human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

オフの日と御輿/鴨川ランニングと修行について

日曜日の今日は「オフの日」=歩き回らない日、にしました(プールは行きますが)。
近所にマンションが建つらしく、日中は工事の音が聞こえるので「家でゆっくり」というよりは外に出たくなるのですが、日曜はお休みのようです(土曜も工事はやってました)。

休日というのは平日があるからで、働いていない人は「毎日が休日」ではなくて「(休日がないから)毎日が平日」で(家事も労働の一種という考え方もありますが、仕事ではないし、本質的に平日と休日に差があるわけでもないので、主婦や主夫にとってもやはり休日は存在しないと僕は思います)、そうして1週間が平らだと1週間の区切りの意味もなくなるわけですが、生活の緊張と弛緩のリズムはあった方がよいので「オフの日」を作るかと思い、家の居心地が一番良い日曜にしよう、と今考えました。

とはいえすぐそばのスポーツクラブのスタジオでボクササイズかなんかのミュージック(の重低音)が響いてきますが。


今朝は「わっしょい、わっしょい」という声が時折聞こえていて、さっき昼食を食べている時にその声がひときわ大きくなったので窓から外を眺めたら「御輿担ぎ」をやっていました。
御輿を担いだ若者の一隊が飲食店の前で立ち止まって、三呼というのか「わっしょい、わっしょい、わっしょい、わーーー、えーい」というかけ声に合わせて御輿を振るっていましたが、きっと商売繁盛祈願なのでしょう。
通りには「田中神社 奉納」という幟があります(どこだったかな…)。

繁華街ですね。

 × × ×

一昨日の一本歯登山の翌日にふくらはぎが筋肉痛で、山では実際10分くらいしか歩けなかったんですが、一本歯だとふつうに歩くだけでも大変ですね(二ヶ月近くぶっ通しで歩くのは現時点では困難なようです。やはり修行を積まねば…)。

昨日は筋肉痛なのであまり歩き回らずにプールだけにしよう(プールにおける足への負担は平泳ぎの時に膝にかかる分だけなので「別腹」なのです)と思って夜にスポーツクラブに行ったら「毎月15日は休館日」とありました。

 そんなん聞いてへんよ!
 もらったパンフには書いてあるけど。

で、身体が「運動モード」に入りかけていたので(家で本を読んでいる状態からこのモードに移るのは自主的にはなかなか難しいのです。スポーツクラブに行く時間を決めているからこそすんなり移れますが…)、無駄にしてはなるまいとランニングに変更して高野川を走ってきました。

前回は高野川と賀茂川の合流地点(鴨川デルタ)から北大路通りまで上って高野橋を渡り下りてくるというコースを取ったんですが、そうすると下りでは最終的に三角州部分に着いてしまって飛び石を渡らなくてはいけなくなります。
別にそれはそれで構わなくて、むしろイレギュラーな部分がある方が身体もマンネリに陥らず活性化してくれると今これを書いている僕は思うんですが、通常のランニングとしては足場を気にしないで走れるコースが理想なわけで、昨日高野川の下りコースを走っている間の僕は「前回とはちょっとコースを変えてみよう」と思って三角州部分に着く前に階段で河川敷から上がりました。
それがちょうど鴨川公園の手前で、そのまま道路に出て賀茂川の対岸に渡って河川敷を下っていきました。
その時は車道を横断したり道路から河川敷に下りるまでの足場が見にくくて(走っていたのは夜だったので)この先どう走るかを考える余裕がなかったんですが、ふと我に返ると賀茂大橋今出川通り)を過ぎていて、ふくらはぎを始め上下半身ともけっこうつらくてもういいかなという加減だったにも関わらず対岸(川端通り側)に戻るには荒神橋荒神口通り)まで行かねばならず、こういう状況になるとつい「あとどれくらい走ればよいのか」に意識が傾いてしまって、見晴らしがよいことに逆にげんなりしてしまったりしましたが、ちょっとばかし無理をしてなんとか出発地点まで走り切ることができました。

そんな無理せずとも賀茂大橋過ぎで気付いた段階で引き返せばいいじゃないかと思うかもしれませんが、散歩にしろランニングにしろ「来た道をそのまま引き返す」のは御法度なのです。
それは理由付けなどいらない感覚的なものなのですが、敢えて言葉にすれば、そこで引き返すかどうかが「"運動"とトレーニングの境目」になる、でしょうか。
もちろん運動はトレーニングより広い概念なのでここでこの語を使うことに違和感はあって、上を言い直せば「引き返せば運動がトレーニングになってしまう」。
これは僕の意識の持ちようの話ですが、つまりモチベーションに関わることなので重要なのです。

「では修行とは何なのだ、トレーニングと修行はどう違うのか」と言われると…そうですね、修行は運動と(ベン図的に)重なる部分はあれどまた別の概念で、体を動かす時間以外の生活時間も含む、ですかね。

「修行」という言葉は響きが好きで使い始めたに過ぎませんが、これからその意味をちゃんと考えていきます。