一年ぶりくらいにウチダ氏ブログ(「内田樹の研究室」)をのぞきました。
相変わらず更新が低頻度で、
日常的な思考はツイッターに呟かれていると思われますが、
数ヶ月前の投稿で長々と書かれた「いつもの話」を見つけました。
いつもと同じなのはテーマのことで、
大切なことは噛んで含めるように何度も繰り返してくれるという意味ですが、
細部が違っていて「いつもの話を毎回"新しく"読める」話にもなっていて、
僕は15年以前の氏のブログは紙媒体にして一度以上読んでいますが、
冒頭のブランショの論文のことは初めて知りました。
「時々当たる 大風呂敷」(七・五 字余り)
とこの記事で氏は謙遜して豪語していますが(どっちだ)、
風呂敷って包む前には広げないとあきませんもんね。
私たちの世界が今求めている言葉はそれである。「止まれ」である。「落ち着け」である。「浮き足立つな」である。停止することが決定的な変化を意味するような局面というものがある。自分たちがこれまで使ってきた度量衡や価値観や効果的なはずのウェポンが無効になる局面になったときには、「どうしていいかわからない」と素直に認めるところからしか話は始まらない。