human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

断裂の第一歩/生傷の絶えない日々

今日は前に例示した通り、一本歯での外履き第一歩として大文字山へ行ってきました。

平日にも関わらず銀閣寺までの通りは観光客がほどほどにいましたが(休日はもっと多いのでしょう)、銀閣寺を正面にしたT字路で左右に向かう人はほとんどいませんでした。
哲学の道のあたりでは大文字登山口の案内表示があったんですが銀閣寺まで来ると表示板がなく、以前来た記憶があまりないまま勘で左に進むと、見覚えのある道(もちろん登山口に通じる)に繋がっていました。
院生時に京都にいた頃は散歩がてら登ったり「大文字の火床でバーベキュー」(@森見登美彦太陽の塔』)を実行すべく網とコンロとワインをかついで登ったりしたのが懐かしい。

で、登山口のあたりの、座れる石がいくつか置いてあるお地蔵さんの前で靴から一本歯に履き替えました。
ちょうど下山してきて休憩中のおばあさんが横にいて、一本歯を見て「気をつけてね」と声をかけてくれました。
ありがたや、いざ出発。

一本歯で歩くと足場には本当に神経を遣うもので、最初から砂利道がしばらく続いて大変でした。
下駄の見かけ通り、接地面が小さかったり傾いたりすると簡単にバランスが崩れてしまうのですが、もちろん砂利道は凸凹があるうえ小石が踏ん張る際に動きます。
地面のこの位置を踏めば(足裏に跳ね返る反力として)どう力がかかるか、その力を受けるべくどう踏み込むか、を一歩一歩確かめながら歩きました。
「斜面に対して足裏を(平行でなく)傾けられるからふつうの二歯の下駄より楽だ」と頭では思っていて、多分その通りなのでしょうが、あくまで相対的に楽というだけでとてもしんどい。
そしてごつごつした石段を登る際にはもう必死で、とにかくリアルタイムに集中して登りましたが、振り返って思うに石段でバランスを崩したら怪我は当たり前、それ以上の事態も当然起こりうる。
上りはまだマシですが下りは正直言ってかなりヤバい。
基本的に前方に進んでいてバランスを崩すのだから前のめりに倒れるわけで、下りでこけると…普通の靴ならどうにか浮いた方の足が足場を探してとっさに踏ん張るのでしょうが、一本歯でやるそれは芸当のように思えて仕方がないのだが…。

と、外履き第一歩を山登りにしたのが正解だったのかどうか(そう思っておきます)、実際に歩いてみて、今まで(つまり台所で突っ立ってる間は)想像もしなかったことがたくさんあったのでした。

大文字山の火床まで登れたのかというと、実は段々(石段から地肌に変わったくらいの所)にて悪い足場で踏み込んでしまい、下駄が傾いたと同時に鼻緒が切れてしまいました。
この時点で靴に履き替えてあえなく下山することに。

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鼻緒が切れるというのも当然起こりうる事態なんですが、これも起こるまでは全く想像しておらず、そして起こってみればまた色々想定せねばならない事態がどんどんわき出してきます。
その最先は「遍路の道中で鼻緒が切れたらどうすんの」なんですが…この話は次の記事に書きます。

 × × ×

タイトルのもう一方の話。

つい数日前のタンス修理中に右手薬指を負傷(マイナスドライバによる引っ掻き傷)し、その同日か前日のトイレドア修理中に右手人差し指を負傷(紙ヤスリがけで木材と同時に指先も研削)し、「素人DIYならではやなあ」と思ってたところだったんですが、今日の登山中に鼻緒が切れた瞬間、不安定な状態から最初に着地した左手のひらの手首付近を負傷(岩で引っ掻いたかな?)しました。

この手の傷は「石段で一本歯でこける」というアクシデントにしては軽症で運が良かったんですが、「運が良かった」と誇張なく思えるところに前途の多難さが垣間見えて、「これは一筋縄ではいかんわな」と事態を厳粛に受け止め、思い新たに修行生活を営まんと決意した次第なんですが…

「引っ掻き傷」とか「皮剥け」とかって、水にしみるんですよね。
もちろんプールは行きます。今から行ってきます。


11/21追記
タイトルを変えました。
第二歩からなんとなく「二字熟語」になっていったので。