human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

守り隔てる薄膜について

読中の『野生の哲学』(水沢哲)について何か書きたいと思い、
本の中にマーク(「○」や「!」など)を書き込んだ箇所を読み返していたのですが、
いつもの「部分抜粋&コメント」がしづらいなあと思ったのはこの本に全体の流れがあるからで、
もし書くなら「読んだ中で自分に深く残った内容を素材に自分の言葉で書く」しかない気がしています。

なのできっと書くのはもっと余裕(というか知的体力)がある時で、
今はないというのはもう遅い時間だからです(と言いつつ今日は起床時に目覚まし時計を見て以来時間を確認していませんが、日をまたいでいることは気付いています)。
それでも少し書きたい意欲があって、うだうだ連想をしているうちにこのブログの過去記事を見ていました。
その、一時期どっぷりハマった新原氏の著書に触発されて書いた文章群の中の一節に目が留まりました。

人が人に関心を持つという時に、
実は人が直接関心を示している対象はシステムなのではないか、と思いました。
構造としては、人が言葉で他者とコミュニケーションをとる場合の、
「言葉」も、このシステムと同型です(言葉がシステムを含む?)。

システムに回収される関心について - ユルい井戸コアラ鳩詣

ある程度時間が経つと、自分が書いた記憶は残っていても「なんや難しいこと書いとるな…」と感心してしまうことがあって、それは内容は理解できても当時の執筆経緯を忘れたということでもあるんですが、今読んでみて、また別の連想がはたらきました。

「しかし……、そうだな、君のお姉さんと向かい合って長く話しているとね、だんだんこう、不思議な気持ちになって来るんだ。最初のうちはその不思議さに気づかない。でも時間がたつにつれて、それがひしひし感じられるようになってくる。なんていくか、自分がそこに含まれていないみたいな感覚なんだ。彼女はすぐ目の前にいるのに、それと同時に、何キロも離れたところにいる(…)要するにさ、僕が何を言ったところで、それは彼女の意識には届かないんだよ。僕と浅井エリのあいだには透明なスポンジの地層みたいなものが立ちはだかっていて、僕の口にする言葉は、そこを通り抜けるあいだにあらかた養分を吸い取られてしまう。本当の意味では、彼女はこちらの話なんか聞いていないんだ。話をしているうちに、そういう様子がわかってくる。すると今度は、彼女が口にする言葉だって、うまくこちらに届かなくなってくる。それはとても妙な感じなんだ
村上春樹アフターダーク』(下線は抜粋者)

下線を引いた部分に関して、僕は何度か経験があります。
そしてそれは、僕が「僕」の場合と、僕が「彼女」の場合との両方です。
後者とはすなわち「”自分が喋っている言葉が相手の意識には届かないだろう”と思いながら喋る」ということです(『アフターダーク』の「彼女」(=浅井エリ)に自覚があるかは分からなくて、小説中の描写からして彼女にその自覚はないように思えます、一読者としての僕は「自覚はある」方に魅力を感じます)。
相手と喋る前から話す内容をかっちり準備していたり、会話中に(自分にとっては)素晴らしい閃きがあって(まず脈絡なく)そのことについて得々と話し始めたりする時にその自覚が訪れることがあって、「しまったなぁ…」と思いながら一通り言い切るまでは口が止まらない、という経験をしたことがあります。
相手が自分の話にうまくのれなければ「会話がすれ違う」というだけなのですが、話し手に自覚がなく、聴き手だけが『アフターダーク』の「僕」のように感じると、抜粋にある通り「とても妙な感じ」がするのです。

「あなたの目の前にいてあなたの話を聞いている人が僕である必要はない」という感じ。
あるいは「あなたの会話相手が僕であることを殊更主張すれば、きっとあなたと僕の間の空気を乱すだろう」という予感。

こんなことは取るに足りない、自意識過剰だという判断が常識的に思えるのは、実際にそれがありふれた価値観だからです(たとえば会社の論理もそうですね。「その人がいなくなっても代わりの人が仕事を引き継げるシステムが整っていること」が「よくできた会社」の条件の一つです)。

だから、というべきか、でも、というべきか分かりませんが、

「話し手のその自覚のなさ」よりも、「"話し手の自覚のなさ"が罷り通る常識の成り立ち」の方に意識が向いてしまいます。

そこにはやはり「システム」が関わっていると思います。
最初の抜粋に加えるならば、
「人はシステムを介してコミュニケーションをとるようになった」。
正確にいえば、仲介項が増えた、でしょうか。

それは身体性の希薄化でもあります。

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野口晴哉の解説本(本記事の最初に挙げた本)を読み込んだ夜に『攻殻機動隊2』(士郎正宗)の「電賊との戦い」の章を(inner universeを脳内リピート再生しながらたぶん2時間くらい)じっくり読んだせいか、頭が混乱したようです。