化社会におけるクライミング文化立ち上げの理路

 
住み始めて半年経つ離島生活。
半官半Xをやりながらクライミング文化の立ち上げに奔走(というほどでもないが)し、
そちらは紆余曲折あって、今日、とある区民体育館を使うために区議会で話す機会となりました。


その区の住民は全戸140人ほどのうち、半数以上が60歳を超える。
ボルダリングが「ムキムキ若者のイケイケスポーツ」といった一般的印象を持たれているとすれば、
区民の方々が、自分たちがそれ(ボルダリングウォール)を使うという発想を持つことはありえない。
 
若者全盛のプロスポーツではなく、生涯スポーツや武道としてボルダリングを実践する。
これまで町のいろんな人に計画をアピールするうえで、この路線を強調してきました。
といって、口で説明するのは容易でなく、長文の書類にそういった文脈を混ぜてきた、という意味ですが。
 
つまり、僕が島でやろうとしているボルダリング事業の思想を対面で直接戦わせたことはまだありません。
そして、その最初の機会が今日の区議会、ということに、なるかもしれません。
「なるかも」というのは、そういう込み入った話以前の実際的なレベルに終始する可能性も高いからです。
 
区立体育館は公共施設で、「活用」はほとんどされていないが、「利用」は普段からちょくちょくある。
施錠せず自由開放されていて、子どもや他区の部活動など、好きな時に使えるようにしてある。
区民はもちろん、町民はみな「区費」を支払っていて、回り回ってそれは体育館の管理費に充てられる。
 
その現状の区民の自由利用が、僕が個人の営利事業のために一部制限されてしまう、という話なのだ。
中身を問わずこのように問題の大枠だけ捉えれば、マイナスな印象を持たれるのは当然に思われる。
だから僕は、「これまでの自由の制限」というマイナスと、「事業によって可能となる活動」のプラスを具体化して説明し、区民の一人ひとりに比較考量してもらえるようにしなければならない。

 × × ×

まず、マイナスをなるべく少なくする事業の方法の検討。

鍵の管理を事業側(僕)が担うことになると、常時開放ができなくなる、これは恐らく認められない。
他の事業(カフェとか)も同時に入って、共同管理くらいになれば開放維持のハードルは下がろうが、あまり現実的ではない。
この点は、体育館をウォールで分割し、非常口の1つで施錠管理の方法を提案する。
 
次に、公共施設を個人が私的事業に用いる点について。

現状、活用(規模の大きな利用)がほぼないという意味で、区民体育館は「遊休施設」といえる。
遊休施設の活用のために、当初は町(教委)や共創基金の協力を得て公共施設としてのウォール設置を検討したが、
予算規模や立地の面で可能性はないと町からは判断が下された。
この経緯があっての、営利事業展開の提案である。

ウォール設置はじめ、事業に関する施設は全て私財の投入によって賄う。
体育館は区のものだから、区民として利用の優遇があるべきと言われれば、無論、その内容(利用無料など)を検討する。
あるいは、設置費がペイできたら区民利用は無料にする、それまでは事業側へのカンパとして使用料が頂ければ有難い。

区が管理する体育館ゆえ、そこで起こる問題を区が負わねばならない事態を、管理者(区長など)は懸念している。
施設部品の破損については、事業側がすべて設置したものなら、区がその責任を負う必要はない。
利用者の怪我については、正規の利用時には「利用注意書き」の一読とサインを利用者にお願いする(一般的なジムと同様)。

正規以外の利用(営業時間外に触れるなど)で怪我が発生した場合、それを区に訴えるクレーマーが、いないとも限らない。
と、区側は怖れるが、事業者側は、利用者の顔が見える小規模の区だからこそ「匿名者」に振り回される必要はないと考える。
不慮の事故が起こらないレイアウトと利用方法を決めたうえで、それでも起こりうる非正規利用について具体的に話し合えばよい。
 
また、感覚的な内容だが、事業者は「細々と生計が成り立つ」ように運営できればよいと考えている。
だから、事業で得た利益を、区民に還元できる方法があれば、検討・実行したい。
体育館の賃料を払う、館内に区民が要望する別の施設を設置する、等々。

 × × ×

さて、ようやく、「プラス側」の話。

基本的に、この事業は島全体からの来客を期待している。
小学校低学年から、高齢者まで、五体満足で歩くことができ、梯子や脚立に登れる人全員を対象としている。
テレビ番組やオリンピックなどで膾炙しているボルダリングとは違うイメージで、ぜひ捉えてもらいたい。

キーワードは、最初に挙げた、生涯スポーツ、武道(武術)、また、
フィットネス(ヨガ、太極拳など)、木登り、アスレチック、全身運動、等々。

すべてに共通するテーマは、「身体性の賦活」、自分の身体に関心をもち、身体感覚を敏感にすること。
「見ている世界」と「自分の運動について知っている世界」の安定した幸福な結合(J・ピアジェ)。
自身の運動能力に関する、脳と身体の齟齬をなくし、自分の身体と「仲良くなる」こと。


いや、この話はちょっと一時休止して、区民の方への別の関心について考えよう。
体育館のボルダリング利用によって、島からこの区へ人が集まることから描ける未来について。
まず、人が区に多くやってくるようになることを、区民の方々は歓迎するのかどうか。

歓迎してくれるとして、ではそこから、区民が増える、別の事業が生まれる等の展開を描けるかどうか。
ボルダリングは教育にも有益である、授業の一環にも、レスリング等の強化訓練にも使える。
ホテルや観光促進課と提携すれば、観光客を呼び込めるかもしれない。

まず、僕自身は体育館で事業ができるとなれば、この区に住んで住民として事業をしたいと考えている。
ジム運営以外にも、便利屋や古本屋、図書館事業など、区のためにできることは他にもある。
そして、僕はジム事業も含め全て、生涯現役で(あと50年くらい?)続けたいと思っている。
 
こんな人間が現れて、もし現状維持ではなく、僕を巻き込んでの新たな区の未来が区民の方々に描けるなら。
僕はその未来を一緒に実現したいと考えています。
 
 
「プラス」の話に戻る、そしてゲシュタルトライミングについても。

ゲシュタルトライミングのキーワードは「アフォーダンス」(前に書いた記事参照)。
動きに合わせて変化する周囲環境と、身体との相互作用としての運動を考える。

平たい地面に立っている、束縛のない状態がいちばん自由に身体を動かせる……
という常識は怪しく、束縛は「導き」でもあるから、その自由は茫漠としている。

動作の経路や方法に制限があるからこそ、その制限を活かすための身体動作の工夫が生まれる。
その工夫は、茫漠な自由からは得られない発見をもたらし、新たな身体部位の賦活も共にもたらす。
つまり、動作可能性の多様度と自由が相関するなら、多様な制限を伴う動作の工夫の経験こそが、自由を高めてくれる。
この「多様な制限」は、ボルダリングにおける自由な課題設定が最も得意とするものである。

決められた石を使って上(横)に移動する、その多種多様な「壁と身体の対話」の繰り返しによって、
身体のアフォーダンス感度が賦活されると、それは日常生活の感覚も変化させる。
階段の上り下り、布団の上げ下ろし、子どもを抱きかかえたり、買い物袋を手に提げたり。
坂道の上り下り、山道の土を踏みしめる、自転車の漕ぎ始めやカーブ、ぬかるみを歩く。
これまで意識もしなかった、日常生活の動作において、各々の状況における環境との相互作用に意識が向かう。
その相互作用は、自分のその各々の動作の微調整への関心を呼び起こし、試す、やってみるようになる。
 
ちょっとした時の身体の使い方に関心が向かうことは、身体を使うことそのことの喜びと繋がる。

 × × ×

では、行ってきます。