human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

川に佇む

禅のことばで水は流れず橋は流れるなどという。
論理ではないらしいから考えてもしかたがない。
しかし流れない水には興味をひくものがある。

水たまりやバケツのほかはだいたい水は流れるものである。
流れない水が水たまりやバケツではなく流れている水である場合に興味をひく。
魚が川の流れを感じないことは我々が空気の流れを感じないことと似ているだろうか。
流れにのれば、あるいは流れが極端にゆっくりしていれば感じないこともある。

しかしここでとりあげたいのはそういったことではない。
例をあげるなら流れている水がある瞬間に、あるいはある時から流れないような水のことだ。
水は流れず水は流れる、ちなみにこれは禅のことばではない。

魚ではなく川になれば水は流れずとなるかもしれない。
人はみたものになれるというから川をみればよい。
水が自分のなかを流れれば水は流れずとなる。
血は我々のなかを流れるが川における水は我々における血ではない。

それをあえていうならそれも我々である。

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↓こういうのあります。

www.noisli.com

↓川のせせらぎアイコン。

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