human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

着地前の「肩引き」について

和歩の話で、前回の記事↓の続報です。cheechoff.hatenadiary.jp

解説なしで使ってしまいましたが、「瞬獄殺」は格闘ゲームの技です。
恐らく格ゲーで最初に流行った「ストⅡ」の豪鬼というキャラの超必殺技。
定姿勢(×低姿勢)で空中浮遊して相手に近づき、触れた瞬間にボコボコにする。
その身体への加重変化が皆無な移動をイメージしたのですが、見た目悪いですね。

ストⅡをご存知なら「繁華街を瞬獄殺で移動する」ホラーな絵を想像したでしょうか。
(すれ違いざまに肩が触れただけで…恐ろしいですね。繁華街が「修羅場街」ですね)
いや、別にキム・カッファン(@餓狼伝説)の「鳳凰脚」でもいいんですよ。
あれはジョー・ヒガシの「タイガーキック」の姿勢で真横に流れるように飛ぶんですが…。


冗談はさておき、前回はちょっと無茶なこと↓を書きました。

たぶん普通に足を踏み込めば、全身がその足に寄りかかる体勢になる。
そうではなく、右足を踏み込んでも、地面に対応するのは右足近傍に留める。
残りの部位は例えば、左前方に進もうとしたり、浮き上がろうとしたりすればいい。
「体が重い(歩み)」や「軽い足どり」があるのだから、可能だと思います。

言葉では何とでも書けて、実際にできるかと言われれば、まあできませんね。
これを書いた時に自分が歩く時を想像していなかったのがよく分かります。
こういう書き方をした時に、それを悔いて何かしらフィードバックを志すことがある。
今回はそれが良い方に働き、「実際どうやんだろ…」と日常の疑問に昇格しました。

どうやんだろ、というか、正確には「自分はどうやってんだろ」ですね。
比喩はさておき、前回の記事が書けたのは既に和歩がその傾向を持っていたからです
身体の重心が上下だけでなく左右にも揺れないように意識して歩くと、そうなる。
抽象的な身体イメージから始めれば、それを実現する動作が試行錯誤の産物となる。

その試行錯誤を言葉にする機会が、上の「日常の疑問」によって日の目を見たのです。
というわけで今日も歩きながら考えていて、はたと気付きました。
(通勤の時も考えていたのですが、片道10分では歩行と思考を結ぶには短いですね)
踏み出した足を着地する瞬間手前で、同じ側の肩を抜いているのでした。

とだけ書くと意味不明なので解説しますと…まず前に書いた「肩入れ」の話を以下抜粋。

肩入れは前に書いた、踏み出す足と同じ側の肩を少し前に傾けることです。
上下半身の傾きを制御する肝は腕振りよりは肩だとは最初から考えていました。
昔の日本人の歩き方(想像)について - ユルい井戸コアラ鳩詣

上半身と下半身をねじらずに歩くために「肩入れ」の動きがポイントとなります。
右足を踏み出す時は上半身も右を前に出す、その上半身の動きを肩が先導します
上で「肩を抜く」と書いたのは、この右足が着地する前に右肩を後ろに引くということ。
この動作によって右足の着地時に「右足にのる負荷」を減らせている、気がします。

そしてこの「肩引き」は同時に、次に踏み出すための予備動作でもあります。
予備動作は異なる複数の動きを滑らかに繫ぐので、これだけを取り出すのが難しかった。
そういえば、和歩は歩行に対する意識を疎かにすると途端にフォームが崩れるのです。
この経験と本記事の内容を鑑みるに、和歩は色々と複雑な動きを組合せているようです。

だから特定部位の動きだけを取り出して意識するとバランスが崩れることもあり得ます。
そういう要素還元の副作用は認めつつ、それでも動きを言葉にするためには必要です。
分析(アナリシス)に偏って統合(シンセシス)をサボらない心がけが欠かせません。
とはいえ、一般に科学が扱いやすい対象(地学や工学など)よりはやりやすい気がします。

身体においては「自分の身体を動かして感じること」が即ちシンセシスだからです