human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

「カキフライ理論」実践

液の適切な量が重要である。
滴下する前にはだいたい数回転で個々の位置関係が変化せずに全体が一体化してぐるぐると回る。
質点の座標は変わらずにXYZの空間軸が無秩序にぐりぐり動く座標空間を思い浮かべればよい。
それでは回転の意味がない。

しかし考えるに、僕が地面の上に突っ立っているのも似たような状態だ。

さて、まず液が少ないと二質点の相対座標が微妙に変化するが、劇的ではない。
漠然とした表現をするなら、それは系の特徴が維持され続ける回転といえる。
天パの少年の髪が起きがけで乱れていようが、ワックスでひねってツンツンにしようが、それらの髪がまとわりつくのは少年の頭であることに変わりない。
仮に少年が縮毛矯正を受けたとすれば、それは系の既存の特徴が失われたと認めざるを得ない。

つまり天パの少年と人工直毛の少年は、同一人物ではない。

一方で液が多いと個々の質点は流動的となり系は大いに乱れるが、それだけでは「奇跡」は起きない。
流動性は生物の本質だが、流れるだけで生命が生じるわけではない。
特異点と隔壁が、それに加えての生命の条件となる。
ちなみに液の適切な量とそれら二つの条件は関係がない。

引くべきはただ一つ、そう、「糸」である。


<今日の格言>

 意図せずして、糸引かず。


+*+*+*

村上 それより僕、カキフライ理論というのがあるんですよ。
柴田 何ですか、それ(笑)。
村上 それはね、このまえメールで質問がきて、入社試験で原稿用紙三枚なら三枚ぐらいで自分について書きなさいと。そんなもの、原稿用紙三枚くらいでかけるわけないという質問がきたわけです。どうしますか、村上さんだったら、と。確かにそうなんですよ。原稿用紙三枚で自分のことなんか書けるわけないですよ。プロだって書けない。ただ、そういうとき、僕はいつも言うんだけど、「カキフライについて書きなさい」と。自分について書きなさいと言われたとき、自分について書くと煮つまっちゃうんですよ。煮つまって、そのままフリーズしかねない。だから、そういうときカキフライについて書くんですよ。好きなものなら何でもいいんだけどね、コロッケでもメンチカツでも何でもいいんだけど……
出席者A[岸本佐知子] 何で揚げ物なんですか(笑)
「フォーラム3 若い翻訳者たちと」p.235-236(村上春樹柴田元幸『翻訳夜話』)

今日『翻訳夜話』を読了したんですが、この部分を読んで何か書きたくなって、上の変な文章を書きました。
ヒントは最後の「糸」なんですが、食べものの話だと思いつかなければたぶん全然わかんなくて、それでまあ「糸を引く」と言ったらアレしかないですよね。
…はい、正解です。

それで、この文章を書こうと思った時に昔に似たようなことを書いた気がしたが…と思って過去ブログに検索をかけると、ありました。
M1の頃に某大手新聞社のインターンシップに参加するための選考で「最近感動したこと」について800字で書けと言われ、チャーハン(炒飯)のことを書きました。cheechoff.exblog.jp
確かこれがその新聞社がインターンを始めた初回で、次の代から書類選考に面接が加えられたと聞いています。
いくら倍率が高くて「使える」人間が青田買いできるとはいえ、僕みたいな適性皆無の人間が紛れたのが失敗だったのでしょうね(書類選考だけでは喋れない人間を落とせません)。
僕としては、いい経験になりましたが。
街頭取材してみたり、とか、永田町の「内部」を垣間見たり、とか。

まあ、当時も今も、マスコミとは関わりたくないと思っています(何でインターン申し込んだのかは謎です)。
記者の方々の自意識は知りませんが、匿名の世界では身体がもちません。