human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

選択の自由について

 だいたい、右利き左利きってやつもそうですよね。森の場合、どっちって決めてないのです(笑)。もちろん、新しいものに対して最初はちょっと慣れませんが、じきにちゃんと新しいインターフェースが自分の中に形成されるんですよね。つまり、人間にはその能力があるのです。それを、「自分はこれだ」と決めて制限してしまうから、だんだん不自由になるのでは、と思います。
森博嗣ウェブ日記レプリカの使途

選択の自由は、選択するほど逓減していきます。
選択の自由を喜ぶのは、どうしてでしょうか?
選択肢のそれぞれに、可能性が、明るい未来が見える。
一つを選んでしまうまでは、それらは輝いて見える。

沢山の選択肢を前に、目移りしてなかなか一つに決められない。
この中途半端な状況は、実は自由を謳歌していることになります。
自覚のない自由ほど不自由なものはありませんが、
いくつもの選択肢が輝いて見えるだけの想像力が、そこでは働いています。

「若いうちはやり直しがきく」とは、若者の体力についての言及です。
若者に人生の選択肢が多く見えるのは、それだけ体力があるからです。
しかし、体力の落ちた年長者にとって、選択の幅を決めるのは想像力です。
若者と同じ源を持ち、けれど体力がない分だけ、想像力で補うというわけです。

選択に要する体力とは、一連の試行錯誤にかかるエネルギのことです。
もちろん「一連の試行錯誤」は、ツアー旅行のようにパッケージ化されてはいません。
開かれているがゆえに、それを経て、単に選択肢が一つ消化されるに留まりません。
別の選択肢が現われることもあるし、選択主体の価値観そのものが変わることもある。

つまり、開かれた選択には本来「終わり」がありません。
若者には「終わり」が見えていないから、平気で選択できる。
逆に言えば「終わり」を見据えた年長者にとっての選択は、恐ろしいものとなります。
しかし、年長者の皆が「終わりよければ全てよし」と思っているとは限らない。

言いたかったのは、「終わり」を見ない年長者は若者と同じだということです。
若者が老人化していると言われる現代にしてみれば、子どもと言った方がいい。
個人の身体の状況、健康状態によって、選択の仕方が異なるというだけです。
年齢を問わず必要なのは、自由に対する自覚だけ。

現実の子どもには、これは教えなければ分かりません。