human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

2014-08-01から1ヶ月間の記事一覧

贅沢について

贅沢は相対的なものなのだと、あらためて気付きました。僕は食品を買う時に、グラム単価を計算する癖があります。 学生時代に「質より量」を熱心に実践していた名残りです。 肉に限らずドレッシングや菓子類にまでやるので執拗です。 今はさすがに安さの追求…

音感と感受性について

音感が鋭い人は、繊細な人であるようなイメージがあります。 ピッチの微妙な変化に気付ける、外れた音につられない。 音に対して繊細だと、感覚全般においても繊細である。 と言い切ると「本当だろうか?」と思うが、どこまで本当だろう?「雨音が不協和音だ…

変化のこと(3)-焼き魚と箸捌きの弁証法-

「カレイの発掘調査」の話です。少し前に『東海レトロスペクティブ』(野口芽衣)を読みました。 タイトルに惹かれて(京都…)、読んでみると考古学のマンガでした。 「モノはずっと残るんだ」という悠久ロマンが爽やかに感じられました。 調査には発掘だけ…

現代的な停滞について

与えられたものの中から選ぶ。 それらは決められた手順に従えば事前に確認した効果が確実に得られる。 効果が得られなければ、選択が間違いか、自分が間違いか。 この二択は、最終的に全てが後者に収斂する。時間が止まっている感覚。 周りの人間は普通に動…

演奏される歌について

本タグ記事のコンセプト 今の生活で、僕が日常で聴く音楽は半分以上がボーカロイドです。 この存在を最初に知ったのは卒論を書いていた、2007-08年くらいです。 それから聴き方は色々変わりながら、それでも聴き続け、今に至ります。 これだけ長い間、生活の…

旅と「移動」について

川の上を、プカプカと壊れた下駄が流れてくる。それが自分にぶつかる。自分もなんとなく下駄の方に引かれる。でも自分には重心がある。いつしか下駄は自分を離れてどんどん下流へと流れていく。自分はまた元の位置に戻る。そういう感じだ。影響は受けるのだ…

天狗下駄のこと(2)

「不穏な気配」とか「殺気」とか「邪眼」とかいうものは、「やかん」とか「おたま」とか同じようにリアルに存在する。私はそう思っている。現に、それを感じることがある。少なくとも、明治維新以前の日本人はほとんどは、危険な「気」を感知すると、立ち止…

天狗下駄のこと(1)

遠いまえおき ラグを買い替えました。 前のラグは6年前に買いましたが、近年化学繊維が粉末化しつつありました。 そういうものなのかもしれませんが、まあ少し困ってはいました。 そのような事情で、オープンシェルフを通販で買うついでに買ったのでした。オ…

本を「選ぶ・読む」こと

本との縁について、です。基本は、必要に駆られなければ新品では買いません。 新幹線に乗る時に手持ちの本がない時に買うことはあります。 主に実家から調達する本と、ブックオフで買った本が本棚を構成しています。 ブックオフでも、105円棚にあるもの(200…

「関係を見る」ことについて

私は、かなり変わった男だ。普通の男は、自分の母親の着物を見立てたり、自分の祖母にセーターを編んでやったりなんかしない。自分の母親と祖母のいさかいを、「着物買ってやろうか?」と言って中和したりもしない。私がなにを言いたいのかというと、「要は…

リアリティについて

一般に、ミニカーやプラモデルの車は、実物よりも幅が広げてあります(そのうえシャコタンになっています)。そうしないと本ものらしく見えないからです。縮尺のままでは実物らしくないわけですね。鉄道模型でもそういったデフォルメがあります。模型の設計…

引き算の感覚について(4)

ものを買う時にいつも、「最適な選択」を迫られている感じがします。 ある物が欲しくて陳列棚を眺めると、様々な種類の、値段のものがある。 基本的な機能は同じで、デザインが違う、多機能である、等々。 最初にあった「欲しい気持ち」を不用意に膨らまされ…

個を超える可能性について(2)

彼女は「憎しみは人を壊すけど、悲しみは人を壊さない」と断言する。 彼女は世界の悲惨の意味を自分の内に求めることを止めた。それは個人が背負うには荷が重すぎるからだ。そして、個を越えたところにある、もうひとつの価値に自分をゆだねた時に、悲しみは…

個を超える可能性について(1.8)

余った夏期休暇2日間の話です。前記事で村上春樹氏の本を2日早く読み終えたことを書きました。 それで3日間ほぼ引き蘢っていましたので、昨日は反動で外出しました。 動きたい体に従い、一日中立つ(立ち読み)か歩く(二駅分往復)かしていました。 その…

夏休み課題図書のこと

会社の夏期休暇中に、毎年一冊の本を集中して読みます。 夏休みに「どこに行くか」という命題を「何を読むか」にすり替えました。 行動の選択肢の一つが読書なのではなく、読書は行動を包含するのですね。 「人は物語を生きる」という認識のもとでは、まあ真…

選択の後ろめたさについて

ある主張の正しさの証明は、別の主張の誤りの証明である──つまり「生まれ」の勝利は「育ち」の敗北のみを意味し、その逆も言える──という、偽りの定式化に陥った人が多すぎた。「もちろん、両方だ」という決まり文句もよく聞くが、多くの人は、戦争のように…

「ミスなんたら」について

ミスはミスでもMissではなくmissの方です。何かが失われている、あるいは足りない。 何かが違っている、あるいはそぐわない。 調和から遠いが、不調和というほどではない。 違和感があるが、解消すべきかは分からない。本ブログにファンシーなテーマを選んで…

個を超える可能性について(1.5)

「何もしないことが何かのためになる」とは何でしょうか。その実感は、どこから生じるか。 例えば、何をしても何のためにもならないと自分が思える人を見た時。 その人の価値観もおかれた環境も知らないから、勘違いの可能性は高い。 けれど、自分の価値観と…

個を超える可能性について(1)

彼女は中学生の時に『夜と霧』に掲載されていたアウシュビッツの写真を観て三日ほど熱を出して寝込んだと言っていた。(…) あまりにも悲惨な事件、大量虐殺、残虐な犯罪、戦争、災害、そのような悲惨な出来事の被害者に対して、「私」という個人がその意味…

積極的な虚無について

「死ぬ気で頑張る」といいます。 これを言う状況は、言う本人にしろ相手にしろ、冷静でありません。 しかしその状況から離れて冷静に考えると、妙な気分になります。 掘り下げると、何か出てくるでしょうか。言葉を補えば「死ぬ気で頑張らないとヤバい」等で…