human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

21日目:岩不動の「役者住職」 2017.3.21

 

<21日目> 仏坂不動尊→宿(一福旅館) 16km

(1)チャリおじさん
「なずな」を出て近くの海沿いを少し離れた〇〇〇〇[判読不能]の前で杖を2本チャリにのせたおじいさんと話をする。「チャンバラ貝」が須崎の珍味だとか(今日街で聞くの忘れた…)。

海というか、湾が見渡せる開けた道から少し内陸に入り、アップダウンのある森のこんもりした道で出会ったのを覚えています。

(2)彫り師のおじさん
 海沿いの山道の分岐過ぎで後ろからきたおじさんとしばらく同道する。10年サラリーマンやって、26の時に両親が死んで「人っていつか死ぬんだ」と思って(「こんなことやってる場合じゃない」?)、会社を辞めて[彫り師に]弟子入りしたそうな。[彫り師の仕事は]暇が作れるので時々長期で出られる。寝袋・テントをかついで野宿スタイル(宿を決めないで自由に歩きたい)。おにぎりをくれ、お札交換をした。一本歯の歯の木を見て「これはホオ[朴]ですね」と。さすが彫り士[ママ]。道路は基本かまぼこ型なので、靴の減りを偏らさないよう両側に均等に分けて歩く、と教えてくれた。ちょうど少し前に歯の減りと「徳島カーブ」「高知カーブ」の方向[←道路の曲がる方向の偏りのことと思われる]と相関を思いついたところだったので、この話と合わせて問題解決(謎の解決&対処法アリ)。短い間にしろ非常にお世話になりました。

頭にバンダナを巻いた、野性味あふれる人でした。
一本歯の「歯の減り」は死活問題で、この翌日(22日目)になかなか衝撃的な写真を撮っています。
次の記事をお楽しみに。

(3)岩不動にて
 本尊の不動明王にお参りして道を下ると、休憩所っぽいところにいたおじいさんが手招きしているので中へ。近所の百姓だというが茶飲み話に付合ううち、だんだん説法になる。後の方で「実は[私は]ここの住職」と明かされるまで全く気付かず(やけに目がランラン[爛々]としていると思ったが、こんな「近所の人」がいても面白いと思ったか。「住職が京都へ行くのにもついていった」という話が、今考えると妙だなと分るのだが…)、有難い話を延々3時間強[聞かされる]。パワースポット岩不動の話、インドへ修業に行った若い女性へんろさんの話、空海の生い立ちの話(修業に最初は失敗したとか、開眼してからもスゴイ格好で民衆に石を投げられたとか)、神に仕える生き方の話、ここでの修業とここにくる色々な人々の話、霊感ではない神通力の話、等々。もし修業したくなったらまたここに来ようと思う。一泊はとめてくれるらしいし、滞在するなら須崎市に逗留すればよい。「仏になる方法」を教えてくれるらしい…! 自分が何をすればよいか分からなくなったら、あるいは「引き寄せられるもの」を感じたら。普通に働いていて、月一で東京から来る人もいるそう。

この住職のインパクトは強烈でした。

四国遍路という旅は日常生活から振り返れば非日常に感じられますが、遍路の、特に通しの歩き遍路は期間が長く(平均40日間)、歩みの遅い一本歯での歩き遍路はまたさらに長期にわたり(実績58日間)、旅の過程ではそれ自体が日常と化すわけですが、そのような「非日常の日常」の中にあって、コンロ・やかんのある台所や茶器のしまわれた棚など生活感漂う休憩所(造りを別にすれば「草庵」と呼んでもよいでしょう)での住職とのやりとりは、どこか別の時代か、過去にどこかで分岐した平行世界の現代日本のような、「非日常の非日常」を感じさせるものでした(それはどこまでも異次元の感覚だったか、あるいは、「マイナスのマイナスはプラス」の如く、こちらの構えをことごとく解きほぐすほどしっくりし過ぎたひとときであったか)。

帰ってから復元できると思って、日記にはトピックだけ羅列してありますが、時間が経ってしまった今となってはその詳細は思い出せません(そもそも、一日中歩き通して宿に着いて夕食をたらふく食べてお風呂or温泉でまったり(ぐったり)してから寝るまでの間のひとときに日記を書くので、詳細を書く体力が残っていませんでした。執筆が翌日の朝や道中に繰り越されることも度々ありました)。
それでも、住職を通して仏教のもつパワーをありありと感じたのは覚えています。
幸か不幸か、ここから四年後の今まで「自分が何をすればよいか分からなくなった」りはせず、むしろ生活の中に修業を見出す方向性が見えたりして、当時生まれた縁が、復縁とはならずとも新たな縁のきっかけとなったようでもあります。

人間には人知で測れない(つまり未だ科学の未解明な)潜在能力があって、「宗教は信じたもの勝ち」でもあって、このどちらも認識自体はまっとうなものであって、けれど縁の力は偉大ではあれ、宗教への目覚めはやはり本人次第であるのだと思います。

所感:
 今日はとても濃かった。いろんな人に会えるのが興味深い。「とにかく沢山縁を結ぶこと」という住職のことばは大切にしよう。人混みはイヤ。だから帰ってからのことはまた別として(それくらい[←僕くらい? 当時は31でした]の年になると「自分がどういう生き方をすべきか」は自分の中に確立している、と言っていた)、この遍路歩きでは生まれた縁は大事にしよう。そのために時間の制限がないのだから。

「人混みはイヤ」、昔も今も変わらぬ本音ですね。
この遍路旅に出る前は精神的に弱っていたこともあり、日記の中でも時々ぽろりとネガティブな発言が出てきます。

「歩きたいから歩き遍路に行くんだ」と、何かしら願掛けをする多くのお遍路さんとは一線を画す意識を当時の僕は持っていたのですが、振り返ってみれば、というか他人事として見れば、あれは「心の回復の旅」でもあったように思います。