human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

2016-03-01から1ヶ月間の記事一覧

「受け身派」擁護論

日曜午後は、先週から『私家版 日本語文法』(井上ひさし)を読んでいます。 初版が昭和56年(1981年)で、1つ前の『狩人日記』(安野光雅)に続いて古い本です。 では、文法の授業を暗記力の鍛錬時間にしないためにどんな方法があるだろうか。たとえば、「…

「風邪による自己治癒モデル」のこと

風邪を先週の土曜にひいて、 回復にけっこう時間がかかっています。 今日でやっと本調子かなとも思えましたが、 いつも通りの行動量はこなせても身体の疲労が大きい気がします。『風邪の効用』(野口晴哉)はまだ読んでないですが、 今回の風邪には効用があ…

原爆・原発としての核、思想モデルとしての荒巻素子

三連休だったので、「籠り日」(「木漏れ日」と似てますが、えらい違いですね)の日曜を挟んで今日もVeloceへ行き、 『ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ 原子力を受け入れた日本』(田口ランディ)を読了しました。ランディ氏は本当にすごい人だと思います。 本…

オガミドリさん、長女鰤子、三つむじ

『うずまき猫のみつけかた』(村上春樹)を読了しました。 雑誌掲載時から、「なごやかに絵日記風にやれるといいね」ということで、安西水丸さんのイノセント・アート風の絵と、うちの奥さんの素人スナップ写真をつけて発表されていました。写真は本の読者の…

「所々後悔」

タイトルが先にできましたが、 さてどこで後悔しましょうか。後悔は「したくてするもの」と思えばそうなり、 「せざるを得なくなる時にするもの」と思えばそうなります。するかしないかを、選べるようでありかつ選べないもの。 それは「誰が後悔するのか」に…

教訓の主体的生成機能について

前にも「教訓」というテーマでがっしりとした話を書いた記憶がありますが(これ↓かな?)、 その前回とはおそらく違う結論が導かれるはずです。 cheechoff.hatenadiary.jp × × × 「あんな本を手にとって読む人がいたなんてなあ、信じられないよな」と詩人[…

鎖骨で歩く

謎めいたタイトルですが、そういう話です。前に「肩で歩く」話を書いたような気がしますが、あれの進化版です。 まえおき 読書もデスクワークもそうですが、 長いことやっていると上半身が固まってくるので、 こまめにストレッチをしています。案外家にいる…

「類似性と差異」の可能性、「閃きエネルギ」減衰の法則

具体的な経験の可能性を広げる、 たとえば連想を形成する繋ぎ目の種類を増やすような、 そういう抽象的思考には躍動感があります。 多くの経験は意識に上っているが、その周囲を莫大な無数の経験が囲んでいる。そしてこの宇宙[ジェイムズの言葉できう「談話…

「小カッコウ」の「カッコウ例」をいくつか

結局ケチなんじゃないかと言われそうだけれど、決してそういうのではない。生活の中に個人的な「小確幸」(小さいけれども、確かな幸福)を見出すためには、多かれ少なかれ自己規制みたいなものが必要とされる。たとえば我慢して激しく運動した後に飲むきり…

直感と連想、個の中の普遍について

今日から『直感力』(羽生善治)を読み始めました。 つまり、直感とは、論理的思考が瞬時に行われるようなものだというのだ。 勝負の場面では、時間的な猶予があまりない。論理的な思考を構築していたのでは時間がかかりすぎる。そこで思考の過程を事細かく…

はじまりのジェイムズ

そういうことか。 「ひとつの経験が果たしうる唯一の機能は別の経験を導くということであり、われわれが論じうる唯一の充足とは、ある経験される終着点への到達ということである。ひとつの経験が別の経験と同じ終着点に導くとき(あるいは、導きうるとき)、…