human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

転職を考えない坊主頭

『紙がみの横顔』(赤瀬川原平)という紙にまつわるエッセイ集を読んでいて、ある記事のタイトルを見て思わず笑ってしまい、そして本文を読んでなかなかのシンクロニシティを感じました。
その冒頭を以下に抜粋します。

 転職のアクセスマガジン「デューダ」を買った。私もこんな文章書きの自由業をやめて、毎日ちゃんと規則正しく通勤する社会人になろう。
 と思ったからではなくて、この文章の取材のためだ。
「紙がみの横顔」は、転職に向けてどのような表情を見せているのか。
 ところが私はお金を出して「デューダ」を買いながら、変な気がした。それというのも、私はいま頭を坊主にしている。売店の人は何と思うだろうか。坊主頭の男が心細げに就職情報誌を買っている。
 じつは一週間前に丸坊主にしたのだ。これは映画「利休」に雲水となって出演するためである。監督の指示により〇・五ミリの丸刈りにして、無精髭を一週間伸ばしている。鏡を見ると、自分でもあまり付き合いたくはない顔だ。ほとんど立派なムショ帰り
「転職を考える坊主頭」p.126(赤瀬川原平『紙がみの横顔』)

紙がみの横顔

紙がみの横顔

実は僕も今週のどこかで(最近日にち感覚がありません)坊主頭にしたばかり。

前にも何度かやったことはあって、たしか一・〇ミリとか言った記憶があるので今回は〇・六ミリで刈ったら、頭皮が見えるくらい髪の密度が薄くて「やりすぎたか?」と思いましたがそんなことより大事なのは(といって大したことでもないですが)、先祖から受け継がれたソリコミが進行していることが白日のもとに晒されたことでした。
昔は髪が生えていたはずの場所には毛根すらなくてつるつるで(見えないだけであるのでしょうが)、歳をとったというよりむしろ若返った気すらして(つるつるだから)、その点には素直に感心しました。

そして坊主頭に加えて無精髭も蓄えていて、これは以前の会社の最終出社日から伸ばし続けているので3週間弱といったところ。
髪の長さと髭の長さが拮抗するという人生初の事態に直面しています(大袈裟)。

この「坊主頭+無精髭」は自分としてはわりと気に入っていて、ムショ帰りっつっても一昔前の話だろう、と抜粋部を読んだ時には思ったのですが(この本の他の記事には「消費税が導入されて一円玉が不足している」とか書いてあります)、待てよと記憶をたどると、いや記憶といってつい昨日のことですが、プールに行った帰りにサラダバーに惹かれてガストへ行ったんですが、店に入ってウェイタの前で指を一本立てて(もちろん「一人です」の仕草)案内してもらおうとしたら3秒ほど絶句されたんですが、そうかファミレスにそぐわないというだけでなく危険なオーラを発する顔でもあったか(そういえば「この人何やらかしたんだろう、いやまさか今ここでやらかすつもりじゃないかしら…あわわ」と絶句した彼女の引き攣った笑いが語っているように見えました)と認識を新たにする、という想像を楽しみました。

(話は逸れますがガストには4時半くらいに入ったんですが、これは「昼飯」を食べに行ったのです。朝は9時頃に食べたんですが、昼前にプールに着いて好き放題に泳いでいたら4時間も経っていてしかもそんなに空腹でもなくて、いや空腹感はなかったんですが多少ヨロヨロしていたのでエネルギーは切れかけだったんだろうと思いますが、泳いでいてお腹が減らないのは不思議だなあと今さらながら気づきました。子どもの時はそんなことなかったような気もしますが(では歳のせい?)、空腹感はある程度落ち着いた状況でこそ感じられるはずで(人前で喋る時とか緊張していると感じない)、つまり水の中は落ち着いた状況ではない、どこかしら必死さを身体が感じているということかもしれません。まあ身体が思う存分活動してくれるのは自分にとって望ましく、そのために泳いでいるようなものなので構わないのですが)

 × × ×

話を戻せば「転職を考える坊主頭」のエッセイにシンクロニシティを感じて嬉しくなったという話なんですが、上に書いた以外にももう一点のシンクロがあって、AGen氏*1のこのエッセイでは転職を考える坊主頭が「デューダ」やら「とらばーゆ」やら「フロムA」を買っている様を想像して面白がっていて、つまり抜粋部からでも明らかですが氏は実際のところ「転職を考えない坊主頭」であって、それも9月末の退職に伴う退寮を控えて有休を悠々と(主にプールで)消化しながら仕事の「し」の字とも無縁な僕と共通なのですね。

ただ転職は考えていませんがタクティクス・オウガ的「クラスチェンジ」あるいは FFT 的「ジョブチェンジ」のことは考えています。
が、その話はまた後日。
本ブログの新しいタイトルも、このことに関連して既に候補が挙がっております。

*1:たしか赤瀬川氏は自分で描いた挿絵などにAGenというサインをされていました。"A"kasegawa "Gen"pei という以上の由来は分かりませんが、この表記から連想するのはTGen氏、高橋源一郎氏です。この二人の関係は…そうですね、TGen氏が書評エッセイでAGen氏の小説家・尾辻克彦としての作品に言及していたことくらいしか知りませんが、著述家として僕は二人とも大好きなので、勝手にこのような表記をしています。