human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

健康的な体調不良について

 女が社会に進出するようになって以来、あきらかに、「病気ではないが体調が悪い」状態に対処する「東洋」(の医学)が市民権を獲得した。つまり、男の社会の中で、女はあきらかに「体調を崩す」のである。
 男は、「健康」という精神論だけで生きている。ここには「自分の体」がない。男は観念の労働者で、自分の欲望がすり切れるまで、この観念と戦う。男の過労死はあきらかに「戦死」で、女の過労死はあきらかに「事故死」だ。好きこのんで過労死を選ぶ女なんかいない。そうなる以前に、女は女としての体調を崩して、戦線を離脱してしまうからだ。
「健康ギャルは不思議に笑う<裏>」(橋本治『絶滅女類図鑑』)

引用箇所の初出は94年です。
別の章にはボディコンという言葉もあります(そこの初出は90年)。
ボディ・コンシャスの略ですが、最初はボディ・コンストラクションかと思いました。
それだとボディビルですね。

というのは関係ない話で、今回は前の病気の話と関係します。

引用中の男・女は、現代の表現を使えば男性性・女性性になると思います。
現代社会には女性の力が必要だ、と今はよく言われますが、微妙な表現です。
これは「男社会で女性に男性性を発揮してもらう」と言い換えられるからです。
仕組みが昔と一緒なら、男女比率が変わろうが、男社会は男社会のままです。

話を戻しますと、これは前に書いた「体調を崩すのが正常な職場」の話と通じます。
栄養ドリンクが常用される職場で体が鈍感でなければ、当然に体調を崩します。
「24時間戦えますか」のCMが流れていた時代では特に珍しくもなかったでしょう。
ふと、ウーマンリブを創始させたのは「女性の中の男性性」だったのではと思います。

あるいは、若い男性が女性化している、という話も最近よく聞きます。
もちろんオカマに近づいているのではなく、女性性を必要としているということです。
そして上に書いた「女性の力が〜」と喧伝するのは、若者ではなく年配の男性方です。
他者に必要とされる魅力は大きいですが、引用したような状況の再来もあり得ます。

話が拡散していますが、これは未熟者が橋本治を媒介に語る時の宿命でもあります。

最初に何を書きたかったのでしょうか?
会社で普通に働いていて、私生活に無理がなくとも、体調を崩すことがあります。
その原因が自分の側にあるとして強くなっていく解決法もあります。
けれど、その原因が自分の外にあることに対する筋の通った論理もあるのです。

きっかけとしてですが、これは論理が身体性を賦活する好例といえます。