human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

「所々後悔」

タイトルが先にできましたが、
さてどこで後悔しましょうか。

後悔は「したくてするもの」と思えばそうなり、
「せざるを得なくなる時にするもの」と思えばそうなります。

するかしないかを、選べるようでありかつ選べないもの。
それは「誰が後悔するのか」によるわけです。

例えば、「地球」が後悔するとすれば、どのようにするのでしょう?

 × × ×

今日は朝がひどい雨で、昼にはやみましたが、
雨の中歩いて足が濡れたまま一日いたせいで風邪をひきました。

風邪をひいた…いや、単に発熱しているだけですが、
これはまっとうな理由によるまっとうな体調不良だと認識しています。

前者のまっとうさは「冷えたから発熱した」という生理反応でしかない、
日頃の肉体・精神疲労が溜まって溢れたわけではないという意味です。

そして後者のまっとうさは、これから症状の経過に表れてくるはずです。

いつも体調不良になると、普段酷使している身体部位が痛むのですが、
予想されるのは脚の各部(足首、ふくらはぎ、膝関節)、それと首です。
脚は入浴時の「正座瞑想」と土曜の「散歩&立ち読み」で使い込んでいるため、
首は部屋・会社・外に関わらず事ある毎に筋トレをしているためです。
その痛みが止んだ後のその部位の調子は、体調不良になる前と比較して、
良くなるか現状維持かのどちらかで、悪化したことは経験上ありません。

この身体調整作用は、体調不良が「起こるべくして起こる」ことの証です

 × × ×

午前中に歩いた時に足が濡れて、まずいかなとは思い、
何をしたかと言えば靴を買いました。
本当は靴下も買うべきでしたが、中古の靴を試着してみると平気に思えたので、
朝は買いませんでした(結局は平気ではなく、夕方に帰る途中で買いましたが)。

水たまりをよけて歩くのに苦労したので、雨の時に地面を気にしないでよいように、
足首をいくらか覆うローブーツを買いました。
足首を覆う部分が多少ごつごつしていて、紐を上まで通すと歩きにくいですが、
紐をふつうの靴くらいの高さで結べば足首の違和感はそれほどありません。
ただ靴底が固いことに履いて帰っている間に気付いたので、
着地のショックを吸収するようなインソールを使ってみようと思います。


靴のついでに、ズボンも買いました。
こういう時でもないと買おうと思わないのがズボンです。
普段から服を買わない自分は服を消耗品だとは思っていなくて、
社会人になってからは初めてのことだと思います。
ちょうど夏用のズボンがほしいと思っていて、
というのもいつも冬に履くズボンを夏にも使っていて、
暑いと思いながらも面倒で買わないでいたのでした。

試着が面倒なのが一番の理由で、
でも今日買った時には面倒でなかったのは勢いがついていただけではなく、
古着だったから抵抗なく試着ができたのではと考えています。
だから清潔感の大小は関係がなくて、
新品を買いたくなかった、ということだと思います。

 × × ×

どうも、本を筆頭に、このような傾向が自分に見られます。
エコだという気はありませんが、いつからか、
「新しい」という性質が自分にとっては魅力ではなくなっています

内実に関係なく、新しいというだけで価値が生まれる、
という消費サイクルにうんざりしているのはあります。
本の、少なくとも自分にとっての価値が値段と全く相関を持たないことは、
普段の読書と毎週のBookOff通いという生活の中で、常々実感しています。


お金を使って、経済を回すこと。
これは、チェーン店の全く存在しない地方でもなければ、
身の丈サイズの実感が伴うことではありません。
自分の中に(多くの)お金を使う必要がなく、
自分がお金を使えば喜ぶ、あるいは使わなければ困る人がいない時、
そのお金は使われないことが、身の丈感覚としては自然です。

使うべき時がくれば一度に多く使うだろうし、
その機会が訪れずに所持金が目減りすることがあっても、
あるいは日の目を見ないまま国庫に還元されることになっても、
それを「もったいない」と思う感覚は、自分の中にはありません。

そう思わされることは、あります。
思わされること自体に良し悪しはない。

でも、そう思わされることがなければ、内発的に思うことは、ない
このことは、はっきりさせておくとよいかもしれない、
と今書きながら思いました。

 × × ×

タイトルの読みはもちろん「しょじょこうかい」です。
でも意味合いは「ところどころこうかい」で、
最初の段落に書いたのはこのことです。
(ところで、上のどこかで僕は後悔のしたでしょうか?)


後悔には2種類あって、
それは「過去を固定する後悔」と、
「未来の変化を呼び込む後悔」です。

いや、2種類と言いましたが、
これらは対立的にあるのではなく、
前者は後者に含まれます。
正確には、前者は後者の布石です。


後悔が終われば、また次の後悔が始まる

このフレーズが後ろ向きに見えるとしたら、
声に出して読めばそうでないことがわかります。

後悔に、終わりはないのです。