human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

落ち着いて考える

体調を崩した時に考え込むと後ろ向きになるので、回復するまでは込み入ったことは考えない、という経験則があります。
一方でその「後ろ向きの思考」は、体調が万全で目の前だけを見て好きなことをやっている状態(もちろんこれは一つの幸福な状態)よりも冷静になれます。
というわけで「ナカとって」、もう動けるかなという病み上がりの状態で考え事をすれば、冷静かつ前向きになれるのではないか、というのは今立てた仮説です。

それはさておき、こちらに来てからは初めてのようですが、来し方行く末について、ちょっと落ち着いて考えてみます。

 × × ×

京都へ来る前に「ストレスフリー」と書いたのは言葉のあやだと自覚していましたが、どこでもそれなりにあるものと思いながら、京都の今の住まいはちと難儀です。
前に住んだ時はそうでもなかったはずですが、それもそのはずで、目の前の通りに居酒屋ができていました。
夜は当然、夜中でも時折ガヤガヤしたり、若者が叫ぶ声も聞こえます。
またこの通りは大学と最寄り駅を結ぶメインストリートでもあるので、平日や週末(全部やないか…!)は通行人の会話が響いてきます。
そしてこれは6年前もあったはずなのにこんなに酷かったかと思うのが、スポーツクラブから響いてくる重低音。
(前にここに住んでいた)兄貴一家が引っ越した理由はここらへんにあるのでは…


次は静かなで人の少ないところで暮らしたい、と神奈川を出る前は思っていました(とはいえ社員寮もかなり静かな方でしたが)。
その希望は今も変わりませんが、京都のこの場所を選んだ以上は、しばらくこの環境に適応する努力をします。
少なくとも準備を整えて遍路に行くまでは留まりたいですが、同時に「長くともそれまで」とも思います。
つまり、今は仮住まいであるという自覚をちゃんと持って生活しなければと考えています。
それは同時に、目的意識をもって日々生活することも意味します


2週間ちょっと過ごしてみて、また一度体調を崩して家にこもらざるを得ない状況を経てみて、今いる場所はゆったり落ち着けるところではないと分かりました。
当然、神奈川でしていたような「一日中部屋で読書」を心地良くできる環境でもありません。
今まで溜めてきた大量の「積ん読」も、小説や込み入った評論などの没頭を要するものは恐らく読む気にならないでしょう。
会社を辞めたからいくらでも読書ができる、という認識からすれば残念なことですが、ここはきっぱり諦めて(=無理に読もうとはせずに)、次の住まいでの楽しみにとっておくのがよいでしょう。
今は今で読みたい本を読めばよくて、積ん読が溜まっていても図書館で読みたい本があれば借りて読む。
…そうか、本は主にカフェと図書館で読むようにすればいいのかな。

また、上記の通り「(いつもではないが)部屋にいるとストレスを感じる」環境で、これは寮にいる間はなかった要素なので、上に書いた「適応する努力」の方向性として、この「今までは外で溜まったストレスを掃き出していたホームエリアで溜まるストレス」を処理する方法を会得する必要があります。

と、ここで保坂和志氏の名言を思い出したので、「墓碑銘」で自分のブログ内を検索したら、当の記事が出てきました。
自分がここで言いたかったことが、既にその記事に全部書いてあります。
cheechoff.hatenadiary.jp
つい一昨日まで身体を動かすことに夢中で頭が少々ふやけていましたが、
ストレスを思考に昇華できるように頭のネジを締め直していこうと思います。

ただ僕がこれまで実践してきたストレスの昇華は身体を犠牲にするものだったので、今回も同じ要領でやると「身体性の涵養」という目標に背馳してしまう所が一筋縄ではいかない
現状で解はありませんので、この解を見つけることを「小さな目標」にしましょう。