human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

跳躍の第九歩

前回↓に立てた方針が当たりました。

その方法をそのままやり続ければいいというわけではないが、方向性は合っていたようで、今日歩いてみて「道が開けた」感触をもちました。
cheechoff.hatenadiary.jp

続きは後半に書きます。

まえおき

今日は夕方までは家でゆっくりしていました。
昼前から小島信夫の『寓話』の続きを読み、なぜかわからないが生活意欲がじわりと湧いてきたので、昨日の「山裾ハードトレッキング」の後処理をしました。

土まみれになって色が所々はげ落ちた皮靴の手入れ(土をキッチンペーパで拭き取って、靴ブラシで表面状態を良くして塗料がのりやすいようにしてから綿生地でコーヒー色の塗料を塗り付ける。靴底の汚れを取らなくても見違えるように生気を取り戻しました。履き心地もより足に馴染んでくるようで不思議です)と、下りの急斜面で(貴船神社の通りに降り立つ寸前に)思いのほか足がすべって一度尻餅をついた時と数え切れないくらい斜面で際どく踏ん張った時についたズボンの尻と裾と靴下の土を風呂場で落として(洗面器の中に湯を張ってじゃぶじゃぶやりました。いつも洗濯機にやってもらってることですが、自分でやってみると案外楽しいものです。子どもの水遊びの感覚でしょうか)から洗濯機で脱水・乾燥させました。

家事をやって勢いがついたので、MKボウル上賀茂へバイキングを食べに行きました。
朝食を11時に食べて、昼食のつもりのバイキングが17時になってしまいました(ので夕食はさっき22時前に食べたみかん1つ)。

帰りは北大路タウンのスーパーに寄って食材を買い、賀茂川に戻って下って帰りました。
その賀茂川に戻ってきた時は東岸の河川敷の1つ上の道(地肌に大きめの砂利が乗っていて多少ごつごつしている)を通りました。
今日は雲がほとんどない快晴で、日が暮れていたその時は月が煌々と光っていたので*1、月を見上げながらそのごつごつした道を歩いていたんですが、大きな石を知らずに踏ん付けても意外に難なく対処できる(バランスを崩さずに臨機応変に踏み込み方を適応させて着地できる)のだなあと思い、これを一本歯に応用したいなあと思った時から修行モードに移行して、進行が横に逸れて草むらに入ったりしないように確認する以外は前を見ずにずっと上を見ながら歩きました。
その道はすぐ横に木が並んでいて、頭上にその枝が張り出していたので、月光がなす枝のシルエットを見ながら歩きました(何もなくてただ夜空だけの場合よりも視覚に対する関心が高まるので、足裏感覚の鍛錬に対するウェイト(重し)になります)。

帰ってきて、「昨日の疲れも南野園是式」で余力があり、しかし満腹でプールには行けそうになかったので、一本歯で高野川ナイトウォークに出ました。

ほんだい

前回の第八歩の終わりに思いついたことを最初から試してみました。
つまり「上を向いて歩こう」で、踏み込む地点を目で確認しないようにして歩きます。
高野川河川敷は靴でも一本歯でももう何度も歩いているので、一本歯にとって注意を要する箇所はもう頭に、いや身体に入っています。

視界にあまり頼らない前提でいたのでメガネをかけていなくて、上を向いてもぼやけていて、飛行機が飛んでいる場所がぎりぎりわかるくらいのもので、まあその飛行機とか特に明るい星くらいを見ながらあまり考えずに歩いていたんですが、上を見ながら歩くと確かに前に踏み出す足の幅が大きくなるような感覚があって「へえ」と思ったんですが、これはきっと、これまで靴で歩いてきて形成された「前傾姿勢の許容できる(身体全体の?胴体の?)傾き」があって、一本歯で胴体がわりと垂直の状態で前傾するとその許容量に早々に達してしまって歩幅が出ないのだけど上を向いて胴体が後ろに反っている場合はその反っている分だけ許容量のカウントを減らすことができる。

と勢いで書いてみて自分でもよくわからないのですが、身体がこれまでの経験で覚えているものは「前傾姿勢の傾き」よりは「前傾姿勢の傾きによる前方への加速度」かもしれないと今思いつきました。
上半身が後ろに反れば、同じだけ足を前に踏み出しても加速度は減じることになります。

まあその考察は今のところけっこうどうでもいいのです。
ここからが今日のハイライト。

上で飛行機や星を見ながらと書いた部分の続きですが、ここからが面白くて、さっき上で賀茂川を下る時に見ていた月は前方にあったわけですが、今高野川を上る時には進行が逆向きになるので月は後方にいます。
上(前方)を向いて飛行機や星を見ながらしばらく歩いていて、何を思ったか、たぶん上半身を後ろに反らせる行為における慣性だと思うんですが、「もっと上は?」と思って、首をさらに曲げて頭上よりも後方の空を見ると月がいて、やっぱ今日は明るいなあと思っていると急に走り出しました

その瞬間「え?」と思ったのは自分が一本歯で走ることなんて考えたこともなかったからで*2、そして今現に一本歯で走れることにとても驚きました。

一本歯でジャンプすることはなかなか難しくて、靴や裸足で跳ぶのに比べると「なんでこんなに跳べないんだろう」と思うくらいの落差があって、それはつまり地を蹴る時に使えるバネの違いによるのだと思うんですが(靴や裸足なら踵が浮く(=足裏の指の付け根部分で踏ん張れる)ので指の付け根から踵までの部分をバネに使えますが、一本歯は基本的に足裏と下駄の台となる板は不即不離の関係にある*3のでそのバネは使えません。この点では二本歯である駒下駄は前者に近いですね)、一本歯での跳躍(両足が地面から離れた状態)は自信がないというか、上達の糸口が掴めていない状況だったのです。

それが上というか後方上空を見上げただけで走れた、つまり一本歯で地を蹴って跳躍できたわけで(もちろん「なんとかしてもっと大きく踏み出せないかな」という関心を持ち続けながら歩いていたこともありますが)、「こう身体を動かせば跳躍できる」みたいな思考を全く経ずに実践が先立つところが身体の面白いところですね

で、上を見上げながら走れることがわかってから、ではと首を戻して前方を見ながら走ろうとすると、これがまた走れてしまいました。
まだ言葉がついてきませんが、たぶん何らかの「慣用(これまでの身体運用)により設けられた動作の許容量を担うロック」が解除されたのだと思われます。
まどろっこしい言い方ですが…

というわけで今日の「高野川ナイトウォーク」は、なかなか実りの多い夜でありました。

*1:そういえばMKボウルから出た直後に月を見上げた時に、月の光に緑色の成分があることを初めて意識しました。月の光を受けた雲の色が特にそう感じました。だから何だというわけでもないですが、こういう経験があると、(絵師なら)油絵とかで月の光の色を緑色に描いたり、(観賞者なら)そういう絵を見て「なるほどなあ」と感心したりするのかなあと今思いました。

*2:自分は、というのはyoutubeで一本歯で走っている人の動画を見たことはあるからです。検索すればすぐ見つかると思います。

*3:と思ってるんですが、もし「そんなことないよ」的一本歯運用があれば衝撃です。このあたりご存知の方はぜひご教授下さい。