human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

黒リュック、収穫物と縁、すり足

ざっき(雑記)

今日の話。

いま「最強の寒波」が列島上空にいるらしく、
今日の夕方頃から東京は雪になるとのことで、
じゃあと思い雨具の用意をして出掛けました。


雨具とはまず傘のことですが、
自分は手ぶらで歩きたいので傘はリュックに引っ掛けています。

 前は傘と同じ(←お揃いかというくらい同じ)紺色のリュックだったんですが、
 数ヶ月前に一念発起で黒の合皮リュックを買いました。
 スーツとか黒のコートにも合うので公私問わず使えるのですが、
 夏場はちょっと暑苦しいかもしれません。
 背負う部分は化学繊維か何かで皮と直に接するわけじゃないんですが、
 前の全体が化繊のリュックよりは背中に馴染みます。
 そして皮だけに雨対策が必要なので、
 20Lのザックカバー(青)を買いました。
 もちろん登山グッズで、元登山部なので馴染みはあるんですが、
 あらためて店頭で探すと目立つ色のカバーしかないんですね。
 山で見つけやすいように、という機能性のためで、
 ちょっと街歩き用ではないなという気もします。別に気にしませんが。

話を戻しまして…ベルトというか平べったい紐がたくさん付いているリュックなら、
持ち手部分とそれらのベルトをうまく使って傘を固定できるんですが、
黒リュックにはちょうどよいベルトがなかったので100YenShopで見繕いました。
リュックのベルトと同じ色のゴムバンドが見つかりました(下左)。

 本来の用途は文字通りの(ズボン用の)ベルト、の代用品のようです。
 ベルトがなくても(ベルト重いですもんね)ズボンを留めれますよ、という。
 こんなものがあったんですね…時々しか買い物をしないと発見があります。
 前はコーナンで傘の骨をなおす簡易修理キットを見つけて驚きました。

このバンドをリュックの下に付いた厚さ調節用ベルトに取り付けて傘を固定します(下右)。
リュックから相対的に動かないように固定できれば、歩行に何の支障なく傘を携帯できます。

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今日の話に戻りまして…

確かに寒かったですが、先週以前と同じように寒いのは外に出た直後だけで、
歩くうちに足からだんだんとぽかぽかしてきます。
雪ならいっそのこと降ってもいいと思っていましたが、
結局は夜に帰宅するまで厚木には降りませんでした。
今週の最初だったか、横浜では積もって海老名では小田急が止まって、
みたいな話を聞きましたが、厚木ではなかなか雪が降りませんね。
大山には頂上付近にのみ、うっすらと白く化粧が施されています。
今晩が山場のはずですが、さてどこまで積もるでしょうか。


結局何なのかといえば、
BookOffで出物があったことを書きたかったのでした。
今日はたまたま写真集(日本の四季を撮ったもの)を見つけて、
想像の糧になるものは大好きなのでほくほくしてレジに向かったのですが、
買った後にレジのすぐ横で「洋書フェア」のワゴンがあることに気付きました。

¥108均一とあって、ペーパーバックかなと思いきや、なんと分厚い写真集や図版集が沢山!
これは宝の山なのですが、掘り出し物というか放り出し物というか…。
それで内心笑顔満面で再び物色し始めたのはいいのですが、
悔やまれるべきは徒歩で来ていることで、リュックに入るだけしか買えないことでした。

 BookOffを出たらVeloceまで歩いて、さらに寮まで歩いて帰る(計1時間強)ので、
 手に提げて持って帰るという選択肢はあり得ません。
 習慣で動くのでバスに乗って帰るなんてこともあり得ません。
 本が安く手に入るのは一つのきっかけ(縁)でしかなく、
 その縁には習慣を崩すほどの強さはない(ことが多い)のです。
 生まれながら実現に至らなかった縁が後を引くようであれば、
 (タイトルを覚えている程の執着があるはずなので)ネットで新品で買います。
 縁の強さは、日常を習慣通り過ごす中での記憶の強度で測ることができます
 そして縁の神秘性は「忘れるに任せる」作法を身につけることで発現します
 これは情報化社会では意識してやらないとできません。

パッと見で欲しい本がいくつもあり、しかしサイズの大きい写真集でリュックに入るかも怪しく、
目測であたりをつけ、さらにこの後歩くうえで耐えられる重さであるよう慎重に検討し、
ページをぱらぱら捲ってジャンルの似た2冊まで絞り込んで「さあこのどちらか1冊だ」と思って、
2冊の中身を詳しく見始めると、なんと内容(=想像の糧となるジャンル)が被っていない!
似たような2冊だという最初の「あたり」が外れたことに驚き、
重さが厳しくなるという判断をそっちのけて衝動的に2冊を買いました。
鞄に入ったのは目測通りで良かったですが、最初に買った写真集+新書もあってか非常に重い。
「まあこれも縁だ」ということで、店を出て歩き始めました。

その最初は「重い重い」と思って歩くスピードがなかなか出ずに、
靴底と靴下がズレるなと思ったり(慣性ですよね)、太ったらこうなるのか大変だなと思ったりして、
でもだんだんと雑念は減っていき歩くことに集中していきました。
そのうち、荷物(重いリュック)と一体化して歩けると心地良いことに気付き始めました。

太った人にとっての自分の身体は最初から一体化しているので心地良いも何もないんですが、
つまりこの心地良さは「異物だと思われたものが身体の一部へと変化していく過程」がもたらすのです。
例えば、身体を上下に揺らしながら歩くと(膝や足のバネを上向きに使って歩く人、いますよね)、
リュックも上下に揺れることになり、持ち上がったリュックが沈む時に肩に負荷が微分的にかかるため、
その負荷の変化量がリュックの異物感を引き起こします。

という話は今考えて書いたんですが、僕が今日重いリュックを担いで歩いていて、
いつもよりすり足度の高い歩き方になっていたのはこういうことだろうと思います。

たぶんそのせいですが、今日歩いている途中から、脚の普段は痛まない箇所に違和感がありました。
左脚の股の内側の、ふくらはぎと膝のちょうど中間くらいの筋肉で、
つま先立ちをする時に使われる(=張る)ところのようです。
痛いなと思って触って初めて気付いたんですが(そもそも「この部位」と意識して触れたことがない)、
こんな所にこんなにつくのか、という硬さでした。
和歩で歩くようになってついた筋肉なら、面白いなあと思います。

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今日の収穫物です。

森博嗣本のこのタイトルは何なのだろう。
(『哲学の使い方』の鷲田清一氏と同じにおいがします。著者は命名に関与していないのでは…)

建築関係の写真集は、今読んでる雑誌「田舎暮らしの本」の次に読もうかな。
毎週日曜の朝食のお供です。
雰囲気合うかな…他の可能性も検討しておきましょう。