human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

<AR-F04> Innocence Mirror

 
 言葉は常に両義的で、言い放つ瞬間に反転することがある。
 その身に余る言葉は、純粋な鏡の前で無慈悲に己を裏切る。

 行動の目的に拘る男は目的意識に囚われているのではない。
 目的の存在理由は行動に必然がないという観察ゆえのこと。
 

キーティングは、自分がいちかばちか賭けてみるなどということはすべきでないし、何も言わず帰るべきだとわかっていた。なのに、名状しがたい何かが、いっさいの実際的な考慮を超えて、キーティングをつき動かしていた。彼は、不注意にも言ってしまった。
君は、生涯に一度でも人間的にはなれないのか?
「何だって?」
「人間的。単純で、自然な」
「だって、僕はそうだけど」
リラックスできないのか、君は?
 ロークは小さく笑う。なぜならば、彼は窓の下枠に腰かけ、壁にのんびりともたれ、長い両脚をだらりとぶらさげながら、タバコを指の間に気楽にはさんでいたから。
「そういう意味じゃないんだよ! なんで、君は僕と外に出て飲むこともできない?」と、キーティングは言う。
「何のために?」
君は、いつも目的がなければいけないのかい? 君は、いつもいつも、そんなに馬鹿馬鹿しく真剣でなければならないのかい? 理屈抜きで何かするってことは君にはできないのか? ほかのみんなみたいにさ。君は、やたら真剣で老成している。あらゆることが、君には重要なことなんだ。あらゆることが、どういうわけか、偉大なことであり意義あることなんだな。いつでも、君がじっとしているときでさえだ。君は、心地よく気楽に......つまり、ささいでつまらないけど気楽にしていられないのか?」
「していられない」
「英雄的でいるのって疲れないか?」
「僕のどこが英雄的?」
「そんなところは全くないんだよ。だけど、すべてそうなんだよ。わからんよ、僕には。君がしていることがそうなんじゃない。君が回りの人間に感じさせることが、そうなんだ

アイン・ランド Ayn Rand『水源 The Fountainhead』藤森かよこ訳、ビジネス社、2004 p.111-112