human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

水晶と宝石の相性について

脳内音楽の話です。

僕は本やマンガを読む時に頭の中で音楽を流しています。
内容に合った音楽を流せれば相乗効果がある、といえばそうですが、
元をたどればこうならざるを得ない事情がかつてあったのでした。
勝手に流れる音楽を自分で制御しようと思ったのは大学3回生の頃です。

昔の話はここでは割愛しますが…

脳内音楽の源泉はもちろん自分が知っている曲に限られます。
こういう話をするとクラシックを連想されそうですが、それは含まれません。
吹奏楽でサックスを吹いていた人間はだいたいがクラシックに疎くなる。
のかどうか知りませんが、僕は「のけ者」のイメージを中学で持ってしまった。

というわけで選択肢としては、クラシックを除くインストということになる。
経験上、歌ものは歌詞があるので読書中の音楽として相性が良くない。
とはいえ脳内音楽なので歌詞の部分をムニャムニャにして再生する手はある。
このムニャムニャしやすさは、生身の人よりボーカロイドの方が優れている。

それは僕がボーカロイドをほぼ楽器とみなしているからですが、それは別の話。

インスト曲をさらに分けると、ゲームの曲とそれ以外になります。
いきなり恣意的な分類になりますが、これも経験上、五分五分の分け方です。
昔にやったゲームの曲にはゲームのイメージがくっついていて使いやすいのです。
昔というのは中学から高校までのことで、懐かしの「スーファミ」時代ですね。

さらにマニアックな話ですが、僕が脳内音楽として使うゲームは主に3つです。
クロノトリガーロマンシングサガ3、バハムートラグーン
これはもう、昔にやり込んだというだけの理由で選ばれています。
(過去にこのテーマを文章化したことがあります。もっとマニアックですが…)

それで、3つのゲームそれぞれにいくつか「読書に適した曲」があります。
評論などは思考を促進してくれればいいので、あまり細部にはこだわらない。
けれど小説やマンガだと、その内容と曲のイメージとの相性も重要になる。
物語の内容に合った曲を発見した時の嬉しさには複雑なものがあります。

変な書き方ですが、「嬉しさが複雑」とは単純に喜べないという話ではない。
なんというか、ゲームの曲には自分がやり込んだという過去が詰まっています。
そのゲームの曲が、今から読もうとしている物語と関係性を持つことになる。
簡単に言えませんが、時間を飛び越えていろんな要素がリンクするのです。


というところで、やっと本題です。
そのゲーム曲の中で、持て余している曲があったのです。
曲のイメージは自分の中でくっきりしていて、けれどこの曲に合うものがない。
なんかないかなー、とその曲を聴くたびに思っていたのでした。

が、それを先日(と言って何ヶ月も前ですが)ついに見つけたのでした。
曲はロマサガ3の「水晶の廃墟」(検索したら…あった。そういう時代か…)
対する本はマンガで、『宝石の国』(市川春子)です。
タイトルからしてもう相性が良さそうですが、聴いて、読めば分かる。

艶のある光沢に満ちていて、生命感が希薄で、静謐。

宝石の国(1) (アフタヌーンKC)

宝石の国(1) (アフタヌーンKC)