human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

Goodbye, and Goodhello

 ねえ、クリストファー・ロビン。もういってもいいよね、「疲れた」って。ぼく、ほんとうに疲れたんだ。
 世界がこんな風になったのは、向こうの世界で(どんな世界か知らないけれど)、とんでもないことが起こったからだ、というやつがいた。だから、ぼくたちは、自分で自分のことを書かなきゃならなくなったのだと。そうなのかもしれない。でも、そんなことは、もうどうでもいいのだけれど。
 クリストファー・ロビン、「外」を眺めているのかい。ただ、「虚無」しか見えないのに。でも、もしかしたら、きみには、もっと別のなにかが見えているのだろうか。

さよならクリストファー・ロビン」(高橋源一郎さよならクリストファー・ロビン』新潮社,2012)

 
「物語はかつて、人から人へ語り継がれたきたんだ」
「そうね」
「なぜなら、その物語は、形はなくともずっと残されるべきだと、人々が思ったからだ」
「……」
「そして、人は物語に形を与える方法を見つけた」
活版印刷?」
「そういうことだ。いや、石板とか、壁画とか、古いものはいろいろあったけれど、ひとつの革新はそこにあった」
「紙は文字を書くにも、束ねて保存するにも便利だものね」
「本を発明することで、人は語り継がずとも物語を残すことができるようになった」
「物語が確とした形を持つことになった」
「それは物語の本質ではないけれど、物語を後世に伝えたいという一世の人々の願いを叶えるには十分な形態だった」
「……そして?」
「そして、今再び、物語は形を失くすに至った」
「電子媒体?」
「そういうことだ。画面に呼び出せば文章は現れる。が」
「それを『形を持つ』ということはできないのね」
「形を持つものは、同時に異なる空間に現れることはできない」
「……」
「データは無限に増殖する。それは、本質的にデータが物ではないからできることだ」
「……つまり?」
「つまり、物語の伝授は新たな段階に入ることになった」
「物語は形なく伝えられ、更に伝えるために形を得て、そして更に伝えるために形を失った」
「形は本質ではない、しかし伝達効率の決め手ではあった。効率の名の下に、物語は形を変えてきた」
「文字通り?」
「そういうことだ。そして」

「形式が本質を喰い破る?」
「……」
「形を得た物語は、形があることで力を、その効果を幾分失いはしたけれど、それでも人々は物語に願いを託して引き継がれた。物語の本質的な力が減じた分、形を得ることで新たな可能性も生まれた。けれど、再び形を失った物語は、もう前には戻れないのね?」
「……そうだ」
「語り継がれる物語には、物語自身に力があった。形を得た物語は、その形によって、異なる時空にいる多くの人々が力を引き出せるようになった。けれど」
「けれども、力を失い、一度は得た形をも失った物語は」

「消えていくのね?」
「……」
「データとしては残る。無限に増殖する可能性も秘めている。でも、消えていく。そうね?」
「……」
「では、私たちはどうすればいいのかしら?」
「……」
「再び、形を取り戻す? データを、形式ごと破壊する?」
「それは、僕たちがこれから考えていかなきゃならない。後戻りはできない。僕らにできるのは、先に進む道を選ぶことだけだ」

「本当かしら?」
「……?」
「かつて物語は本当に、過去から現在へ、現在から未来へ、伝えられてきたのかしら?」
「……」
「形なき物語は、形に永遠を求める必要がなかったのではないかしら?」
「……」
「物語に形を与えた人は本当に、それで心の平穏を獲得したのかしら?」
「……つまり?」


「その先はあなたが考えるのよ、プー」
 

「おじいちゃんは死んでしまったけれど、私の心の中にいつまでも生きている」という言い方が慣用表現みたいにしょっちゅうされるが、「私の心の中にいつまでも生きている」ことは回想される情景の中で死んだ人も生きていることとは違うのではないか。何が違うか? と訊かれたって今の私には答えられない。しかし、回想するという行為を、「私の心の中」という閉じられた領域の中だけで起こっている個人的な行為と考えないで、もっと現実的で非 - 主観的な次元に開くことができたら、というか、〈主観 - 客観〉という二元論で貶められている主観に正当な領域を切り開くことができたら──大げさに言えば、回想するという行為を世界に還元することができたら──、今と過去の関係を変えることができるのではないか。
 回想される情景の中では今はすでに死んでいる人が生きているのだが、見方を変えれば、回想される情景の中にいる自分自身もすでに死んでいる人と同じように戻ってこない。私は今はすでに死んでいる人と会うことができないが、回想の中にいる自分自身とだって会えるわけではない。私がよく知っている私はそういう死者の領域にちかいところにいるのだ。

「時間には人間の力は及ぼせない」p.164-165 (保坂和志『「三十歳までなんか生きるな」と思っていた』草思社,2007)

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さよならクリストファー・ロビン

さよならクリストファー・ロビン

「三十歳までなんか生きるな」と思っていた

「三十歳までなんか生きるな」と思っていた

  • 作者:保坂 和志
  • 発売日: 2007/10/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)